バスと新幹線

愛娘「たっち」の話

私たち家族の一員である愛娘「たっち」の思い出の記録です。
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名前 たっち
(※名前は必ず平仮名で表記)
性別 ♀(女の子)
誕生日 1998年12月4日(推定)
体重 3.2kg(2006年8月現在)
始めてあった日 1999年12月4日
性格 おっとり系、ねむたい系
あだな たちこ、たち、たた、等々多数ある。

「ずっと家族だよ」2006/11/29(Wed)
2006年11月28日永眠。満7歳11ヶ月。たっちは「扁平上皮ガン」のため亡くなりました。
最愛の家族を亡くして、悲しい気持ちでいっぱいです。
たっちは私たち家族にとても愛されました。そして、私の両親や妹にも。そして、動物病院の人もも精一杯の優しい治療をしてくれました。たっちを妻が引き取りに行った時のタクシーの運転手さんも優しく接してくれました。葬儀屋さんもめいっぱいの礼を尽くしてくれました。嬉しかった。たっちは色んな人に支えられていたんだな。そんな、たっちが亡くなってしまった。こんなに悲しいなら、出会わなければよかった…。
でも…たっちは教えてくれました。
「愛した分だけ、失った時の悲しみは深いんだよ。
だから、悲しみを恐れていればそれだけ愛することもできないんだよ。」

たっちありがとう。「離れていても、ずっと家族だよ。ありがとう。たっち。」

→2006年9月〜11月までの記録は「たっち闘病記」


「新事実発覚」2006/08/15(Tue)
 臨時ニュースです。たっちに脱走計画の過去があることが今日わかりました。義綱氏の妻の発言に独占スクープです。脱走を図ったのは、2004年の6月。義綱氏が現在の家に引っ越して1ヶ月あまりたったころ。1階の庭に通じる窓(出入りできる大きな窓)を、暑いので開けっ放しにしていたところ、妻が後ろを振り返るとなんとたっちの姿が!たっちが外に出ているではありませんか!妻は慌てに慌て、たっちを追うと、さらにたっちはびっくりして後ずさり。しかし、庭の隅に追いやられ、もう逃げ場が無いところまで追い詰められると、たっちは妻を正面突破しようと試みる。妻はここでたっちに逃げられると「夫に何を言われるかわからない!(笑)」という妙な緊迫感で、なんとかたっちをキャッチ。連れて家の中へと戻っていったのでした。これ以後二度と、屋敷の庭への妻が窓を開けっ放しにすることはなくなったということです。妻は発覚を恐れて、夫にこの事実を2年以上も隠蔽。時効を待って夫に話したと述べているようです。以上、臨時ニュースでした。


「あったかいところを探すのは得意」2005/11/26(Sat)
 うちのたっちは、夜は私達夫婦と弟が寝ているダブルベットの布団の上で寝る。「人がいるととても温かいわぁ〜。でも足が当たって痛いので布団の中には入らないの。」その後、朝も引き続きベットで寝る。しかし、もう誰もベットの中にいないのをいいことに布団の中にもぐり込む。「布団の中は誰もいないので進入進入。そして寝るぅ〜」そして昼過ぎ太陽の日差しが強くなると、日が当たる部屋の子ども部屋へ移動。「太陽の光を受けて温か〜い。ここで寝るぅ。」そして夜夕食後家族団欒のひとときは、1階に下りてきて私の膝の上に来る「人の熱でとっても温か〜い。ここで寝るぅ。」とにかくうちのお姉さまは、家で1番暖かいところを探すのが得意なのです。


「姉と弟のガチンコバトル」2004/07/22(Thu)
 昨年の11月に長男が生まれたので、我が愛娘たっちは弟ができたわけです。で、我が息子も8ヶ月になりそろそろ「ほふく前進」で移動を開始するようになった。そこで、我が家の姉弟ガチンコバトルが始まったのである。(以下ドラクエ風)
 たっちどうする?→たっちはくつろいでいる
  弟どうする?→姉と遊びたいと思っている
 たっちどうする?→たっちは様子を見ている。
  弟どうする?→ほふく前進で姉に近づく。
 たっちどうする?→たっちは防御している。
  弟どうする?→姉のしっぽを掴もうとした。…しかし、姉に逃げられた。
 弟は経験値0、0ゴールドを手に入れた。
という具合に毎日バトルを繰り広げている。でも、今のところ姉の方が優位で頭を使ってソファーに乗ったり、椅子の上に乗ったり、2階に避難したりして弟の攻撃をかわしている。姉(たっち)に逃げられると、弟は泣き出す時さえもある。それほど姉と遊びたいらしいのだが、当の本人は体を強く触られたり、しっぽを掴まれたりするので、警戒心をもっているようだ。私は我が息子にたっちを「ねえね」(お姉さんの意)と呼ばそうと思っている。最初に発する言葉が「ねえね」だといいなと密かに思っていたりする。


