七尾城(七尾城址)
<国指定史跡>


七尾城イメージ01
↑七尾城鳥瞰図(この絵図は中西立太氏及び七尾市に著作権があるので一切の転載を禁止します)


七尾城石垣
(写真:調度丸付近石垣)

読み仮名 ななおじょう
別名 松尾城
所在地 七尾市古府町、古屋敷町、竹町
形式 山城
築城者 畠山満慶
築城年 1428年(正長元)頃
遺構 石垣
歴代城主 畠山氏(→上杉氏→前田氏→廃城)
交通 JR七尾駅から車で約20分で登城口に。そこから徒歩で約45分。
資料館 七尾城史資料館(城山麓)
備考 本丸跡に石碑、各跡に看板が立つ。
  
 七尾城は海から少し離れたところにある。当初、能登畠山氏は海の近くに守護所を置いて、七尾城は防衛上築いた砦に過ぎなかった。しかし、戦国の世において大名も防衛意識が強まり、畠山義総は七尾城を整備・強化し居城とすることにしたのである。軍事的側面で居城としたので、その後も七尾城は補強・増強が順次行われ、義続・義綱の頃になると五大山城にも例えられるほどの堅固な城になったと言われる。また、守護所=居館が七尾城に移ったことにより七尾城下にも町が形成され始め、「七尾」には3つの町が存在するようになった。この3つの町はお互い共存しながら繁栄していき、朝倉氏の一乗谷に匹敵するくらいの発展をしたとも言われている(詳しくは都市としての「中世七尾都市圏」の発展参照)。しかし、1576(天正4)年より始まった上杉謙信の侵攻に耐えた堅固な七尾城も遊佐続光の内応により開城し、上杉謙信・前田利家と城主を変える。そして、山城を不便と感じた利家によって七尾城は廃城にされ、行政府は平地に作った小丸山城に移っていくのである。
 七尾城は山全体が城とも言える複合城で、その範囲はかなり広い。そのため、各郭なども広くさすが五大山城に例えられるだけの城だなと感心させられる。また、実際に周ってみるとわかるが、特に長屋敷など重臣の屋敷跡は主郭に対して独立するような位置に存在し、大名権力の脆弱さが伺われる。また、この城は前田利家によって改修されているので、どれを畠山氏時代の遺構とみて、どれを前田氏時代のものとするか意見の分かれるところである。例えば、本丸などに見られる石垣は、石垣作成技術が未熟な頃に作られたゆえ畠山時代の遺構と言われる一方、天正期以降に作られたもので、一部前田の改修が入っていると言われる。石垣をよくみると、その積み方も場所によって異なり、一元的に作られたものではなく、基本的な構造は畠山氏段階で、徐々に改修されていった思われる。

 七尾城跡は現在、七尾市によって保存整備計画が進められている。城跡指定範囲の追加・拡大と城下町の遺構の範囲までの史跡指定を進めている。また、城跡・城下町の整備も進め、(東京都の八王子城のような)城跡の門・塀・通路の復元や、(福井県一乗谷城下町遺跡のような)七尾城下町の町並・通路の復元なども視野にいれている。
 
 
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