第参章「初陣の章」

1、人の心

 弘治元年(1555)八月初旬、義綱はやや緊張した面持ちで家臣たちが集まる七尾城中の評定の間で、これからの対温井政策のための軍議を開催していた。
「温井の侵攻はもはや時間の問題である。勢力は互角。とすれば戦は総力戦となる。それゆえ、我が畠山家も総力を挙げて戦わねばならない。この時期に我が軍が隙をみせればそこから攻め入られ均衡の糸は崩れよう。しかし、ただ守るだけでは『座して死を待つのみ』である。ならば、皆の命をこの義綱に預けて迎撃しようではないか。皆の者、義綱に付いて来れるか?」
家中は温井侵攻の危機感から緊迫していたが、義綱の強気な言葉に一同心を動かされた。
「わしらは皆、御屋形様のご指示に従いまする。どうか、ご指示を。」という言葉があちらこちらから聞こえてきた。

畠山家中が義綱を中心に一丸となった“義綱専制体制”が確立した瞬間であった。今までの能登畠山氏は、安定していた義綱祖父の義総政権の時でさえ守護−守護代体制を崩す事は難しく、大名の直接支配体制はできなかった。しかし義綱はそれを打破し、能登畠山氏を戦国大名に脱皮させようと画策していたのであった。そしてその第一歩を今踏み出したのである。家中をまとめあげるのは、強大な権力より人の心をひきつけることだ…それが若い義綱にはわかってた。それはまるで祖父・義総の姿のようだった。

「うむ。それでは、早速温井侵攻に対する指示を与える。温井・三宅は紹春が対本願寺交渉にあたっていたことから、一向一揆と協力してくるだろう。それゆえその動きを事前に抑えたい。この軍使の任を飯川越後守に任ず。本願寺が温井に協力しないよう交渉してくるのだ。」
「ははっ。直ちに加賀へ向かいまする。」
「それから、婚姻関係にある六角家にも連絡を取れ。幕府に交渉でさらに本願寺を揺さぶるのだ。この軍使の任は神保宗左衛門尉に任ず。」
「承知致しました。直ちに六角家へ向かいまする。」
「あとの者は温井の侵攻に備えよ。長期戦になるやもしれん。食料は早めに収穫し、民家には鍋など攻城に使えるものを隠させるなど篭城の準備もしておけ。温井の侵攻は近いぞ。」
「御意。一所懸命温井の侵攻を防ぎまする!」
「されば皆にもうひとつ言っておくことがある。」
「ははっ。」
「こたびの戦は総力戦じゃ。それゆえ、敵に落とされる城もあろう。しかし、本城(七尾城)から後詰(救援)は基本的にしない。」
義綱が言うと一瞬にして、部屋内にどよめきが起こった。それはそうだ。各支城は本城からの後詰を待っており、それまで懸命に城を死守しようとするのである。しかし、後詰がなければ篭城しても勝ち目がないも同然で、戦意も無くなる。
「よいか、皆のもの。敵の目的はこの七尾城ぞ。そのため、各城を襲って七尾城兵をおびき出そうとするであろう。その手に乗ってしまえばいくら堅固な七尾城でも危うい。なれば、ここは敵の手に乗らぬことだ。だから後詰はできぬ。だが、皆のもの命をなげうってはならぬ。引き際を考えよ。されば必ず七尾で主等を迎え入れよう。」
「…。」どよめきは多少減ったが、まだ続いていた。
「ふっふっふ。安心せよ。わしは取られたものは必ず取り返す!それまでの辛抱じゃ。勝ったおりの恩賞を楽しみにしておけ!」
「なるほど、さすがは聡明と名の高き御屋形様!」
義綱の強気の言葉を聞いた家臣達の意気は上がり、早速方々に飛んで行った。

先の大槻・一宮の合戦では陣代として父・徳祐が出陣したため、義綱にとってはこの戦が初陣となる。しかし、初陣とは思えないほど義綱の指示は的確で、戦の先を読んでいた。それゆえ、家臣は安心して付き従っていくことができたのである。義綱は家臣の掌握に見事に成功したのである。