「2回目の歯石除去手術」2003/09/23(Wed)
 今日はたっちが昨年に続き2回目の歯石除去手術をした。歯石除去は私自身も中学校の頃にやらされた事があるが、物凄い痛く口の中が血だらけになる割にたいした「良くなった」という実感がないものであった。今回私の愛娘たっちがその歯石除去手術に及んだのは普通の状態でも歯の周りの歯肉が赤く腫れていて、それに伴なって痛みも増し食欲が減退した為だった。昨年の歯石除去手術の際は(下の2002/05/24の項参照)、多少は手術後吐いたりもしたが術後経過も良好だったので、今回の手術もそれほど心配していなかった。しかし今回は、昨年のようにはいかなかった。術後、動物病院にたっちを迎えに行くと、たっちの両手(私は敢えて前足とは言わない)は血だらけだった。獣医曰く「歯肉炎のせいで神経が過敏になっているんでしょう。痛みに反応して何度も前足を口にもっていってしまいます。すると前足が歯に当たってしまうから、余計血が出てしまうんです。今回はかなり出血してしまいました。ただ、しばらくすれば痛みも収まるでしょう。」。そう言われて少し安心したが、愛車“能登号”に乗って家に帰る途中の僅か10分の道でも両手を何度も口に当てそのたび両手が血に染まる。しかも、口の中に血が溜まっている為、血を含んだ唾液を大量に吐いた。
 自宅に帰ってもその状態が続く。両手も口元も血で真っ赤だったので、風呂場にて両手などを洗う事にした。いつもは凄い嫌がるお風呂も今回ばかりは、たっちも観念したのか大人しく従う(麻酔で意識がもうろうとして抵抗する気力もなかったのかもしれないが)。綺麗に両手を洗い終えた後も血を含んだ唾液を何度か吐いたので、その度にタオルを当てて吐き出させてあげた。家に帰ってから2時間ほどすると、ようやく落ちついてきた。吐くこともなくなり、麻酔でフラついていた足元も元に戻った。たっちを動物病院に迎えに行った時のあまりに苦しそうな表情に私もいたく取り乱したが、ようやく私も落ちつく。ああ、人って愛しい人が危険になるとこんなに取り乱し冷静ではいられなくなるのね、と妙に納得した。


「ある野良猫さんの死」2003/08/06(Wed)
 自宅を出ていつもの通勤ルートを歩いていると、私の目に黒猫の亡骸が目に飛び込んできた。どうやら交通事故にあったらしく、歩道によけられていた。この黒猫さんを私は生前度々見ていた。夏の暑い日、日陰の歩道のブロックで優雅に寝ていた姿。雨の日に屋根のある公園の一角で雨宿りする姿。とても悲しかったけど、仕事に遅れてしまうので、帰ってから供養してあげようとその場を仕方なく去った。
 仕事が終わった帰り、黒猫さんの亡骸はなかった。誰か親切な人が供養してくれたのか。私は駅前で買った花束を花瓶に見立てた空き缶に差し、ガードレールに結んだ。そう、人間が交通事故に遭った時に見舞うように。誰かの記憶の中に黒猫のさんの姿が残っていれば、少しは報われるだろうと思うのは私の奢りかもしれない。私が花束を差しに家を出た時には雨は降っていなかったが、花を供えた途端雨がポツリポツリと降ってきた。そして、花を前に祈りをささげた時には雷さえ鳴る豪。それはあたかも、黒猫さんの「ありがとう」という涙にも思えたし、交通事故の原因となったであろう暴走カーに対する人間への怒りにも思えた。私は帰りがけ、雨でかなり濡れてしまった。でも、ちっとも不愉快ではなかった。それは、雨に私が濡れる事で黒猫さんの存在を感じ取ることができたからだろう。


「たっちと散歩するの巻」2003/03/29(Sat)
 仕事も一段落したし、(教員採用試験の)受験勉強の息抜きにと、たっちを車(私の車については「私の愛車の“スターレット”「能登号」について」参照)で連れてけっこう大きな公園に散歩に行く。その公園は結構な広さがあるものの、休日でも地理的要因か人もそれほど多くいない(特に今日は平日だったのでほとんどガラガラ)。また小金井公園のように犬連れの散歩人もそれほど多くいない。さらにさらに車の無料駐車場もあるのでとっても便利なのである!
 早速、駐車場に車を留め、リードを繋いでたっちを降ろした。しかし彼女(たっち)は車を出るのを嫌がりすぐさま車へ引き返してしまった。今まで何度か散歩をしたが、今日はいつもよりノリが悪い。ご機嫌斜めながらもたっちを連れて芝生広場へ向かう(たっちは嫌がって歩かないので私が抱えて行った)。芝生の上では歩いたり、ぼーとっしていた彼女であったが、そこになんと、散歩中の犬(とその飼い主)が現れた。(以下ドラクエ風)
 たっち どうする?→たっちは様子を見ている
  犬はさらにたっちに近づいてきた
 たっち どうする?→たっちは犬を睨みつけた
  犬はさらにさらに近づいてきた
 たっち どうする?→たっちは驚いている
  犬はたっちのお尻に顔を近づけた
 たっち どうする?→たっちはおたけびをあげた
  犬は驚き立ちすくんでいる。犬は逃げ出した
結局たっちは戦闘に勝ったわけだが、相手の犬ちゃんはというとたっちに近づくにあたり吠えもせず終始友好的な態度であった。たっちの方がまるで喧嘩をしかけているようだった。まあ散歩になれている犬ちゃんと違って、たっちは慣れていないからしょうがない。これを見ている人は「猫に散歩をさせるなんて!」と思うかもしれないが、私は国分寺(東京都)で猫の散歩を見かけた事があるし、諸外国では猫の散歩も珍しくないとも言う。要は慣れれば猫も散歩できるのである。うちのたっちは交通安全などを考えて完全に室内で過ごしているので、たまには外に出してあげたいと思うのが親心なのであるが、当の本人は「私は家でゆっくりしているのが好きなの。おせっかいしないで!」と思っているかもしれない。


