林光明様著作物・継承コンテンツ
リアル!戦国時代 vol.1

第1回 文部科学省のなかった時代

当たり前と言えばそうなんですが、実はこれが案外見落とされがちなのです。
どういうことかと言いますと、たとえば字の使い方などについて、これが正しい!なんてことは、誰も言わない時代だったということです。
特に人名や地名にちょくちょく出てくるのですが、「三河守」を「参河守」と書いたり、はては自分で自分の名前を、違う字で書いたりしているのです。
それでそういう手紙なんかをもらった方も、別にとやかく言うわけでなく、また違った字で相手に返事を書いたりしているわけですから、これはそれでもオッケーの時代と言わざるを得ません。

しかも当時は、行書体や草書体が公的な書き方ですから、読み間違いや書き間違いもちょいちょい起こります。
奈良時代はまだ楷書が公的な書き方だったのですが、平安時代以降、公私にわたって行書体や草書体が幅を利かせ始めるようになります。
明治になってから楷書が復権して、公的に使われだしたという話も聞きますけど、家に残っていた戦前の戸籍謄本を見てみますと、昭和初年の頃なのに草書体で書いてあって、読むのにとにかく苦労したことがあります。
それを考えると、本当に公的に活字が使われだしたのは、かなり新しいことなんだなと思いました。

この話についてもう一つ。
明治になってから、字を読めずに学校に通っている子供に習う、大人の話があちこちの資料に出てきます。
確か江戸時代は世界的にも庶民の識字率が向上した時代だったはずで、町人だろうが農民だろうが、特に幕末あたりは簡単な本程度は読めたはずなのに、どうしてなんだろうと思っていました。
ベストセラーだった『八犬伝』とか『膝栗毛』とか、ああいうのはページの3分の1以上、字がえんえんと書いてありますからね。
しかもあれは、ほとんどひらがなの連続したくずし字で書かれていましたから、物好きな私でもなかなか手が出せませんでした。
そこで、はた!と気がついたんです。
明治になってからの学校の教科書の字は、すべて楷書の活字で書かれている!
これは大人は読めなかったろうと思います。
まあ、それでも別に外国語になったというわけでもないので、子供に習う大人の数は急速に減っていったみたいです。

…かなり話が横道に入り込んでしまいました。元に戻しましょう。
読み間違いと書き間違いの話です。
私の体験ですが、ある連判状みたいな古文書を活字化したものの中に、「興 修理」なる人物が出てきました。
なんとも変わった名字だなと思っていたところ、それ以降の古文書には、その人物はまったく出てこないのです。
おかしいな、そんなはずはないしな、と思っていたら、一月後の連名文書には「奥 修理」と書かれていたのを発見しました。
はじめは別人だと考えていたのですが、二つの文書の内容から見ると、どう考えても同一人物なのです。
こういう字を、なんで間違えるかなと思っていましたが、よく考えてみると、草書体にした癖の強い字だと、「興」も「奥」も見分けがつかないんです。
「興」と「奥」、どっちが正しいのかは、いまだによくわかりません。

名のある戦国大名にしても、自分で長ったらしい文章を書くなんてことは、よほどの必要がない限り、しませんでした。
今に残っているこの種の古文書のほとんどは、右筆と呼ばれた人々の手になるもので、案外整った字で書かれています。
一国を支配する身ですから練習はしていたはずですけれど、右筆にはかないませんからね、個性の強い字がそのまま残っています。
秀吉の字は、かなくぎ流で有名だそうで博物館で現物を見た限りにおいては、人のこと思いっきり言えませんが、へたくそでした。(爆)

そんなわけで、このページの中で誤字を見つけられた方は、声高に述べられるのでなく、私の方にそっとメールで教えて下さい。
オチがついたところで、第1回目のリアル!戦国時代を終わります。ご清聴有難うございました。

追而 英語の第二公用語化という話も聞きますが、自国語を大切にしない民族は滅びますよ…

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