越中永正の乱
[1519年〜1522年
]

畠山・長尾連合軍VS神保慶宗軍

●原因
 この頃、越中は河内畠山家(畠山尾州家)の当主である畠山尚順が守護であったが、尚順は越中には在住しない守護であった。また尚順は分国・紀伊の支配を維持するのに手いっぱいの状況で、その支配力は越中まで及ばなかった。それゆえ16世紀に入ると国人達は守護代の神保慶宗派と反慶宗派に分かれて互いに勢力争いを行い、越中は混乱を極めていた。そこで、事態を重く見た越中守護畠山尚順は畠山庶家の能登畠山家当主である畠山義総と長尾為景に、混乱の根元とみていた神保慶宗の討伐を要請した。長尾為景がこの要請に快く応じたのは、尚順より新川郡守護代を与えられる約束のがあったからであろう。また、先年神保慶宗のために長尾為景父・能景が援軍として越中に出兵した際、戦闘で討死したのは慶宗のせいであると恨んでいる要因が強くあった。ただ、越中永正の乱は、神保慶宗を打倒した後も一向一揆と関係が悪化したため1522(永正19)年まで続く。
畠山・長尾連合軍   神保慶宗軍  
勝敗 WIN LOSE
兵力 詳細不明 詳細不明
本拠地 七尾城・春日山城 二上城
総大将 第1次:畠山勝王(河内畠山)
第2次:畠山尚順(河内畠山)
(代理として神保慶明があたる)
神保慶宗→戦死
主力 畠山義総(能登守護)
長尾為景(越後守護代)
遊佐慶親(越中守護代)
斉藤藤次郎
椎名慶胤(越中守護代)
内ヶ島兵衛大夫→戦死
越中土肥氏
一向一揆(大永の乱から)
越中永正の乱

●経過

(第1次神保慶宗征伐)

(第2次神保慶宗征伐)

(越中大永の乱)

●合戦の影響
 合戦の終了後畠山義総は、領国の主導権を握る越後・長尾、越中・神保等の守護代層と提携し、北陸の政情の安定を図るため両越能三国同盟を結んだ。こののち義総は加賀の本願寺勢力とも協調体制をとり、北陸の政情は義総を中心として安定をみた。また、長尾為景は約束通り畠山尚順に新川郡の守護代を任じられ椎名氏を又守護に任じている。従来より、畠山宗家の越中での影響力はこの頃には無くなったとされていたが、畠山宗家の影響力は能登畠山家や越後長尾家に及び、間接的にではあるが影響力を及ぼし、無視できない状況であったのである(詳しくは北国の政治秩序「畠山体制」参照)。
●義綱考察
 この合戦は長尾軍を主力に行われた。それは、根底には為景が越中にも影響力を持ちたい(能景の越中での討死の敵討ちの念もあろう)という気持と、尚順の越中戦乱の鎮圧の思惑が重なった理由からであろう。この前提があるから、長尾為景は越中守護である畠山尚順に従順に従う態度を見せるのである。であるから、これは純粋な領土拡張線とは一線を画すものである。それは、畠山 ・長尾連合軍の勝利後の新川郡の統治に為景が直接当たらず椎名氏を又守護に任じた事からも推測で きる。しかし、この体制は必然的に椎名氏を長尾家が支援する態勢となり、神保と椎名の政争に長尾家が介入すると言う複雑な政治状況を生んだのである。
 畠山義総について言えば、第一次征伐に おいては出兵に消極的姿勢であった。しかし、2次征伐において畠山尚順が義総の出兵を強く求めたの は、何も第一次征伐の失敗だけに理由が求められるものではないと思う。河内畠山家にすれば能登畠山家は同族であり、越中の管理を代行してもらいたいという意図があったのではないかと思う。とすると、この措置は長尾為景の動きを牽制したものであろうか。

(注釈)
(注1)東四柳史明氏は著書「畠山義総考」において、第1次神保征伐に畠山義総は加わっていないと指摘している。 1519年冬の「能登口不慮出来、無念此事候」(永正十七年正月廿七日付畠山尚順書状「上杉家文書」)というのは、上杉軍の能登にいる軍が劣勢であると推測している。また、第2次征伐に参戦した理由については、畠山宗家が能登畠山の力を借りないと鎮圧できないのでなんとか義総を説得して参戦させたという理由をあげている。しかし、久保尚文氏は東四柳氏の考察を誤りだとする説を展開している。

★参考資料
二上山城遠景
↑二上山城遠景

参考文献
池上裕子(編)『クロニック戦国全史』講談社,1995年
久保尚文『越中中世史』桂書房,1983年
久保尚文他『新版県史富山県の歴史』山川出版.1997年
(共著)『北陸社会の歴史的展開』桂書房,1992
(共著)『新潟県史 通史編2中世』新潟県.1987年
(共著)『富山県史通史編中世』富山県
久保尚文「遊行上人のみた越中永正の乱」『かんとりい』4号,1980年
東四柳史明「畠山義総考」『北陸史学』30号,1981年
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