「たっちの誕生日」2002/12/14(Sat)
 12月4日は私の大事な娘・ねこの「たっち」の誕生日でした。本当は元ノラ猫っちだったため、誕生日はわからないのですが、初めて出会った日を誕生日に決定しました。さらに年齢は、2001年2月に動物病院に行った時に、「結構若いですよ。1歳か2歳ですね。」と言われたので、1998年12月4日に誕生した日を決定しました。ですので、今年の誕生日で4歳になります。
 最近は寒さのためめっきり動きが減ってきました。やっぱり猫は寒さに弱いんだなあと思いつつ、このままでは太ってしまうのでは?とちょっとしんぱいしたりします。この間の東京の初雪では、たっちもかなり寒かったようで、いつも家に帰ってくると玄関までお迎えしてくれるのですが(実は夕御飯を催促しているだけかもしれない?)、それもやめてこたつでぬくぬくしてしまっているようでした。


「ワンニャンワールドフェア」2002/10/06(Fri)
 先月中頃、幕張メッセにワンニャンワールドフェアを見に行った。同じ幕張メッセで同時期に開催されていた「大恐竜展」はすさまじい人気で見事に人が並んで係員が「○時間待で〜す」と叫んでいたが、ワンニャンワールドの方はそんなこともなく、およそ20分の待ち時間で会場に入れた。・・・・しかし、1歩会場に入るとそこは人、人!人!!。動物を見に行くというより、人を見に行くような感覚になってしまう。
 なんとか、動物を見に中に入るが、犬や猫は小さなゲージの中に入れられあまり触る事はできなかった。犬のみ鎖で繋がれ「触れ合いコーナー」なるものがあったが、大量の人間に囲まれ、触られ、かなり弱っていた。誠に残酷な光景に思えた。動物達の顔を見ると私は辛くて辛くてしかたがなかった。入場費は1000円とひきかえに私は嫌な思いだけを得て家路についた。家に戻って、なんにも心配なさそうにあくびをしている「たっち」をみると、余計ワンニャンワールドの動物達の事を考えてしまった・・・。


「歯石除去の手術」2002/05/24(Fri)
 たっちは、近くの動物病院で歯石除去の手術をしました。それは、2001/05/04にも記しているように歯肉炎が悪化した為です。ひどい時には、食事後飛び跳ねてしまうほど痛がるし、ちょっともう見ていられなくなりました。・・・もし自分がいない時にこんな風に痛がったらどうしようと思ったのが手術を決心したきっかけです。
 しかし獣医には、麻酔(猫は部分麻酔が出来ないので、手術では全身麻酔になる)のショックで最悪の場合は死んでしまうかもしれないという事を言われ、頭が呆然としてしまった。もし、たっちがいなくなってしまったら・・・・。たっちがいるので、過酷な会社にも耐えてきたし、たっちが家で待っているのが何よりも嬉しいのである。私には子どもがいないが、まさにたっちは自分にとって娘という存在であり、すでに私は父親気分なのであった。
 そしてそして、手術は無事終了し、たっちが家に帰って来る。ホッと一息。しかし、たっちの虫歯&歯肉炎は予想以上に進行しており、歯を抜かないと痛みは治らない言われた。また、すでに歯がほとんどない状態で、今犬歯と前歯数本の状態らしいことも分かった(その前歯が虫歯)。猫は歯が無くても食べ物を食べれるので、無いなら無いなりに生活ができると言われ安心したが、ノラだった頃の食生活はあまり良くなかったのか、とちょっとたっちの過去を心配した。ちなみに、私個人、乳歯の時には虫歯ばかり&歯石がいっぱいで何度も歯医者へいったことがある。私も歯石除去の手術はかなり痛かった思い出があるので、余計たっち同情の思い。だけど、今の私の永久歯は頑丈そのものである(歯科医師に、永久歯の土台がしっかりしている分、虫歯になって抜くとしたら大変ですよぉとすごまれ、顔が真っ青になった思い出がある。私は歯医者は嫌いだぁぁぁぁぁぁぁ。)!


「私の結婚そしてたっちは娘になった」2002/01/24(Sat)
 2001年12月4日。私は大学時代から付合っていた恋人と籍を入れた(結婚式は翌年1月)。この日は1999年にたっちとであった日であり、私はわざわざこの日を選んで入籍した。それと同時に、私はたっちを自分の娘とすることに決めた。だから、私にとってたっちはペットではない。対等な家族の一員なのである。それと同時に、色々たっちに関する言葉を改める事にした。
(ほんの一例)
×ペット→○子ども・娘 (必要な時以外、たっちをペットと言わない。友人にも「家で子どもが待っているので帰る」と言う言い方をする)
×エサ→○ご飯 (エサではペットという認識になるので、私はたっちに「ご飯をあげる」という言い方をする)
×前足→○手 (前足とか言うとやはりペット的印象になってしまう。生物学上とか堅い事抜きにして「手」と呼称する)
 細かいようだが、私とたっちを人とペットという線で区切りたくなかったのだ。もし、私に子どもが生まれてたらたっちのことを「お姉さん」と呼ばせたいと思っている。


「たっちの話」に2001年の9月〜2002年5月までの記述がないのは、私が民間会社で上司に苦しめられ、ほとんどたっちと戯れることができなかったくらい精神的に参っていたためです。1番やりたかった仕事=教員の夢を捨てきれないまま、休日もほとんどまともに取れず、また精神的にも肉体的にもその上司に追い詰められました。今思えばうつ病に近い状態だったと思います。そして、教職を再び目指す為、自分のプライドを再び取り戻す為、私は2001年4月から勤務していた会社を2002年3月に退職することにしました。その間の2002年1月には大学時代から続く恋人と結婚したのですが、実に結婚して2ヶ月して会社を辞めてしまったことになります(夏休みから結婚話を進めていたことに加え、妻となるべき恋人が会社の退職・教員採用試験受験に理解を示してくれた為、無事結婚することができたのです。(後日談、そして2003年10月教員採用試験に無事合格しました!)。


