能登畠山氏関連の史跡巡り


羽咋市の史跡巡り
羽咋市公式サイト:http://www.city.hakui.ishikawa.jp/
羽咋駅 (←写真)JR七尾線羽咋駅
口能登最初の都市である。駅前もそこそこにぎやかである。
羽咋市は観光に力を入れており、色々なみどころがある。
・千里浜渚ドライブウェイ
・気多大社
・永光寺
・コスモアイル羽咋
 などなど、観光としてもっと目立って良い都市である。
≪羽咋市のDATA≫
人口:21,733(2018年11月1日現在)
由来:村人を悩ます大毒鳥に犬が飛びかかり「羽根を食わえてきた」が由来。

気多大社(国指定史跡)
 気多大社は能登の一ノ宮で、古代から能登の信仰を集めてきた。中世に入り畠山義綱畠山義慶が朝廷の勅許を得て再建するなど、古くから能登の政権と関わってきた同社である。本殿左の摂社若宮神社(国指定重要文化財)は畠山義慶が再建した当時のままの姿を保つ貴重な木造建築である(下の右側の写真)。神社の奥の「入らずの森」は天然記念物になっており、歴史と自然を感じさせる神社である。なお、この神社は「縁結び神社」と呼ばれ、恋多き若者がたくさん参拝に来るので有名である。
●データ:拝観料:無料。休日:年中無休。開放時間:8:30〜16:30
●問い合わせ:0767-22-0602
●交通:JR七尾線羽咋駅から北鉄バス「富来」行で15分「一ノ宮」下車で徒歩3分。
●ホームページ:気多大社ホームページ

気多大社
(写真:気多大社)
気多大社内の若宮神社
(写真:気多大社内の若宮神社)

 

永光寺(石川県指定史跡)
 永光寺は道元の3代目の弟子の瑩山禅師が1312(正和元)年に開祖したという曹洞宗の有力寺院である。室町時代には能登守護畠山氏の外護を受けるなど政権と縁が深かった。応仁の乱(1467年)で寺はかなり焼かれたが、それでも古文書はそこそこ残っている。能登畠山氏が滅亡し、前田氏の支配になると永光寺の運命も大きく傾く。1579(天正7)年に兵火に焼かれたとされ、前田の手のものではないかとされる。さらに江戸時代になると前田藩より「無住の寺」という理由で、寺領が20石に減らされると、寺を維持できるはずもなく、どんどん荒廃していった。現在のように伽藍が整備されたのは平成の時代になってからであり、全国の寺の寄付で再建した。しかし、現在でも檀家は僅か80軒ほどであり、今後の維持管理に課題が残る(2008/10/4住職談)また歴史研究にも熱心なのか、『永光寺の宝物』などの書籍で古文書紹介などを積極的に行っている。
●データ:拝観料:300円。休日:年中無休。開放時間:8:00〜日没
●問い合わせ:0767-26-0156
●交通:JR七尾線羽咋駅から北鉄バス「七尾駅」行で15分「寺境」下車で徒歩15分。

永光寺・山門
(写真:永光寺・山門)
永光寺・伝燈院
(写真:永光寺・伝燈院)
応仁の乱による再建以来最古の建物
永光寺・講堂
(写真:永光寺・講堂)

 

羽咋市歴史民俗資料館
 羽咋の歴史資料を展示した資料館。永光寺、気多大社など中世から続く大きな寺院を抱える羽咋だけに中世資料の充実を期待したが、だいだい近世・近代資料が中心。江戸期や明治期の農具や生活用品の展示が主。しかし、永光寺の発掘調査報告書や『羽咋のれきし』など中世に関わる書籍を販売しているので、寄ってみても損はない。なにより入館料無料だ。
●データ:入館料:無料。休館日:月曜日、祝日、年末年始。開館時間:9:30〜17:00
●問い合わせ:0767-22-5998
●交通:JR七尾線羽咋駅から徒歩10分。文化会館前バス停から徒歩2分。
●ホームページ:資料館公式サイト

羽咋市歴史民俗資料館
(写真:羽咋市歴史民俗歴史資料館)

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