七尾城が篭城の準備で忙しい合間、するりと光誠が義綱に近づいてきた。
「御屋形様、遊佐続光が殿に面会を求めておりますが、いかが致しましょうか?」
「続光が?・・・まあよい。通せ。」
「ははっ。」
すると、光誠と続連が控えている評定の間に続光が入ってきた。
「義綱様。この度は奸臣粛清の御成功、この続光大変嬉しく思っております。」
「続光。形式的な挨拶はよい。本音で物を申せ。」
「では失礼ながら・・・。私の元に温井続宗以下の不穏な動きの情報を得ております。奴等は畠山一族の・・・」
「晴俊を擁立しようとしているというのであろう。」と義綱は笑って言った。
「さすがは聡明とお声高き義綱様。全くその通りでございまする。又、一向一揆とも連絡を取っている様子。しかれば、温井等の軍勢は大規模のものとなりましょう。そうなれば、今の畠山家の勢力では太刀打ち出来まいと私は考えておりまする。」
すると、後ろにいた続連が口を挟んだ。
「これ、続光。浪人ふぜいが出すぎたことを言うでない。」
「続連。よいのだ。続光、そちの考えを聞こう。」
続連は渋々口をつぐんだ。
「はっ、有り難き幸せ。温井の能登侵攻は間近のものと迫っており、もはや兵力増強の猶予もありませぬ。そこで、越後・長尾、越中神保や椎名に援軍を打診してみてはいかがでしょうか?幸い、私は先の戦いのあと越後に潜伏しておりました。長尾家とは交流があります。ゆえに、私を長尾家との交渉役に任じては頂けないでしょうか。」
「それは、畠山家に帰参したいということだな。」
「はい。単刀直入に申せば、そうなります。」
すると、続連が義綱の前に出てきた言った。
「恐れながら申し上げます。この男は、天文二十三年における戦いの謀反人。その人物の帰参を許さば、畠山家の威信に傷が付きます。私は続光の帰参には反対です。」
(続連は大槻・一宮の合戦での実情を知らない。それゆえそのようなことが言えるのであろう。しかも、越後の長尾に頼ると言ったことも続光を嫌う要因となったのであろうな。)と義綱は考えた。
「続連。この非常事態に畠山家が面子を取れば、能登は温井の手に落ちるのではないか?私の考えは続光と大して相違はない。」
「さすがは兵法に通じた義綱様です。」とすかさず続光が言う。
「続光が温井の侵攻に対して、全力を尽くすと誓うなら畠山家への帰参を許そう。」
「恐悦至極に存じます。すでに準備は出来ております。閏十月には兵を率いて能登に帰参致しまする。」
「わかった。続光の帰参を許そう。また、以前の官位であった『美作守』の官職も名乗って良いぞ。」
「有り難き幸せにございます。この美作(続光)、全力をもって温井討伐にあたりまする!」
その言葉に、続連は憮然としていた。


2、偽りの日々

 温井軍の侵攻は思いのほか早かった。弘治元年(1555)八月中旬に加賀へ侵入していた越前の朝倉軍大将・朝倉宗滴が陣中で病気にかかり越前に軍を撤退させると、本願寺は温井の支援を開始した。それを受けて温井方は、畠山晴俊を大将として温井続宗、神保総誠、三宅総広、三宅綱賢らが能登に侵攻を開始した。いわゆる「弘治の内乱」である。この内乱の反乱軍の総大将・畠山晴俊は能登畠山家の庶流ではあるが、かつて前将軍・足利義晴に能登畠山家の家督移譲を願い出るなどかなりの野心家であった。その野心を温井続宗が利用して総大将に擁立したのであった。
「皆のもの。畠山義綱は畠山家中を欲しいままにし、悪政を働く不埒者である。義綱を打倒して晴俊様を畠山家の当主として、一層畠山家を盛り上げようではないか!そのためにも、我等は勝たねばならぬ!良いな!」
ざっと集まった兵は約六千。温井続宗は兵士達に檄を飛ばした。

