能登畠山氏関連の史跡巡り


志賀町の史跡巡り
(旧志賀町・旧富来町)
志賀町公式サイト:http://www.town.shika.lg.jp/
≪志賀町のDATA≫
人口:20,513(2018年10月31日現在)
由来:町名の由来は近世以来の郷村名で、市町村合併でも残った名前。

末吉城址(堀松城跡)
 堀松城は、応永年間(1394-1427)に創築され、応仁の乱後に完成された中世城郭である。中世の日本海海上交通において志賀町にある福浦港(福浦湊)は重要な要所であった。そのことからもこの志賀町の支配は守護畠山氏にとって要であり、この城にも重臣の平氏が配置されていたと言う。詳しくは本サイトの「堀松城」へ。
●データ:入場無料。駐車場は付近にはありません。隣接する西来寺さんにとめる時には一声かけましょう。
●交通:「のと里山海道」西山I.Cから車で約5分
参考ページ「堀松城」
堀松城
(写真:末吉城址 城郭主要部跡)
旧福浦港(旧福浦湊)
 福浦は「ふくら」と読み、「福良」とも書いた。七尾の西に位置し、外浦の拠点となる港であった。昔は渤海(ぼっかい、698年〜926年=中国東北部にあった国で)という国が200年もの間に日本に34回も使節派遣した。福浦港はその使者が訪れたり、出港したり、宿泊したりした港である。日本海に突き出た能登半島だからこそ使節も能登に到着しやすかったのであろう。一節には渤海施設が宿泊した「能登客院」があったとも言われている。渤海使節がいた港だから、当然船を修理したり補給したりする必要もあったわけで、福浦港も栄えたと思われる。江戸時代では北前船の寄港地として繁栄した。中世の資料はほとんど残っていないが、以上のことから中世も主要な港として機能したものと思われる。
 このため、1877(明治9)年福浦港に高さ5mの木造の灯台が設置され、1952(昭和27)年までおよそ70年もの間使用された現存する我が国最古の木造灯台(石川県指定史跡)である。
●交通:「のと里山海道」徳田大津I.Cから車で約20分
旧福浦港2
↑現・福浦港
旧福浦港1
↑旧福浦灯台
松尾神社
 志賀町に古くからある松尾神社は、834(承和元)年に山城国松神社より勧請(かんじょう)されたと伝えられている。現在の社殿の建立は、その構造や手法から室町時代末期と推定されており、「永禄2年」と書かれた、松尾大明神懸仏(かげぼとけ)が同時期に作られたものと考えられているらしい。時期的に考えると、畠山義綱弘治の内乱で反乱軍をほぼ鎮圧した頃がこの1559(永禄2)年であり、義綱はこの地域の寺社の支援を取り付けるため、積極的に社寺造営を進めていた時期でもある。ひょっとすると、この建物も義綱が建立させたものかもしれない。ちなみに、松尾神社では本殿が1980(昭和55)年5月31日に国指定文化財へ指定され、1984(昭和59)年3月26日に拝殿が石川県文化財に指定されている。今度の私が行く能登旅行ではぜひとも行きたいスポットである。
●交通:「のと里山海道」徳田大津I.Cから車で約25分

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