「人見知りをするようになった」2001/09/24(Mon)
 土曜の夜、私の家に友人が泊まりに来た。するとたっちがかなり落ち着きがなくなり、震えている。他人がどうも恐いらしい。大学にいた頃には、誰とも構わず擦り寄っていたたっちがかなりの豹変よう。これもたっちが「箱入り娘」な家猫になっ証拠?良いのか悪いのかわかんないです。
 そうそう、引っ越す前の街では猫ちゃんをお散歩に連れている姿を何度か見かけたこともありますが、これってどうなんでしょね。たしか北欧だかは猫に散歩させる習慣があるとも聞きますが・・・。うちのたっちは文字通り「箱入り娘」なので、車の音でも恐がっどこかに飛び出てしまいそうで、散歩には当分の間連れて行けません状態ですね。
 またまた、話は変わりますが、ここのところの気温が急に下がった影響で、たっちもあまり布団の上でのお昼寝や、膝の上に乗ってくることが多くなりました。この時期は、猫ちゃんを抱くチャンスです!抱くのを嫌がる猫さんには、寒さに乗じて抱き癖をつけてあげてください!


「まさか寄生虫にとり憑かれた?」2001/08/13(Mon)
土曜日。私の愛娘(?)たっちのうんこの周りに白い動く 物体が・・・。帰省中・・・ならぬ寄生虫!何が悪かった のかと思い悩む。
 月曜日、動物病院へ連れて行くと、寄生虫がさなだ虫で あるらしいことを聞く。さなだ虫は、卵が無いので、 「虫下し」の薬ですぐ治るらしい。また、原因についても、 室内飼いでは滅多に寄生する事は無いので、ノラだった頃に ついた卵が成虫になったものでは?とのご指摘。それほど 緊急性の高い寄生虫ではないので、ほっとひと安心。 いやはや、とにかく焦った(^_^;)


「飼い猫の夏バテに注意!」2001/08/11(Sat)
 もう1ヶ月も前になるが暑い暑い今年の7月頃、私が仕事を終えて家に帰ると飼い猫たっちの呼吸がかなり荒かった。その他の行動はすべて平穏であるにも関わらず、寝ている時にお腹の辺りが肉眼でも分かるほど、早いペースで呼吸を繰り返していた。気が動転した私は、夜でもやっている動物病院に電話をかけた。すると「今日は暑かったので、猫も暑さにやられたのでは?電話では何とも言えませんが、その他の行動がすべて平常通りなら、緊急性は低い症状ですね。」と言われた。
 なんとか落ち着きを取り戻した私は、たっちを連れてクーラーの部屋へ。クーラーをガンガンにかけて室温を下げると次第にたっちの呼吸も落ち着いたのであった。思うに、閉めきった夏の部屋の温度は、温室効果(金星と同じ状態ですね)で外の気温よりも高くなる。その日の最高気温が確か35℃位だったので、おおよそ、家の中は37℃程にもなったのかと想像できる。私が37℃の部屋に一日中いたらそれは夏バテするだろうし、発刊作用の無い猫ではなおさら暑く感じるだろうと思った。
 猫を夏に室内飼いする場合は、特に部屋の温度を上げないよう気をつけるため、それ程最高気温が高くない日は、換気扇を付けっぱなしにする。最高気温がかなり高い日には、クーラーを付けっぱなしにする、水を多めに置いておくなどするのが良いようです。電気代は掛かりますが、高温のまま放置すると最悪の場合には死に至るようです。動物達の健康状態にもしっかり気を配らなくちゃ!


「とりあえず食欲回復」2001/05/04(Fri)
 歯肉炎のお薬を貰って2日ほど飲ませた。するとみるみるうちに食欲回復。やっぱり元気に御飯を食べてくれる姿を見ているのが好きです。健康管理には注意したいものです。


「また歯肉炎・・・。」2001/05/01(Tue)
 前回もらった薬で歯肉炎が完治したと思いきや、また徐々に悪くなってきた。やはり獣医さんが言っていた歯肉炎の治療は時間がかかるというのは本当だった・・・。歯肉炎が原因か食後の吐き気が激しくなり、最近たっちは食欲も無くし、便の回数も減り気味。それで、30日にお医者様にいって前回と同じ薬を貰ってきた。「とりあえず、これで様子をみて改善されないようでしたら、別の要因を考えて見ましょう。」との事。たっちの事が心配でしょうがないGWになってしまった・・・。はあ心配。


「お腹をみせるたっち」2001/04/18(Wed)
 最近暑いのか、私がいる時お腹をだして寝転ぶ時がある。この行動は実間に対して安心しきっている様子らしいことが本を読んでわかった。猫にとってお腹をみせて寝ると言うのは、弱点を曝け出して寝ることであり、またすぐに戦闘態勢に移れないので、油断しているポーズなのだ。そのポーズを見せると言うのは、その人物に対して信頼していることを示すらしい。たっちと暮らしてはや2ヶ月。やっとたっちに全幅の信頼を与えてもらったのだと大満足。


