温井館(温井館址)
(写真:温井館址の石碑)
読み仮名 | ぬくいやかた |
別名 | |
所在地 | 七尾市温井町 |
形式 | 平山城(館) |
築城者 | 温井ヵ |
築城年 | 応永年間以前 |
遺構 | 郭、土塁 |
歴代城主 | 温井氏 |
交通 | JR和倉温泉駅から車で20分 |
応永年間の畠山氏入国以前から温井氏の館があったと伝えられる。温井氏は畠山氏の家臣となったが、6代当主畠山義元までは七尾城の麓に守護館があったので、温井館もその当時までは使用されていたかもしれない。義総時代以降、七尾城に大名も家臣も住むようになり、温井屋敷も見えるのでその時期以降そちらに移ったのかもしれない。戦国期の戦乱時代温井館の名が見えないことも、戦国期までには温井館が衰退していた微証かもしれない。 現在の温井館跡は「館山」(たてやま)と呼ばれているが、館跡のほとんどの大地が畑地になっていることもあり、遺構はあまりみられない。中腹部に土塁や郭がかすかに残る程度だが、館山の中心部にはかなり広い平坦面がある(電力会社の電波鉄塔が余裕で建つほどの広さである)。また、館山駐車場からほどなく登ったところに「温井舘跡」という石碑が温井・三宅氏末裔によって建立されている。この館跡は館として使用するに丁度良い大きさの丘陵になっており、中世武士の館の形態を考えるにはよいかもしれない。七尾城下町との距離を考えると少々遠いので、その意味でも館が廃れたのかもしれない。興味深いのは、館跡に温井氏と三宅氏の代々のお墓があったこと。史実でも仲のよい両家は現在でも仲が良いのかと思った。 |
<★☆★温井館址その他の写真★☆★>
(写真をクリックすると拡大できるものもあります)
↑館址への入口 |
↑「館山の由来」の石碑 |
↑石碑への道 |
↑石碑の周辺 |
↑墓だけに石仏があります。 |
↑館平坦部には電波鉄塔が建つほどの広さがある。 |
↑館址には駐車場もある。 |
↑温井館遠景 (写真はクリックで拡大) |
↑温井館入口 県道18号平詰橋を渡る。 |
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