 一方、義綱陣営では予想外の温井方の侵攻の早さと本願寺の温井支援になすすべがなく、自陣営も軍勢を整えられずにいた。そこで七尾城で緊急の軍議が開かれることになった。義綱の前に飯川越後守が前に出て、悔しそうな顔つきで義綱に報告した。
「申し訳ありませぬ。本願寺との交渉は不調に終わりました次第…。」
「…くっ。これほど早く侵攻してくるとは…。本願寺の軍勢を加えると、とても畠山家だけの力だけでは防ぎきれない…。」
すると、三宅一族で唯一義綱陣営に味方した三宅続長が言った。
「御屋形様。このまま黙って続宗らに口能登を明渡すわけにはいきませぬ。後詰をしないまでも、道に待ち伏せ奇襲をかけましょう。」
すると、長続連が前に出ていった。
「奇襲をしても完全なる勝利はできぬ。ここは兵力を温存いたしましょう。」
「うむ。七尾城は日の本でもまれの堅固な要塞。輩もうかつに手出しはできまい。」と義綱の父・徳祐も言った。
「……。温井軍に口能登を占領されるのは実に口惜しいこと。しかし、いたずらに討って出て兵を消耗しては長期的にみると得策でない。輩は一向衆を味方につけているのだ。門徒の人数・資金力は底知れぬ。短期決戦にしては、我が方の戦力が不足している。長期決戦にしては、相手方との資金力の差で負けている。…ゆえに、この合戦は中期戦勝負。短期的戦略としては七尾城に篭城し兵力を温存し、中期的戦略としては敵の分裂工作を行い、他国からの援軍を引き出すのだ。決して戦いを長期にしてはならない。3年…3年以上この戦を続けてはならぬのだ。」
義綱の言葉に家臣達の反応が無く部屋は静まりかえっていた。義綱の自軍分析は的確で優れていたが、家臣たちは、短期決戦ではだめ、長期決戦でもだめというあまりの自軍の不利な状況に自信を失いかけていた。
「皆は先日、私に付いて来くると言ったな。では、その心が変わった者は、温井方へでもどこへでも行け。行ったとしても追っ手は出さん。この義綱に付いて来れる者だけ残ればよい!」
そう義綱が言い終わると、家臣達は感極まってあちらこちらから声を発した。
「私の心はいささかも変わり有りません。御屋形様に生涯着いて行きまする!」
同時に先ほどとは皆の目の色が変わっていた。(御屋形様に付いていけば必ず勝てる!)自軍の戦略に自信を持てたのだ。
(御屋形様はたくましゅうなられた。人心の掌握は難しい。それも、これほど困難な状況に立たされればなお更だ。しかしその状況を逆に利用し、畠山家中を本当にひとつにまとめた。これなら我が陣営の土台が揺るぐことはないだろう…。戦える!この内乱はきっと勝てる!)
と飯川光誠は心強く思った。
「ではまず美作守(続光)、軍使として奥能登に向かい一向衆を我が方に味方につかせよ。手始めに内浦の大坊主・禅経坊を味方につけるのだ。能登の一向宗は必ずしも一枚岩ではない、付け入る隙は十分にあるはずだ。松波の畠山義遠とも連絡を取り確実に禅経坊を味方につけるのだ。美作守に船を貸し与える。海を渡って行くがよい。」
この戦の状況下、どこに敵がいるかわからない状態だが、続光は怯まなかった。
「早速内浦に向かいまする。」
「美作守。禅経坊にこう伝えるのだ。『我軍勢は幕府より認められ反乱軍を誅する大義名分がある。我等に味方すれば、戦後に領地の安堵と寄進を約束しよう』と。」
「御意にございます。」

−温井軍陣中−

「晴俊様。口能登と羽咋郡が我が方の手中に収めました。義綱方は支城に後詰も出せぬ状態で七尾城に篭城した模様ですが、すっかり守勢でございます。」と温井続宗が温井紹春を思わせるような不敵な笑みを浮かべて言った。
「はっはっは。義綱を能登から追放する日もそう遠くないな。……おい、続宗。わしはかねてから義綱に対抗するため、畠山家と敵対する武田晴信と連絡をとっておった。この晴俊が挙兵したとあれば、武田も動くであろう。ただちに、晴信と連絡を取るのだ!」
「ははっ。直ちに。」
「能登の完全制圧も時間の問題だ。さあ戦勝の祝い酒だ。酒を持って来い。」
「……。」
畠山晴俊は温井方の総大将であったが、実質的な権力は何も無かった。彼はただ威張るだけで、家臣も「はいはい」と返事はするのだが、誰も命令を実行しようとはしない。それは家臣の誰もが、温井続宗が軍を統括しており、誰が真の実力者であるか認識していたからである。
すると、陣中に使番が入ってきた。
「続宗様。義綱方の勝山城が落城致しました。」
すると、しばらく続宗は考え込んだ。
「ふむ。勝山は石動山を越え、越中に至る路の分岐点。ここならば、口能登の掌握と七尾城に対して睨みを利かせるのに格好の地。……。晴俊様。今後、我が軍の拠点を勝山城としましょう。晴俊様もお移りなさって下さい。使番よ、晴俊様が軍目付(いくさめつけ=主君の代わりに軍合戦の状況を監督した者)の続宗の命令である。勝山城に全軍入城せよ。」
しかし、その言葉に晴俊は憤慨した。
「おい、続宗。総大将はこの晴俊ぞ!勝手に命令を下すでない!」
すると続宗は鋭い目を晴俊の方に向けて言った。
「……勝山城でよろしいですね。晴俊様。」
「わ、わかった。我が軍の拠点は勝山とする。皆の者、入城の準備をせい…。」
こうして温井方は勝山城に入城し、占領地の支配を確立していこうとした。

