加賀冨樫氏関連の史跡巡り


野々市町の史跡巡り

冨樫氏館跡
 冨樫館は、江戸時代の文献や絵図から野々市町住吉町内にあると想定されてきたが、1994(平成6)年住吉町内の建物建設に伴なう発掘調査で、館の土居の外側にあると思われるV字の幅6m深さ2.5mの大規模な堀跡が発掘し確認され、ここに冨樫館があったことが確定した。冨樫館の遺構が確認されたのはこれが初めての事である。現在では堀跡は埋め戻され、町が買い取り公有地化されている。このため「野々市工大前駅」の脇に建っている「冨樫館跡碑」がある場所は、山川氏館跡であり、冨樫館跡とは400mも距離が離れている。
 冨樫氏は1335(建武2)年に初めて加賀守護となったが、それと同時に野々市に守護所を置いたと言われている。あるいはこの頃に冨樫館も築かれたのかもしれない。近くに川があり交通の便のよさもあり、守護所を置けば野々市は経済の掌握には都合のよい位置だったのであろう。野々市の町は活気があり発展したが、1488(長亨2)年の高尾城攻防戦以降では一向一揆の台頭により政治の中心は隣の加賀御堂(金沢)となって、野々市は廃れていったと思われる。今はかすかに、現在の町名(御所・館内・馬場先)がかつてを知る手段となっている。
●交通: 【冨樫館堀跡】北陸鉄道石川線野々市工大前下車徒歩10分
●交通: 【冨樫館石碑】北陸鉄道石川線野々市工大前下車すぐ
●詳細冨樫館コンテンツ参照。

↑館堀跡(公有地化されている。)

↑冨樫館石碑(野々市工大前)
(写真はクリックすると拡大します)

 

ふるさと資料館
 野々市の古代から近世までの時代の歴史的資料が展示されている。特に国指定史跡の御経塚遺跡や末松廃寺関係の出土品や展示物は充実している。加賀冨樫氏関係の資料もそれほど多くはないが、町指定文化財の冨樫泰高の古文書など年代別に数点が展示されている。入館料無料と言うのも有り難い。
●データ:入館料:無料。開館時間:10時〜16時。休館日:月曜、祝翌日、年末年始休館
●問い合わせ:Tel0762-46-0133
●交通: JR野々市駅から徒歩10分。御経塚史跡公園すぐ隣
野々市町立ふるさと資料館
↑野々市町立ふるさと資料館

 

野々市文化公民館
 以前はこの公民館内には「ふるさと展示コーナー」があって1485(文明17)年に書いたとされる「伝冨樫政親筆の馬の絵」や冨樫氏の古文書(写し)なども展示されていたのですが、改装によって無くなってしまいました。しかし、建物の外には冨樫家国の銅像と石碑が建立されている十分な冨樫スポットなのです。この銅像と石碑は冨樫氏一千年記念として建てられたものである。
●データ:入館料:無料。
●交通: JR野々市駅から徒歩20分。
富樫家国像
↑冨樫家国銅像と石碑
 