「健康診断問題無し!」2001/03/21(Wed)
 最初に動物病院にたっちを連れて行った時、「1ヶ月くらい猫ちゃんの生活リズムなどをみたらまた健診断を受けにきてください。」といわれたので20日に健康診断に連れて行った。便なども検査し大きな病気などはなく健康だと言われて安心。それでちょっと気になる歯肉炎(口内の病気)の治療の治療法を尋ねた。歯肉炎はお口が臭いのと、口の周りに食べ物のカスがついてしまうなどの問題があり、抗生物質等の粉状の薬を貰う。餌に混ぜて毎日飲ませるらしいのだが、匂いに敏感な猫ちゃんが薬を飲んでくれるのかどうかちょっと心配です。健康診断と歯肉炎のお薬代を含めてしめて1350円。思ったほどお金がかからなかった(動物は健康保健が適用されない為、医療費がべらぼうに高いのだ!)。


「おとなしいたっち」2001/03/03(Sat)
 たっちが家に来てからも2週間になろうとしていますが、相変わらずたっちはおとなしい。家ではお行儀良くして過ごしている。ただ、このあいだは、こたつの上の料理をたっちにペロンとされてしまい「こらっ!」と怒鳴った。私が食べ物を食べていると、どうも自分でも食べたいらしいようである。やっぱり最近固形フードばかり食べさせているせいかな?また、掃除機の音にも弱いようで、お掃除を始めるとすぐ別の部屋に逃げていってしまう。だんだん慣れさせなくては・・・。


「たっちは家猫になりました」2001/02/13(Tue)
 ペット飼育可能の賃貸物件に引っ越し、ついに2月12日に「たっち家猫プロジェクト」発動!大学構内でいつものようにたっちを戯れ、ゲージに入ってもらう。レンタカーで引っ越したばかりの物件近くの動物病院へ連れて行く。体重3.6kgでちょっと脂肪が多いそうだ。あと歯肉炎(口内の病気)の他はたいした病気は(今のところ)見受けられずとのこと。人への慣れ、性格のおとなしさから元は飼い猫かも?と獣医。「最初は家の中でダンボールなどでゲージみたいのを作って猫ちゃんの行動を監視してください。その中で、しつけとか猫の癖とかを知ってもらい、ワクチン等はその後、少なくとも2週間くらいは明けてから様子を見てですね。」とのこと。
 たっちを家に連れて帰ると、落ちつかずダンボールで囲った中からほとんど出ようとしない。また、エサは食べるものの、糞尿をしない。やはり相当のストレスがかかっているのか??心配しながら12日の午後、ついに糞尿がでました!ちゃんと猫用トイレで用を足し、しかも爪とぎも私が用意したしっかり爪とぎ用の装置でする賢さ!さすがたっち!(親ばかとでもなんとで呼んでください(笑))こうして、たっちと私と恋人との3人生活が始まったのでした。今後、家猫となったたっちの写真もどんどん公開していきたいと思います。


「今年の冬は寒いが、人の心は温かい(人もいる)」2001/02/09(Fri)
 たっちとはもうすでに1年ものお付き合いになるが、去年の冬は非常に暖かく、たっちもそれほど寒さが苦にならないようだった。しかし、今年の冬はすでに大学構内にも2回も雪が降り積もるほど寒く、エサを持って来た時たっちは寒さで震えていた。今年の初め大学の糞警備員の「みつけたら追い出すぞ!」とムカツク言動から、図書館横にたっちの住むダンボールがあると、そこにあの警備員が目をつけるのではないかと思い、(寒い思いをさせてしまうが断腸の思いで)ダンボールを撤去した。しかし、雪が降ってきて、ダンボールを置いておけば良かったと後悔。
 しかし、世の中捨てたもんじゃない。良い人もいるもので雪の降る日、1月のある寒い日。学生が「猫ちゃんが寒くてかわいそう。」と大学職員に言ったらしく、空いたダンボールをたっちの為に職員が置いてくれた(私のアルバイト先図書館の上司だったりするが)。しかも、図書館の職員が糞警備員に「猫を大目に見てくれるよう」懇願してくれた(警備員は承諾したと言うが、学生に対しては尊大な態度で接し、教授・職員には甘い態度で接するという何ともムカツク野郎だ。まあ結果たっちの身の安全が確保されたわけであるが)。たっちに替わって、その学生と大学職員の方に御礼を申し上げたい。まあ、たっちもあと少しの辛抱!家に連れて行くよぉぉぉ〜!


