能登畠山氏関連の史跡巡り
<京都府京都市北区>
- 大徳寺興臨院
- 臨済宗大徳寺の塔頭である興臨院は、能登畠山家8代当主・畠山義総が創建した。その為、義総の法号である興臨院殿翁徳胤大居士からその名が取られた。以後能登畠山家の菩提寺となっており、同寺に出家した義総像の絵があることから、義総との密接な関係が伺われる。創建当時の寺はすぐに焼失してしまったが、すぐに再建され、現在の本堂は1533(天文2)年のものである。興臨院はよく畠山義綱が創建したとか、中興したとも言われるが、どうやら確実な証拠はないので、おそらく義総と義綱を混同しているのかもしれない。全体的に質素で落ち着いた造りで、桧皮葺の屋根など建物自体は室町建築様式をよく表している。一年で秋における特別公開の時期しか一般公開されないので、見学するには事前に調べてからでかけるのをおすすめする。
●交通
・京都市バス「大徳寺前」下車。徒歩すぐ。
<滋賀県伊香郡余呉町>
- 余呉庄
- 滋賀県の最北端に位置する余呉庄と能登畠山家の関係は、畠山満慶が余呉庄地頭職を拝領した時に始まる。畠山義統の時代には嫡子・畠山義元と重臣平氏の邸宅が余呉にあったというし、畠山義綱の没した地が余呉浦とも言われるので、能登以外で何かと接点の多い地域である。特に能登畠山氏と密接に関わる史跡は残ってはいないが、北陸との位置関係を知る上では一度は訪れておきたい歴史スポットである。
●交通
JR西日本・北陸本線・余呉駅
●関連コンテンツ
能登畠山氏と余呉庄の関係
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