布市神社(野々市町指定史跡)
 布市神社はもとは「冨樫郷住吉神社」と呼ばれ、鎮守として野々市を護ってきた由緒正しき神社である。その歴史は古く冨樫家国が野々市に居館を構えた時、敷地内に神社の社殿を造営したと言われ、1009(寛弘6)年の頃の創建とも言われている。野々市が冨樫の下で発展をしていた時期は大乗寺とともに大きな影響を及ぼしたとも考えられる。
 1914(大正3)年に照日八幡神社と外守八幡神社と合祀され、現在の布市神社となったが、冨樫の由緒ある神社には変りはない。そのため、神社の前には「冨樫氏先業碑」が建立され、冨樫氏の功績を称える為に大乗寺住職が1488(長亨2)年に冨樫政親が自害するまでの冨樫氏500年の歴史を碑文に刻んでいる。
●データ:入場料無料
●交通: JR野々市駅よりコミュニティバスで15分布市神社バス停下車すぐ
布市神社
↑布市神社正面
冨樫先業の碑
↑鳥居横の「冨樫氏先業碑」
(写真はクリックすると拡大します)
大乗寺跡
 現在の大乗寺は金沢市長坂にあるが、元の大乗寺はここ野々市にあった。その始まりは、冨樫家尚が押野庄にあった大日如来を安置するために大仏堂の境内の一角に寺を作った1261(弘長元)年のことだと言われている。そして1293(永仁元)年に正式に加賀国初の禅時寺として開祖し、歴代冨樫氏の菩提寺でもあった。冨樫家善が大乗寺に田を寄進したりするなど、冨樫家と密接な関係を保ち、さらに南北朝期からは室町幕府の祈願寺ともなり、格式も権威もかなり高く、歴代将軍からも寺領を安堵されているほどだった。冨樫家も将軍との関係を重視していただけに、その外交方針が冨樫氏と大乗寺で合致していたのであろう。1488(長享2)年の高尾城攻防戦では冨樫泰高軍が兵2000人を率いて陣取ったとされ、軍事的にも重要な拠点であったようだ。しかし、その大乗寺も1580(天正8年)年の織田信長の一向一揆平定の際の戦火で焼失し、現在の金沢市長坂に遷座した。
 現在の野々市大乗寺跡はほとんど何も残っていないが、最近になって石碑だけでなく看板も立って少し旧跡として見どころがあるようになった。
●場所:野々市町押野・横宮・本町1丁目・2丁目付近

↑大乗寺跡の看板
大乗寺3
↑大乗寺跡の看板(巣鴨介様ご提供転載禁止)
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↑大乗寺旧址石碑の建つ場所
金沢の大乗寺
↑金沢に遷座した大乗寺
林光明様提供転載禁止!
(写真はクリックすると拡大します)

金沢市の史跡巡り

高尾城跡
 一向一揆方が長亨の一揆を起こし、冨樫政親を攻め自害させた高尾城である。その壮大な歴史もいまではすっかり色あせ、長らく放置された城跡は「地すべりの危険があるという理由で、南側の一部を残して城跡は壊され、その跡地に石川県教育センターの建物が建設された。」(『石川県の歴史散歩』より)ただ、発掘調査により、全ての高尾城遺跡が破壊されてない事がわかり、現在発掘調査を進めている。
●交通:JR北陸本線金沢駅バス額住宅線光が丘住宅行高尾南1丁目下車15分
●参考コンテンツ高尾城
高尾城跡
(写真は林光明殿の御提供のため転載禁止!
「遠くにかすむ山以外の、手前のほとんどの山が高尾城です。白く写っている真中の建物が県教育センターで出城のあったところです。」(文:林光明殿)

 

伝燈寺(冨樫晴貞最期の地)
 伝燈寺は僧兵の拠点であり、1570年に加賀冨樫家最後の当主・晴貞が一向一揆勢に攻められた時にかくまわれた場所である。つまりこの時、伝燈寺は一向一揆と対立していたのだ。しかし、一向一揆勢は強く晴貞は自害し伝燈寺は火攻めにあった。現在の伝燈寺は住職も常駐して居らず、地域に管理されている寺となっていた。それでも晴貞の墓地には花が添えられ、自然園が建てた看板もあるので、ここが晴貞の墓だとすぐに気づくことができた。地域の方々が寺を守っていく気概を感じることができる。
●交通:「伝燈寺」バス停下車すぐ
●所在地:金沢市伝燈寺町
伝灯寺1
冨樫晴貞の墓がある。
伝灯寺3
 
