読み仮名 | とがしやかた |
別名 | 冨樫城、布市城 |
所在地 | 石川郡野々市町住吉町地内 |
形式 | 平館 |
築城者 | 冨樫氏(冨樫高家ヵ) |
築城年 | 建武年間頃か |
遺構 | 堀跡(埋め戻されている) |
歴代城主 | 冨樫氏 |
交通 | ●堀の遺構へ行くには… 北陸鉄道石川線野々市工大前下車徒歩10分 ●石碑の場所に行くには… 北陸鉄道石川線野々市工大前下車すぐ |
冨樫宗家が居館した所。館がこの野々市に築かれたのは、冨樫家で冨樫高家が初めて守護に任じられた頃(建武年間ヵ)に、内陸流通経済の中心地である野々市に拠点を移してきたものと考えられている(詳しくは冨樫氏本拠としての野々市の役割参照)。平時には冨樫館に居住し、緊急時には他の城に拠った。1488(長享2)年に一向一揆に囲まれた冨樫政親は冨樫館の2Km東南の高尾城に拠っている。政親自刃後の冨樫宗家は引き続き冨樫館に居住したがすこぶる勢力は減退していた。冨樫晴貞が当主の頃には、高尾城も冨樫家のものでなくなっていたと思われる。 冨樫館の位置は、江戸時代の文献や絵図から野々市町住吉町付近にあるとと考えられてきたが、特定されるには至っていなかった。しかし、1994(平成6)年に住吉町の建物建設に伴なう発掘調査で、館の土居の外側にあると思われるV字の幅6m深さ2.5mの大規模な堀跡が発掘し確認され、ここに冨樫館があったことが確定した。堀跡は現在は埋め戻されているが、周囲より多少低くなっている場所がその堀の範囲である。大人の足で7歩程あり、いかに大きい堀かわかる。堀がこの規模なら館の規模も当然大規模だと想定できる。出土した日常雑器も珠洲焼や青磁なども見え、冨樫氏の館として生活していた一端が見て取れる。 現在では、この地を町が買い取り公有地化した上で、堀跡は埋め戻され保存されている。願わくば御経塚遺跡のように冨樫館跡全体も公有地化して館の全貌を解明してもらいたいとも思うが、周囲の住宅はどんどん建て直されており、早急な全面的な発掘調査はもやは絶望的な状況である。 |
<★☆★冨樫館跡その他の写真★☆★>
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![]() ↑現在の堀跡。埋め戻されている。 |
![]() ↑発掘当時の堀跡 (野々市市許可済転載厳禁) |
![]() ↑堀跡に建てられている説明板 (写真提供:林光明殿 転載厳禁) |
↑野々市工大前の「冨樫館跡」石碑 館跡と400m離れている場所にある |
![]() ↑館跡から出土した日常雑器 (クリックで拡大) (野々市市許可済転載厳禁) |
![]() ↑館跡から出土した銅鏡 (クリックで拡大) (野々市市許可済転載厳禁) |
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