読み仮名 | やまごうやかた |
別名 | − |
所在地 | 野々市町本町 |
形式 | 平館 |
築城者 | 不明 |
築城年 | 不明 |
遺構 | − |
歴代城主 | 山川氏ヵ |
山川氏は冨樫氏の一族で、冨樫家経の子にあたる繁家が始祖にあたる。現在の山川町あたりを領していたと思われ、山川三河守の居館の本館は伝承によると冨樫館北西の場所にあったと言う。現在の場所で言うと「野々市工大前駅」の駅前である。上記写真も駅前にある。つまり「冨樫館の石碑」がある場所は、本来「山川氏の館」だった場所なのである。写真2を見ると、山川氏館は、野々市の町から離れた所にある。ここは野々市の防衛拠点だったのかもしれない。この館に、1484(文明16)年か、1486年(文明18)年に山川三河守が連歌の会を開催し、連歌師の宗祇を招いている。加賀守護代として文化水準も高かったことが窺える。 江戸時代の記録によるとわずかに土塁が残っていたと言われる(『ののいち歴史探訪』野々市町教育委員会発行より)。山川氏は金沢市にも居館跡と言われるところがある。その館跡付近に神社があり、その付近にある山川砦は「見張り台」として機能していたのではないかと高井勝己氏は指摘する(『北加賀の山城』高井氏自費出版より)。 野々市町の山川館跡については、館跡と推定される場所が1993(平成5)年、建物建設に伴なう発掘調査が一部付近で行われた(『富樫館跡V』2003(平成15)年)。発掘調査では遺構として縄文時代の土器や屋外炉も確認された。近くには近世以降の道が確認されているが、主たるものとしては中世では土師器皿、加賀焼甕、瀬戸・美濃の丸碗。珠洲焼擂鉢、越前焼壷も確認され、14世紀〜15世紀の遺構・遺物が確認されている。従って屋敷跡の徴証は確認できなかったが、「山川館」の存在した可能性はあると考えられている。 |
写真1 山川館の看板は「野々市工大前」付近にある |
写真2 |
写真3 山川氏館の周辺の文化財 |
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