−勝山城のある部屋−

 温井続宗、三宅総広、神保総誠の温井方の主力三人は、これからの占領支配体制の方針を談合していた。
「晴俊を擁立した以上、最大限に利用せねばならぬ。それには義綱に比して、こちらが正当な畠山家の後継者である大義名分が必要である。」と総広が言った。
「本来なら公方様(将軍・義輝)に圧力をかけて晴俊を能登守護に任命してもらうのが手っ取り早い。しかし義綱と公方様は少なからぬ交友があるので無理であろう。ならば我が方は実力的に優位に立つこと。さらに今回この戦に協力した将に所領の安堵を行い我が方の支配を正統化することが必要だ。」と続宗。
「それに加えて領民に諸役の免除などを土産に協力を求めよう。銭を百姓から徴収できんでも、門徒が我等を援助してくれる。」と総誠。
「そうだな、とにかく形式が大事だ。実際はどうであっても良いのだ……。まずは見栄えだ。勝山城の城門を整えさせよう。近隣の集落を動員しろ。矢銭は門徒から調達すればよい。」
続宗の言うとおり、すぐに勝山城の整備が始められたが、周辺の集落の者共は突然の労役に辟易していたと言う。

 温井方の支配体制は実態とは違っても、建前では正統的な支配体制が敷かれた。しかし実態とのギャップから、次第に内部矛盾を深めていった。例えば温井方の主力戦力は真宗大坊主(阿岸本誓寺)であったが、建前では主従関係である。しかし、現実には提携関係であるという矛盾を抱え、続宗が完全に戦力を掌握するには至らなかった。それゆえ義綱方を七尾城篭城に追い込んでいたにも係わらず、最後の詰めで落城させることができなかったのである。さらに晴俊との関係から武田晴信が援護するはずだったが、したたかな人物である晴信は、戦況を見極めるため援軍を送るなどはせず、わずかな兵糧などの援助で足下を見ていたのである。温井方の戦略は早くも行き詰まっていたのである。
 晴俊は続宗の行動に憤慨していたが、それでも相次ぐ連勝に気を良くして上機嫌であった。そんなさなか、三宅総広の嫡男・綱久を自分の部屋に呼び出した。
「晴俊様、ご機嫌麗しゅうございます。本日は如何なるご用向きでしょうか…。」
「綱久。お前の息子もそろそろ元服の年であるな。」
「ははっ。左様にござりまする。」
「そこで、わしの一字『俊』の字を授けよう。どうだ、能登の国主であるわしの字をもらえるとは実に嬉しい事であろう!」
「……有り難き幸せ。さすれば『俊景』と名乗らせましょう。」
無論、綱久は嬉しいはずがない。父・総広から晴俊の無能を散々聞かされていた。また、温井続宗の専横さも合わせて聞かされていた。こうして連勝の影で早くも晴俊方は結束力が無くなっていったのである。晴俊はそれに気付かなかった…いや、あえて気づかない振りをしていたのかもしれない。総大将としての偽りの日々を送るために…。


3、決断

−七尾城−
奥能登に軍使として外交工作に行っていた続光が七尾城に帰ってきた。
「御屋形様。成功でございまする。奥能登の一向衆門徒らは我が軍に味方するとの由。」
「美作守(続光)、大儀であった。これで奥能登・中能登に反乱軍は手出しできん。あとは能登の外浦・内浦の航路を維持する必要がある。特に七尾湾と能登島、輪島の警備を固めるとともに、神保長職、椎名宮千代に連絡し、中立を保たせるのだ。この軍使の任務、対馬守(続連)に任ず。」
「ははっ。任務お受けします。輪島は我が隊が堅固に守っております。七尾湾と能登島の警備の任務は私の被官・山本与次郎に与えたいと思いますが如何ですか。」
「うむ。適任であろう。」
こうして義綱は戦力的に不利な状況を戦略によって拮抗させたのである。この戦略の才は、幼少の頃の兵法に勉めたが故であろうか。

