林光明様著作物・継承コンテンツ
リアル!戦国時代 vol.15
第15回 中世のハイウェイ・水運シリーズ 富の集積地、港と関所
中世前期まで淀の外港としての兵庫は国内最大の湊町で、ここに出入りした船舶はほぼ瀬戸内一帯から来航していました。
ここは瀬戸内水運の根幹港として、京都に物資を送る者はここで川舟に荷物を移す必要があり、港には東大寺の北関、興福寺の南関と関銭徴収のための関所がありました。
関所とはいえ、だいたい通行料の私的な徴収所であり、現代的感覚からすれば、そんなもの支払う義理はないと思うのですけれど、当時の大寺社の威勢というものはなかなかのもので、軍事力を持った大荘園領主としてあちこちにコネクションを有していますから、払わずに済ませるというのも難しかったことでしょう。
この兵庫関には、かの有名な『兵庫北関入船納帳』というものが残っており、その繁栄の様子をしのぶことができます。
文安4(1445)年正月〜2月9日までの『兵庫北関入船納帳』には、この時期の間、米、大豆、豆、赤米、胡麻、塩などの回送が確認されています。
このうち約13日間で50隻以上の船舶が入港し、年貢などを輸送した当時の盛んな水運がしのばれます。
また、文安元(1442)年11月〜文安2(1443)年11月までの1年間の関銭納帳(『東大寺文書』)には、西宮の舟157隻、阿波の舟69隻、淡路の舟50隻、木津の31隻をはじめ、諸国諸港の船が続々と入港してきたこともわかっています。
このうち西宮の舟は1隻につき101文、人間を乗せる「人舟」は45〜100文程度、大小の木舟は一律45文を関銭として納めており、他に年貢船なども関銭を納めていました。
木舟というのは、材木を運搬するというよりも、おそらく薪などを運んだ舟と考えられています。
時代はさかのぼりますけれど、鎌倉末期の元徳(1329〜1331)頃には1200貫文、約100年後の永享8(1436)年には750貫文、嘉吉3(1443)年には900貫文、寛正4(1463)年には600貫文の関銭が東大寺に納められました。
また、興福寺の南関では、寛正4(1463)年の関銭収入が700貫文以上あり、かなりの収入となっていたようです。
寛正4年だけを見ても、南北両関の総額は1300貫文以上となります。
前項で記したように、普通の荘園の年貢収入が年間で1荘につき約100貫文〜200貫文ですし、これが大荘園になっても1000貫文程度ですから、国内水運向けとはいえ、なかなかの高収入です。
これら輸送船や交易船には2種類ありまして、関銭を支払う一般の船と、関銭を免除された「過書船」とがありました。
「過書」というのは関銭免除の特許状で、幕府や大名が発行したものです。
いずれも特許状を出したものに特別な関係があったもののみで、普通の年貢船などがこういうありがたい文書をもらえることはありませんでした。
このように中世を代表する兵庫港ですが、応仁の乱以後は新興の堺にその地位を奪われ、年間100貫文の収入ほどしかなくなってしまいました。
堺そのものの収入高はほとんどわかっていませんが、前掲の兵庫関の統計資料から、戦国時代後期、国内最大の物資の集散地であったことを考えると国内だけで数千貫文、これに海外からの貿易額を加えると、優に1万貫文を越えていたのではないかと思われます。
物価のレベルと内容が現在と本質的に異なるために、単純な比較はできませんけれど、一般的な戦国大名クラスにとってもこの額は巨額です。
関東に覇を唱えていた北条氏の永禄2(1559)年の家臣所領の合計が7万貫文、奥州伊達氏の天文7(1538)年の年貢総額が約7000貫文以上ということで、所領と年貢総額の違いもあり、これも全く単純な比較ができなくて申し訳ないのですが、これらはすべて広範囲な領地からあがってくる額です。
さすがに北条氏は大きいですし、伊達氏もさすが奥州の雄という感じがします。
しかし前述したように、これらは数カ国や数郡という「非常に広範囲な領地」から、あがってくるものです。
兵庫や堺の場合は面積的には1つの町に過ぎないのですから、当時の流通拠点の、集金力の凄さがわかろうというものです。
ただ堺に関所が林立したという話はありませんから、この額はあくまでも堺衆全体のもうけた額となります。
ですから後に信長が堺に対して2万貫文の矢銭を課した話も、相手が国内海外の両貿易を一手につかんでいた堺だからこそ言い出せたことで、途方もない額ではあってもあながち絶対に無理という話ではなかったのでしょう。
信長以後の集金力に長じた大名ばかりを見ていると、金銭に対してどうしても観念的になったり紋切り型ですませがちですが、いろいろな資料を組み合わせてみると、相対的ではあっても何らかの形が見えてきます。
面倒でもこういうのをひとつひとつ組み合わせていくと、楽しい新発見ができるかも知れませんよ。
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