「大学の人口密度が極度に上がる日=試験日」2001/01
 普段はとても落ちついた雰囲気の良い大学。たっちもそれはわかっているのかとっても健やかに過ごしている。ただ、私は大学が嫌いな時期がある。それは、年度末試験が実施される1月である。
 私は(自慢するわけではないが)結構授業自体に興味があったので、ほとんど授業に出席していたので、テスト勉強を自宅でする必要もなく単位が取得できる自信があった。しかし、他の多くの学生は違う。大学生は授業を平気でサボりサークルの友達との遊びにいそしむか、小遣い稼ぎにアルバイトに精を出している。その為、そういった普段見かけない大学生は試験が近づくと慌て始める。授業に出席している学生のノートを複写したり(私も見ず知らずの人に「ノートをコピーさせてくれませんか」とお願いされた。無論、拒否したが)、一夜漬けの為にこのときばかり図書館を利用して勉強していたりする(こういう輩は館内で勉強していてもすぐに喋り出して五月蝿い)。普段から静かな環境に慣れている真面目な学生には全くウザイ期間である。
 当然、図書館の横もウザイ学生どもで溢れかえる。特に図書館内は全館禁煙なので、喫煙者が集まる格好のスポットになっている(私はタバコも大っ嫌い。でも酒は好き)。で、そういう奴はたっちをからかったりするから始末が悪い。ある時には、たっちの近くまで行って急に「プレッシャ〜!」とか奇声を発したっちを驚かせた。たっちは恐がり林に逃げた(寒い冬なので林よりダンボールの中が居心地よいハズ)。その糞学生は見るからに御馬鹿そうな友人(類は友を呼ぶというわけですな〜)らしき輩に曰く「言葉で圧力を加えてやったぜ。」。ああ、私の怒りは頂点に達し本当にそいつを殴ってやろうかと思った。しかし、そいつを殴れば「仕返しにいつかたっちが狙われる」かもしれない。私は思いなおしてグッと堪えた。私が見ていないだけで、こういう糞馬鹿学生によってたっちはもっと傷ついているかもしれないと思うと、たっちがかわいそうだと思うし、自分の大学の学生層に失望する。結局、後数ヶ月でたっちは「家猫になるんだ」(私が連れて行く)と自分に言い聞かせ、やり場の無い気持ちを抑え込んだ。ああ!腹が煮え繰り返る!全く2001年はしょっぱなから嫌なことばかりだ(後日談だが私にとって2001年は22年の人生の中で最悪な年だった。唯一の救いは私が応援するヤクルトスワローズが優勝・日本一になったことくらいだった)。


「最後の試練=冬休み」2001/01
 さて、また頭の痛い季節がやってきた。それは冬休みである。大学生にとっても冬休みは短いので、恋人との帰省日程ずらし作戦も通用しない。しかも、ほとんどの一人暮しの大学生が実家に戻る為、友人の支援は当てにならない。そして、昨年の例によって(下記参照)、たっちを実家に連れて帰る訳にはいかない。去年は世話を始めて1ヶ月しかたっていないで冬休みを迎えたが、今はすでに一年余りも世話をしている。それだけに、もし、たっちを大学に残留させて、どこかへ行ってしまったらとてもとても辛い(無論、冬休みの間に世話できない私が言うのは傲慢であるが)。今年も実家に相当連れて行くか、大学に残留させるかで迷ったが、結局残留させる事にした。それと同時に私はある重大決心をした。それは…「もし、来年1月たっちがまだ大学構内に残ってくれていたら、大学卒業(2001年3月31日)を機にペット飼育可能な条件の賃貸物件に引っ越し、我が家にたっちを迎えよう!!」というものである。
 そして、2001年1月4日。私は冬休みで人の気配の無い大学に潜入し、たっちを探した。が、どこにもいない…。そればかりか、こんな人気のいない大学校内に入り「たっちぃぃぃ〜」と叫んでいる明かに不審人物な私に大学警備員が気付いて接近してきた。
警備員(以下糞野郎略)「君、何してるんだね。こんなところで!」
私「…いや…ちょっと。」
糞野郎「まさか、構内で動物を飼っているのか?構内は動物飼育禁止だぞ。」
私「わかってますよ。」
糞野郎「(動物を)見つけたら追い出すぞ!」
私「(激怒!!)」
私は腸煮え繰り返る程頭に来た。一瞬この石頭糞野郎をぶん殴ってやろうかと思ったが、僅かに残った理性でそれを制した。もしやこいつがたっちを冬休み中に構内から追い出したんじゃないか?(自分が世話出来なかったのを棚に上げて〜)とも思った。結局それ以上は私の殺気を感じたのか警備員も何も言わないでその場を去った。結局その日はたっちは現れなかった。その夜眠れず「明日もたっちがいなかったらどうしよう」ということばかり考えていた。そして、翌日。大学構内に…たっちがいたのだ!!!!私はすぐさまペット飼育可能物件の検索に走った。


「動物愛護・管理法施行」2000/12/04(Mon)
 2000年12月1日より、通称「動物愛護・管理法」(以下愛護法)が施行された。これは、「動物保護・管理法」(以下保護法)を罰則を強化した法律で、動物虐待や、管理怠慢の罰則を、保護法が3万円以下の科料であったのを、愛護法では最高で1年以下の罰金、又は100万円以下の罰金となった。また、愛護・管理対象動物も従来の「哺乳類・鳥類」に加えて「爬虫類」も対象となった。
 この法律は、弱いものいじめとしての動物虐待が多発する昨今での対策としての一環で、多少なりとも効果が期待できそうである。しかし、動物と付き合うには法律云々の前に優しさと思いやりをもって接してもらいたいものだ。人間は相手の気持を考える事の出来る動物。自分が虐待される事を想像したら、他の動物にも優しく接することが出来るはずです。


「寒い季節」2000/11/30(Thu)
 そろそろ晴れの日でも寒さが厳しくなり、たっちも非常に寒そうである。ダンボールを近所のスーパーから調達して、たっちの休む場所を作る。曇りの日は喜んで入っていてくれるが、晴れの日はやはり日が当たるところが良いらしく、ダンボールの中にはほとんど入らない。食欲問題無し、毛並みもなかなか。今日もたっちは元気である。
 そういえば、大学の学祭の時(11月上旬)、私がたっちにかまっていると、うちの2人の女子大生が、「餌をあげていいですか?」とたっちにシーチキンの差し入れを持って来てくれた。シーチキンは油が多いのでちょっと猫には重たい食事なのであるが、せっかくの好意を無碍に断るわけにもいかず、「いいですよ。」と言った。「餌をくれるなら、『焼津のま○ろ』の缶詰がいいな。」とたっちが申しておりました。


