第弐章「乱世の幕開け」

1、権力闘争

 徳祐の大名権力回復のための七人衆分裂工作は執拗に行われた。徳祐は特に相性の悪い温井紹春と続光を利用して分断を試みた。そこで徳祐は筆頭重臣である紹春と表面上親しい関係を装っていたが、裏では七人衆の平総知・長続連と密談を重ね温井方へ回らないようにし、力の均衡を保たせて冷戦化させた。しかし、その一方で紹春の権力拡大工作は着々と進行し、完全に三宅総広・遊佐宗円を味方につけ、特に婚姻関係にあたる三宅家からは全面協力を取り付けた。その対抗勢力である、遊佐続光は家中で七人衆の一人の伊丹続堅を引き入れ、又家中の反温井勢力の遊佐秀頼・丸山出雲守らを引き入れることに成功したが、それでも温井の勢力には及ばなかった。それに危機感を抱いた続光は加賀の一向衆や河内畠山の臣の遊佐教秀や安見宗房ら国外の勢力をも抱き込み徐々に戦闘体制を整えていった。
(加賀の一向衆の援助は心強い。能登に一向衆の門徒を動員するのはいささか気が引けるがこれも主家畠山家のため。河内の同族も我等が味方。奸臣紹春をいつぞや討ってくれようぞ!そして、今度こそ私が重臣筆頭となるのだ!)と続光も対立関係を深めていった。こうして能登の権力闘争は熱を帯び、能登の空は暗雲立ち込める不安定な状況となった。

 そしていよいよ遊佐方の体制が整った天文二十二年(1553年)十二月十日。ついに続光は温井打倒の兵を挙げた。温井方は遊佐の挙兵はまだ先であろうと油断していたまさにその時であった。義綱はこの時、続光の真意を見抜き、
(これは主家に対する反逆でなく、おそらく矛先を紹春のみに向けたものであろう。ゆえにこのわしを打倒の対象とはしないであろう。しかし、続光も多くの兵を率いているが温井の動員兵力も侮れない。また、紹春はわしに圧力をかけて、遊佐の挙兵を反逆とし、国内の諸将を自分の味方につけようとするであろう。そのとき、続光はどう出るだろうか?)
そしてこの後、義綱の予測は現実となるのであった。
同日の夜のことである。
「御屋形様に伝令でございます。羽咋に進撃した遊佐勢に対し、畠山将監隊八百が敗れて候。さらに遊佐勢七尾に向けて進軍の模様。」
「あいわかった。下がってよい。」
使番(つかいばん=伝令)の報告の後、すぐに紹春が義綱の部屋に現れた。
「若。こたびの続光の挙兵は、主家に対する明らかな反逆行為。こうなれば若自ら御出陣なさって、畠山家の威信を見せるのが得策かと存じます。この紹春も出家の身ではありますが総力を挙げて続光を打倒に尽力する所存にございます。まず、若は国内の諸将に号令をかけて我が方の勢力を強大なものと致すのがよろしいかと存じます。」
緊迫した紹春に対して、義綱はとぼけた顔でこう言った。
「しかし、紹春。続光には何か別の意図があるやも知れぬ。一度、続光の挙兵の所以も聞いておくのが筋ではないか?それにこのわしを殺せば国内一の逆賊。よもや続光もそのようなおろかなことはしないであろう。わしは、続光に伝令を遣わして兵をおさめるように言うのがよいとおもっておる。」
遠まわしに、義綱は紹春への協力を断ったのだ。
そう義綱が言った時に紹春の顔が一瞬こわばった。
(ここはなんとしても続光を撃退し、わしの覇権を確立せねばならぬのだ。ゆえにこれに失敗するわけにはいかないのだ、この若造めが。)
しかし、すぐいつもの不気味な笑顔に戻り、言った。
「続光は冷酷非道な男。放っておけば畠山家を牛耳るでしょう。若、決断を!」
義綱は「おまえが一番畠山家を牛耳っているではないか!」と言おうとしたが、例え言ったとしてもどうにもならないので、そのまま口を閉じた。
「孝恩寺存貞。そちの軍配師たる意見はどうじゃ。」
「七尾が南の方角は凶兆にございます。この度は御屋形様が出陣なされば凶報が七尾城に届くでしょう。」
と存貞が言うと、見る見る紹春の顔色が変わった。
「だまれ!僧ふぜいが!戦は武士の本分ぞ。我が畠山家の命運を賭けた合戦に口を出すとは不届き千万である!」
「…紹春、興奮するでない。…隠居なされた大御所様にも相談しろ。わしは父上の意思に従う。」
義綱の精一杯の抵抗であった。