その後、一進一退が続いて越年し、弘治二年を迎えた。正月、篭城下の七尾城内の評定の間で、正月の評定が行われた。
家臣達が待っている評定の間にゆっくりと義綱が入ると、家臣達は皆頭を下げた。
「皆の者、面を上げよ。ただいまより評定を開催する。前年より続く内乱は拮抗状態である。これを脱するには、我が軍の兵力を増強し討って出る必要がある。しかし、討って出て敗北すれば七尾城の総攻撃は免れまい。万が一を期するために城内の防備を固める。正月早々ではあるが長景連、隠岐続朝に七尾城の改修普請を命じる。」
「ははっ。」
「又、現在城外におる笠松新介に兵糧と用脚を調達させた上、兵を伴って登城させることで資金と兵力の増強を行う。新介への連絡の任はかつて同陣主であった若狭守(飯川光誠)が適任であろう。」
「ははっ。直ちに新介の元に使番を送りまする。」
「うむ。これで、評定を終える。」と義綱が発すると、各々が行動し始めた。

 義綱は評定の間を出て、七尾城下を見下ろせる所までやってきて、立ち止まった。
(内乱直後に比べれば、戦力は拮抗したと言えよう。しかし、まだ、加賀本願寺を含めた温井方を破るには難しい。また、晴俊の裏には武田晴信が後ろを引いているとの噂もある。相手の戦力に打ち勝つには……何としても長尾景虎の支援が必要だ。しかし勢力のあった祖父(義総)の頃なら対等関係を築いて来れたが、今の畠山家ではただでは動いてくれぬだろう。もし、長尾家に援助を請うとすれば……我が方が不利な条件を呑むしかない。しかし、祖父時代からの家臣は、格下である守護代の家柄の長尾家に媚びるのを嫌うだろう。その中でも手ごわいのは父だ。今でも私は父には頭が上がらぬ。この畠山家を…いや能登国を守るにはどうすべきであろうか…。)
すると、義綱の十歳下の弟・義春が心配そうに義綱の顔を覗きこんだ。
「兄上。いかがいたしましたか?」
「義春か。・・・共に城内でも回らぬか?」
「はっ。では参りましょう。」
しばらく無言で歩いていると、やがて二の丸についた。このところ城内の兵はだらだらとしていて指揮が完全に低下している。篭城してからというもの大規模な温井方の攻撃も無く、ただ時間が過ぎているからだ。また、農繁期に自分の家に戻れなかったことですっかりやる気が失せていることも起因しているのであろう。
「兵たちも元来は農民。農繁期には家の心配もあろう。早くこの戦を終結せねばならぬのだが・・・」
「しかし、兄上。温井は本願寺の援軍を受け、破るのは容易ではありませぬ。それに、この戦は総力戦だと言ったのは兄上ではないですか。」
「うむ。それはわかっておる。しかし、父上の頃より戦乱が続きその度に荒廃していく能登を建て直すには、一刻も早くこの戦を収めなければならないと焦ってしまうのだ。……義春。わしは長尾・神保・椎名に援軍を請おうと思う。」
「!?されど格下の家柄に頼るのをよしとしない父上や対馬守(長続連)等が納得しないのでは?」
「わかっておる。しかし、現在の畠山家ではすぐに戦を収める力はないのだ!もう昔の畠山家とは違う。それを家中の者はわかっておるまい…。わしは越後が守護代の長尾景虎に援軍を請う。そして、家中に畠山家の危機を悟らせるため決断をしなければならない……義春。悪いが長尾家に人質として行ってはもらえまいか……?」
義春はすべてを察した方のようにこう言った。
「兄上……。わかりました。能登を守るためなら喜んで参りましょう。」
「すまぬ…義春…。」
「兄上。もう一月です。春が近づきましたが、病を患いやすい季節柄なのでお体には十分気をつけてくだされ。今、兄上に倒れられては畠山家は総崩れとなりましょう。剣術の稽古は休まず励んでくだされ…。」
「相わかった。……すまぬ…義春。」
そう言うと義綱は一人自邸へと歩き出した。途中義綱はふと空を見上げた。空は雲一つ無く澄んでいた。
(わしの心がこの空のように雲ひとつ無く晴れ渡る日はいつくるのだろうか?)
そう考えながら、ただひたすら空を眺めていた。