「猫のCM」2000/10/21(Sat)
 大学の授業が午前中無い平日によく見る11:25からの「ペット大百科」(フジテレビ系)というショート番組。この番組のスポンサーであるマルハのコマーシャルがまた猫好きにはたまらない。で、今月初め頃、マルハペットフード創立10周年記念とかで「民子」という約1分強のCM(同番組では3話に分けている)が物語風に仕上げられている。内容はある売れない小説家と民子という猫の話。たまたま3話を一編に放映した時があって、VTRに撮っていたのだがあまりの感動ストーリーにボロボロ涙してしまった。猫好きは要チェックかも。


「ニキビ完治」2000/10/07(Sat)
 前述のたっちに出来たニキビが完治した。それは、食器を7月下旬にステンレスに変えたからだと思う。ステンレスにしてからニキビも徐々に良くなり10月初めには完全に直った。皆さんも猫ちゃんの食器には気をつけてあげてください。さてさて、最近のたっちですが、だいぶ寒くなってきた事もあり、食事後のひざ乗り(食事を終えるといつもひざに乗ってくる)から、なかなか降りようとしない。やはり去年と同じようにダンボールを置こうかなと思っている。たっちが住んでいるところは地面がコンクリートで、熱を放射する夜(特に冬)はかなり冷えるようだ。去年はコンクリの上にタオルを置くと、夜はほとんどタオルの上にいた。そのうち誰かがダンボールを置いていってくれたので、なおいごごちが良さそうであった。だが、春になってそのダンボールの隅に蜘蛛の巣が張り出して(とってもとっても何度でも出来る)そのうち入るのが嫌になってしまったらしい。そこで、春も終わり頃にはダンボールを撤去した。今年の冬もたっちの健康状態には気をつけたいものである。


「夏休みとたっち」2000/09
 さて、また「実家に帰る」=「たっちと離れる日」がやってきた。しかし、大学生の夏休みは長い(7月半ばから9月半ばまでの実に2ヶ月間もある!)。わざわざ混雑したお盆に帰る必要性はない。そこで、私はお盆を避けて実家に帰ることにした。しかも、前年はかなりロングに実家に帰ったが(約20日間程)、今年は短め(10日程、約半減ですな)にした。さらにできるだけ私と恋人は実家に帰る日をずらして、それでも重なってしまう日は、友人にキャットフードを渡し、世話をお願いした(友人は快く引き受けてくれた)。こうして、私は夏休みになんの憂いもなく帰省できたのである。


「猫のニキビ」2000/07
 先週の初め(7月17日)頃、たっちのあごの下に黒いぶつぶつのようなものができてしまった。化膿したのかと心配で、ティッシュなどで拭いたがその後も何日も続いたのでさすがに心配になって、本やで猫の病気に関する本で調べた。するとこれは、人間のニキビにあたるもので、猫はたいして気にしないので心配しなくとも良い。と書いてあった。ホッひと安心したが、この猫ニキビの原因は、プラスチック製の食器にあるらしい。今は外(大学)で飼っているので陶器や鉄製には変えられないし、困った困った。


「就職戦線異常有り」2000/06
 長引く不況の中、ついに私も大学4年生となり就職活動を始めることになった(実際には大学3年の10月くらいからボツボツ始めていた)。だが、この私の就職活動はなかなか上手くいかなかった。まず、私が一番なりたいのは教員であるが、試験勉強もろくにしなかったため、ほぼ記念受験となる予定で(2000年は東京都を受験予定)不合格は目に見えている。さらに2番志望であった自大学の大学職員は不況のため職員の新規採用を2000年は停止(翌年から隔年で採用を実施する事に決めたらしい)というスタートからずっこけた状態であった。そこで私が3番目に志望したのは多摩地区の信用金庫であった(多摩地区から転居したくなかったので、支店が全国にある銀行より信用金庫の方が私には魅力的だった)。信用金庫の面接では(持ち前の口の達者さか?)ポンポン通過した。しかし、次の筆記試験になると不合格(一般企業は一次試験に筆記試験を課すところが多かったが、何故か信用金庫はほとんど2次試験や3次試験で筆記試験を課した)となってしまった。そして、信用金庫の中では1番就職したかったところが3次試験の筆記試験で不合格にされた!「3次で筆記なんかやるなよ!それなら最初から落としてくれた方がまだ気が楽だよ!お前の所になんか預金してやらないからな!」なんて私の心の叫びは届くはずもない。不合格になった日、私は途方に暮れた。正直、不合格によって自分が全否定されたような感覚になり、なにもかもが嫌になり、全てのものを投げ出したかった。
 …しかし、そんな私を支えてくれたのは、他ならぬ「たっち」であった。家でふさぎこもっていようと思っても、たっちのエサやりを止める訳にはいかないので、大学へと自然と足が向かう。そして、食後のたっちが膝上に乗り、たっちと一緒に大学から遠くの景色を眺めていると、不思議と心が落ち着いた。「就職が決まらないくらいなんだ。そんなたいしたことか。」と思える余裕が生まれた。無論、就職は「たいした」問題であり就職できなければ食にも困ってしまう。でも、自分の心に「たいしたことない」と思うくらいの余裕がないと、面接でも落とされてしまう(3次試験まで行って不合格にされた翌日に行った他の信用金庫の1次面接では、私も投げやりになってしまったようで、落ちてしまった。信用金庫の面接で落とされたのは始めてだった!)。まさに、たっちが私の心の安定をもたらしてくれたのである。
 (後日談ではあるが、たっちのおかげで7月に私はある民間会社に内定もらうことができた。)