 結局、紹春は強引に徳祐を説得し、続光を反逆軍、自軍を正規軍として決戦させることとなった。しかし、徳祐は考えた末に当主である義綱の出陣には頑として首を縦に振らなかった。義綱が紹春の意見で動かされれば家中の実力が誰であるかを示す結果になる。そうなれば、戦後の権力闘争において義綱が紹春に利用されることを意味する。それだけはなんとしても避けなければと思っていた。一方、自分の面子のためになんとしても義綱を総大将に出陣したかった紹春であったが、徳祐の強力な反対に押し切られた結果、徳祐が陣代(総大将たる大名の代わり)として出陣することで妥協した。こうして畠山方対遊佐方の大槻・一宮の合戦が開始されたのである。


2、激戦

 天文二十二(1553)年十二月二十日−畠山方陣中−
「大御所様。将監隊を破った遊佐勢は、外浦を通って七尾に進軍しているとの報告です。」
「うむ。御苦労であった。」
陣中には、徳祐と総貞の他、長続連、三宅総広、平総知ら主な重臣が顔を揃えている。
「徳祐様、国内の諸将のほとんどが我が軍勢の味方。これで我が方の圧勝は間違いないでしょう。」と紹春が自慢げに言った。

 同月二十六日。
「大御所様。恐れながら申し上げます。遊佐勢が田鶴浜に陣した模様。」
「相手は所詮少数であろう。そうなれば、七尾城に篭るより討ち出でて遊佐方に壊滅的な打撃を加えるのがよいであろう。…うむ。大槻に兵力を結集して、遊佐方を誘き出し完膚なきまでに破る!」と徳祐が言う。紹春もそれに同意した。
「…大御所様の仰せの通りに…。者どもすぐに準備にかかるのだ。」
こうして翌日二十七日。畠山方が大槻(現・中能登町)へ向かい、それに従うように遊佐方も向かい、両軍が大槻に到着した。
「敵は主家を蔑ろにする反逆者共である。されば我らに道義があらん。神仏も我らが味方なり!」と徳祐が味方勢を鼓舞した。

 大槻に集まった勢力は畠山方六千余に対し、遊佐方五千余。
初めは少数であった遊佐方も、反紹春勢の伊丹続堅・河野続秀らを加え徐々に勢いを増していったのであった。ゆえに勢力はほぼ互角。大槻での決戦は、明らかに畠山方の情報不足によるミスであった。
「何と言うことだ!」と徳祐は遊佐方の軍勢を見て口を開いた。
 日が真南に来た頃、ほら貝の合図とともに、戦闘が開始された。
徳祐と紹春は予想だにしなかった事態に守勢となって、そこを軸に遊佐方の後藤備前隊が平総知隊へ猛攻撃をかけ、じりじりと後退させていった。それをきっかけに次第に畠山方は劣勢となっていった。
「敵の進攻は予想以上に早いぞ!一端どこかの隊が崩れれば友崩れになるぞ!」
徳祐の心配した通り、主力である温井隊が総知隊の援護に回ったものの、総知隊からの離脱者が大きく出始めた。それを見ていた主力の温井隊や長続連隊も次第に後退を始めていった。まさに友崩れの状態であった。そして、本陣である徳祐の耳にも戦の音が近づいてきた。本陣を守る馬廻衆にも緊張が走る。
「大御所様!横から敵隊が来襲!」
(くう。なんとしても、わしだけは…。義綱を守り畠山家を立て直すためにはこんなところで死ぬわけにはいかぬのだ!)
そう思った徳祐はある作戦を思いついた。
「よし、そちたちは、命がけで横の敵隊を排除しろ!」
「ははっ!」
馬廻衆の者共は徳祐もともに死にものぐるいで敵を排除して切り抜けるのかと奮い立った。しかし、敵軍が見えるなり徳祐は敵軍と反対方向の民家へと逃げていった。その姿を唖然として見ていた馬廻衆は壊滅的被害を被った。徳祐はその戦いの様子を廃屋となった民家の生い茂った椿と草に隠れて見ていて難を逃れていた。
(ふう。なんとか難を逃れたな。わしはこんなところでくたばるわけにはいかんのだ!)