御廟谷(石川県指定史跡)
 御廟谷は冨樫政親の自害の地であり、冨樫家代々の墓と言われている五輪塔がある。2000年初頭の看板には、1488(長亨2)年の長亨の一揆で討死した額景春(丹後守)・額親家(八郎四郎)の遺骸を葬った石碑二基の墓石もあると言われていた。ここを訪れた歴史好きの人から「けっこう雰囲気的に怖いところです」「山歩きです」などと言われていたので、2023(令和5)年に巣鴨介殿と訪問した時にかなりの難所と覚悟していたが、実際は途中までは車で入れるような道路が整備されていること。御廟谷の入口から徒歩15分ほどで五輪塔に着く。そこまでの道も歩道が整備されていて思ったより歩きやすい。ただし「額谷ふれあい公園・リンゴ園」近くの御廟谷入口は「雨天通行禁止」になっているので注意が必要。
●交通:鶴寿園行き北鉄バス「いしかわ社会センター前」下車
●所在地:金沢市額谷
御廟谷9
↑五輪塔などの墓石で供養されている(2023年現在)
御廟谷02
↑2000年初頭の額氏墓所と伝える看板
bochibochi殿の提供ゆえ転載禁止!
御廟谷3
↑御廟谷はここから入る。
御廟谷4
↑車も途中までは入ることが可能。
御廟谷6
↑御廟谷入口からは徒歩のみ
御廟谷10
↑反対側の入口は立ち入り禁止だった

小松市の史跡巡り

安宅の関
 源平合戦の壇ノ浦の戦いで戦功を挙げた源義経であったが、謀反を疑われ兄の頼朝に追われる身となる。義経は弁慶と共に鎌倉幕府に服さない奥州平泉の藤原氏の下に逃れようと必死に北上した。そこで、「勧進帳」の物語で有名な“安宅の関”が登場する。1187(文治3)年義経と弁慶はなんとかこの安宅の関を通過しようとするのである。義経は荷役、弁慶は山伏に変身し関所を通過しようとするが、関所の主は頼朝から厳重に取り締まるよう命を受けた冨樫左右衛門泰家であった。冨樫泰家は弁慶を疑い本物の山伏なら「勧進帳持っているはずだからを読んでみろ」と命令する。本物を持っていない弁慶は真っ白な巻物を勧進帳の振りをしてそら読みするのである。しかし、荷役の義経をみて泰家はさらに疑う。そこで弁慶は金剛杖を使って「荷役の分際で義経に似ているとは」となぐりつける。泰家は義経の一行だと気づいていたが、あまりの弁慶の義経を思う心に心を打たれ、関所の通過を許可するのであった。弁慶は主に手を挙げた非をひたすら詫びるが、義経は弁慶の機転で難を逃れ、また弁慶の自分を思う心を痛く感じ入り許したのである。この美談が、能の「安宅」として上演され、その後にあまりにも有名な歌舞伎十八番「勧進帳」として演じられるのであった。
 この物語はあくまで読み物のとしてのフィクションであり、リアルな話であるとは思えない。また、安宅の関も考古学的発掘など行われておらず、伝承の地に「安宅の関址」の碑が建っている。また、この話を元に義経・弁慶・冨樫泰家の銅像が建つ。冨樫ファンならぜひ訪れたい。周辺の安宅住吉神社では、弁慶が難関を突破したということで、全国でも珍しい「難関突破」のお守りを売っている。
●データ:関址の石碑と銅像は入場無料で年中無休。勧進帳ものがたり館は入館料300円
●交通: JR小松駅から車で20分。小松空港から車で10分
安宅の関
(写真)義経・弁慶・冨樫泰家の銅像

福井県あわら市の史跡巡り

金津城溝江氏館
 溝江氏は1496(明応6)年に朝倉氏の家臣として名前が見え、金津を中心に一向一揆と対峙していた。その金津城溝江氏館に冨樫晴貞の兄・冨樫泰俊が客位していた。また弟晴貞と連絡も取り合っていたと言う。一向一揆と対峙する勢力の客将となっていることから、いずれは一揆方から独立しようとしていたのかもしれない。
●交通:北陸自動車道金津ICから車で15分
溝江氏館

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