 義綱は自分の部屋に戻ると、遊佐続光、三宅続長、山田左近助を呼び寄せた。そこで続光には越後の長尾景虎へ、続長には越中の椎名宮千代へ、左近助には越中の神保長職に援軍を請うて来いと言った。義綱は軍議を経ず独断で事を進めたのである。それは畠山家の家柄や対面を重んずる父・徳祐と続連の反対はわかりきっており、歩み寄りは見られないと判断したからであった。それでも独断で判断したのは、今の家中の雰囲気なら結果が良ければ自分についてくるであろうし、この交渉を成功させる自信もあったのである。そこで使者となる三人には
「己の交渉が畠山家の命運をわける。絶対に成功させてこい。」と言い渡した。
さらに続光には援軍の条件に義春を人質に出すことを条件にして良いと申し渡して、各々三人に船で向かわせた。

 それから数日たってからの朝である。義綱は剣術の稽古に熱中していた。義春からの忠告を実践することで、自分の気持ちを奮い立たせるようにしていたのだ。稽古は毎日いそしみ、すでに日課となっていた。
「随分御上達なされましたわね。」
「華か。はっはっは。お世辞を申すな。わしの剣の腕前などまだまだである。」
義綱は生来武芸嫌いだったゆえ、剣の腕前はお世辞にも上手いとは言えなかった。それでも多少は上達してきたのである。その稽古の最中に長続連が義綱の元にやってきた。
「御屋形様。恐れながら聞きとう事がございまする。先日、美作守(続光)殿が船で七尾を出発しましたが、これは如何なる御用向きでありましょうか?」
「どうした続連。わしは今武芸の稽古中だぞ。あとにできんか?」
「…御屋形様。お答え下さい。」
「ああ。続光には私から命令を課した。今、越後に向かっている。」
するとすかさず続連の表情がみるみる険しくなっていった。
「!?評定を通さず続光に重大な命令を課したのですか?」
「わしが時局を見て必要と判断した。事は一刻の猶予も無いのだ。……わかってくれぬか。」
「しかし!長尾は守護代の家柄で畠山家と比べて格下の…」続連が続きを言おうとしたのを義綱は遮った。
「すまぬ続連。わしは剣術の稽古の最中である。途中で止めると体が冷える…。あとにせよ。」
「・・・・失礼致す。」
続連は憮然とした顔で去っていった。これにより義綱と続連の信頼関係は崩れてしまった。しかし義綱はそれを恐れなかった。続連もこの内乱が終わればきっと理解してくれるであろうと信じていたからだ。

稽古が終わると、義綱は七尾城内にある安寧寺へと向かった。父・徳祐はこの内乱を収めるために城内の寺で写経に精を出していた。元来写経などの緻密な作業が嫌いな徳祐だったが、うまく書けたものは家臣の家族に渡すなど城内の者の心の平穏を保つために一役買っていた。隠居した自分が何ができるのか考えての行動だった。義綱は今回ばかりは父の相当な反発を予想した。
「何用か。義綱?」
徳祐は写経の手を止めずに話しかけた。
「…今回、…越後長尾に援軍を請うため、………弟を人質に出す故、報告に参った所存。」
「勝手にせぇ。」
「……」
「わしは隠居の身。能登の国政はお主に任せたのじゃ。」
「しかし、父上…」
「うるさい!わしとお前は違う。しかし、能登の未来を想うは同じ。ならば今更何を言おう。」
強い言葉から徳祐の気持ちが痛いほど伝わる。しかし、徳祐は写経の手を一切緩めなかった。
「義綱。お前の信じる道を行け。自らを信じられなければ、臣下の者は何を信ずればよいか。」
「父上…有り難う…。」義綱の目に涙が浮かぶ。
「わしが今出来るお主への手伝いは、写経じゃ。だからわしは手を緩めん。あっちへ行け。」

 きっと徳祐は義綱の外交政策に反対だったのだろう。しかし、この内乱で見せた義綱の力。それを信じて進めさせることこそが親の務めと考えていた。
義綱思った。この決断は正しかったのだろうか。父に自分の主張を通し能登の国政を委任されたということは、同時に家中のすべての責任を自分が負うことも意味する。
義綱の初陣に対し、能登の空は激しい北風を当て続けていた。この果てることのない風は、いつ止むのだろうか。

第四章へ続く
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