 七尾方面へ一度後方移動し軍を立て直している畠山方は、徳祐の行方を探していた。
「本陣の旗が倒れ、旗奉行が誰一人生き残らなかったらしい。」
「陣代である大御所様の馬廻衆が全滅したらしい。」
「大御所様は敵軍の手に落ちてしまったのではなかろうか?」
「早く温井方に寝返らないと、もうまもなく畠山方は全滅だぞ。」
などという憶測が足軽達の中で噂された。しかし、紹春は少しも慌てずに言った。
「なあに徳祐様が敵の手に落ちようと、我らには義綱様がおられるではないか。かくなる上は、七尾城におられる義綱様に総大将として御出陣願おう。」
紹春にとっては余計に立ち回る徳祐がうっとおしかった。ゆえにこの戦でもしものことがあればと密かに期待していたのである。また、当主である義綱を担ぎ出せば、名実ともに畠山家の覇権を握ったということが家中に誇示すことができるとも踏んでいたのである。
 しかし、そんな紹春の期待は見事に裏切られた。自軍の陣中の外がやけに騒がしくなり、歓声すら聞こえてくる。
するとしばらくして、重臣の長続連が、他の重臣に言った。
「大御所様が、ご帰還なされたぞ!」
すると、陣中に、徳祐が入ってきた。
「この通り、わしは無事じゃ!ゆえに皆の者。安心せえ!」
これをきっかけに、畠山方の浮き足だった指揮が回復し、温井勢を主力として大槻で反撃を開始し。激戦の末、遊佐方を敗走させた。さらに翌日畠山方の激しい追撃により羽咋一宮で遊佐方の多くの者を討ち取り、遊佐方に味方した遊佐秀頼、伊丹総堅、伊丹続堅、加治中務丞、後藤備前、丸山出雲、河野続秀らを討ち取った。敵方総大将の遊佐続光は土肥但馬守親真の居城末森城に匿ってもらい、そこから主家畠山家に「我が挙兵は謀反でなく、温井討伐が目的です。」との書状を出して許しを請うた。しかし、徳祐の「いま遊佐を帰参させたら紹春に睨まれ自分の立場も危うい」との判断から、遊佐の書状は黙殺された。それゆえ、帰参をあきらめた続光は温井らの動きが緩くなるまで待って、越後に脱出した。ここに大槻・一宮の合戦が終結したのであった。


3、戦の始末

 結局この先の戦いの戦功は、反撃の口火を切った温井紹春が、巧みな話術で屁理屈をこね徳祐を丸め込み独占する形となった。これによって、戦の始末は紹春を中心に進み、家中での発言力が一層高まったのは言うまでもない。そこで、紹春は年寄衆である七人衆から引退することで政局の表舞台から姿を消し、裏から実力を行使することにして、家中の自分への批判を避けることにした。まず、遊佐続光と伊丹続堅と自らの分も合わせた三人の空席ができた年寄衆(七人衆)の欠員補充に着手した。
「若、新しい年寄衆には実績もあります神保総誠、三宅総賢、それに私の嫡男続宗を任命するのがよろしいと思いますが、若はいかがお考えでしょう?」
義綱は心のなかで思った。
(自分の陣営の者ばかりを年寄衆に推薦したな。それにどうせ、私が意見を言ったところで紹春は聞かないであろうし、それを認めねばならないであろう。ならば紹春が考えつかないことを言ってやろう。)
「ふむ。それで良いのではないか。しかし…」
紹春は半ば、義綱の反論を想定していた。しかし、いくら反論しても総貞は自分の推薦する三人を絶対に年寄衆させるし、それを否定する事は、今の主家の力ではできないであろうと踏んでいた。
「しかし、紹春。わしは、先の戦で劣勢になるきっかけを作った平総知を年寄衆からはずそうかと思っておる。その代わり先の戦いでお主の指揮の下で戦功を挙げた飯川光誠を年寄衆に任命しようとわしは思っている。」
その言葉に、紹春は一瞬驚いた。当然、自分の人選に対する反論を予想していたが、義綱はそれについてはあっさり認めた。しかも平氏は温井家に親しい間柄。それを交代させることは温井への戦力ダウンとなる。そして、今の紹春の実力を認めた上で現在できる最大限の反抗として、義綱の腹心である光誠を紹春の人選とは関係のないところで逆に推薦したのだ、と紹春は悟った。
(意外に侮れないなこの若造。しかし、いくら光誠を年寄衆に入れたとしても、私の優位は動かないであろう。うむ。ここは若造に花をもたせてやろう。)と思って
「ははっ。殿の仰せの通りに。」と言った。
「はっはっはっ。紹春がわしの事を『殿』と言ったのは初めてであるな。」と義綱は笑いながら言った。紹春が義綱を「殿」と呼んだ理由は、「侮れない当主であるからこれからは注意しなければならない」という意味が込められていたのである。もちろん、その紹春の意図も義綱は読んでいた。そして、
(これから私に対する監視の目も厳しくなるであろう。)と義綱は思った。