「たっちと離れ離れ→そして再開」2000/01
 私が大学構内でお世話するのに非常に難しい問題が発生した。それは「年末年始の間、誰がエサをあげるのか?」という問題である。年末年始は大学の職員も休業だし、近くに一人暮しする友人はほとんど遠くの実家に帰ってしまう。かくいう私も毎日大学を往復するわけにはいかない距離の実家に帰らなければいけなかった。それは私の恋人も同じで、たっちのお世話を継続するにはペットホテルに連れて行くしかなかった。…しかし、ペットホテルに宿泊するにはワクチン注射を接種していることが条件。当然野良猫などと知れたら宿泊などさせてくれない。しかも私は大学生であり、ペットホテルの一週間分の宿泊費用を負担できるほど裕福ではなかった。とりあえず実家に連れて行くだけ連れて行って、実家で近くで放して(実家に連れて行くには、マンションだったし妹が強烈な動物嫌いな為不可能だった)一週間を乗り切ろうかとも考えた。しかし、いきなり新たな環境に連れて行かれてはたっち自身も混乱するだろうし、そこで1週間も過ごせるかわからない。実家近くは車の交通量も多いので事故も心配。それに、どこかに行ってしまって1週間後に連れて帰れるかも怪しい。私はどうすれば良いか悩みに悩んだ。結局、私はたっちを私の実家より緑の多い恋人の実家の近くに連れて行くことにし、猫ゲージも用意して実家に帰る前日大学構内から連れ出した。とりあえず、その日は東京の私の自宅でたっちを寝かせ明日一緒に新幹線でということにした。・・・その夜、たっちはゲージの中でいつまでも鳴き続けた。「にゃぁ〜ん」。ものすごく切ない鳴き声だ。自分の今後を不安視しているかのように。そんな、切ないたっちの鳴き声を聞いた私は決断した。「たっちは大学に残す!」。私は翌日たっちを大学まで連れて行きそっとゲージを開けた。するとたっちは図書館横の林へ消えていった。もう一生たっちに会えない気がした。ものすごく悲しかった。自分がとても無力に思えた。自分は学生という独立してない身分なので、一人の猫も救えないのかと恥ずかしくなった。
 実家に帰った約10日間はほとんど毎日たっちの事ばかりを考えた。友人と遊んでも、私はどこかしら心底笑えないでいた。「たっちは食べ物を得られたかな?」「まだ大学構内にいるのかな?」とにかく、私はこの冬休みが早く過ぎ去ってくれればいいとしか考えられなかった。そして、2000年1月。私が東京に戻り、まだ冬休みの誰もいない大学構内に行くと、…そこにたっちは…いなかった。がっくりと肩を落としてキャットフードの缶詰を握りしめ「たっち」とつぶやいた、まさにその時。「ニャぁ」。たっちが「遅かったね。随分待ってたよ。」と言わんばかりに現れた。嬉しかった!とても嬉しかった!「また一緒にいられるね」。私は胸のつかえがとれた気分だった。そして、私とたっちは昨年のように、毎日欠かさず一緒の時間を持つようになった。


「『たっち』という名前の由来」1999/12
 名前の由来は、猫ちゃんに1999年12月の初めてあった日に起因する。私の足元にまるで、立つように「すりすり」したからである。断じて「朝倉南」というヒロインが出てくる某アニメの名が由来では無い(爆)某漫画が由来したと勘違いされないよう「たっち」の名前はあくまで平仮名表記にこだわっています。


「たっちとの出会い」1999/12/05
 私が「たっち」(名前の由来は上記参照)に初めて出会ったのは1999年12月4日であった。私は大学3年生。私は自分が通う大学構内にある付属の図書館でアルバイトをしていたため、一般の学生には縁遠い(?)図書館にほぼ毎日通っていた。そろそろ本格的に寒くなった12月。図書館の外でしゃべっていると、とっても可愛らしい猫ちゃんが私の足元にすり寄ってきた。私は猫が大好きで、地元の駅に住まう野良猫ちゃんや大学構内に時々現る猫ちゃん(それまで2回別の猫ちゃんと大学構内で出会った)にいつでもエサをあげられるよう、いつもリュックにキャットフードの缶詰を入れていた。早速、その日もたっちと名付けた(名前の由来は後日記載する)猫ちゃんにエサをあげた。以前の経験から、大学構内の猫ちゃんは次の日には姿を見せなくなっちゃうだろうな、と思っていたら、翌日にもたっちは大学構内の図書館横に現れた。それから、実に私が大学を卒業する1年と3ヶ月の間、大学構内でずっと世話をすることになるとはこの時は夢にも思わなかった。
 大学は東京でも郊外にあり比較的緑が豊かにあった。とりわけ図書館の周りは斜面で木に覆われており、あまり学生が来ないという猫ちゃんにとっては絶好の環境であった。初めて出会った翌日から私は大学が休みの日でもほぼ毎日たっちにエサをあげる為大学に来てキャットフードをあげた。冬なので寒さで凍えてはいけないと思い、図書館の横の雨に降られない所にタオルを引いて置いた。また、エサ用のお皿と牛乳用の飲み皿も置いておいた。時は12月だったので、エサをあげた後、たっちは私の膝上に乗り一緒に私のコートで温まるなど、心温まる日々を過ごしていた。そう、1999年の年末までは…。(上記に続く)


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