4、謀略には謀略

 義綱の言う通り紹春の監視は厳しくなり、また義綱の言動は極端に抑えられた。それは、義綱と家臣が団結して反温井の大勢力を形成しないように、できるだけ接触をさせないようにしたためである。紹春の専横は先の合戦の結果、さらに勢いを増し、畠山家中はほとんど彼の言いなりとなっていた。それを覆そうと水面下で義綱は努力したが紹春の監視の中では難しかった。一方、義綱の父・徳祐も義綱とは別に紹春に対する七人衆分裂工作をまだ続けていた。しかし、七人衆が再編されてからは、誰の目にも互角に紹春に対抗できる者はなく、分裂工作も絶望的であった。
 そんな中、天文二十三年十二月、義綱の弟が17才にして元服し、義春と名乗った。そのまさに元服の儀が行われている時に、義綱と正室・華との間に待望の嫡子が誕生した。生まれた子どもは義綱とは違って幾分しっかりした体つきであった。待望の孫が誕生し喜んでいる徳祐に向かって義綱はこう言った
「この子も先例にならって仮名を『次郎』と名付けようと思っています。」
暗い畠山家にあって久々に明るい出来事であった。
 

 弘治元年(1555年)四月、ますます専横を誇る紹春は、自分に屈しない義綱を幽閉し能登畠山庶家一族である畠山晴俊の擁立を画策した。
「晴俊を擁立する役目は嫡男の続宗にやらせよう。わしは厄介な若造当主を巧みにおびき出してくれようぞ。」
と言うと温井家の家臣に次のように命じた。
「七尾湾を望むところ…そうだな松百に城を築け。城などは小規模で良い。どうせ、若造当主を捕らえておくだけの城だからな。早速取りかかるのだ。」
それと同時に紹春は義綱の部屋へと向かった。
「なんじゃ、紹春。何用だ?」
「殿。突然ですが、居城を移してはいかがですかな?」
「何をいうのだ。七尾城は先祖・満慶さまからの拠点。簡単に動けるわけがなかろう。」
「ですが、七尾城は水利が悪うございましょう。この紹春めが七尾湾に望める場所の松百に城を築かせています。そこに殿はお移りなさってください。」そう紹春が言うと義綱は紹春の真意を見抜いた。
(この義綱を堅固な七尾城から追い出そうとしてるな。七尾城を抑えれば能登を制したも同然。紹春もそこまでわしを嫌っているのか。)
そう考えると、義綱は紹春に向かって言った。
「ならば紹春。お前も新しい城に移るんであろうな。」
「いえいえ。私はもう隠居の身。七尾城下で隠遁していとうございます。」
すると、二人の間にひとときの沈黙が流れた。
「殿、これも畠山家の発展のためです。ご決断を!」
(いまや家中で紹春の力は絶大。これを拒むことは無理に等しい…)
「…う・うむ。わかった…。紹春の言う通りにしよう…。」
「ははっ。城の普請を急ぐよう早速申してまいりまする。」
と、紹春は不気味な笑顔で義綱の部屋を後にした。
 そして、居城移転の噂はその日の内に家中に広まり、移転の準備に七尾城は大忙しとなった。と、その日の夜のことである。義綱は自分の部屋に飯川光誠を呼び寄せた。
「御屋形様、光誠。参りました。」
「うむ。光誠。今日はすこし相談事があってのう…。…紹春の事なのだが…」
と義綱が話し始めた時、義綱の部屋に重臣の長続連が訪れた。
 長氏はもともと能登ではかなりの軍事力を有し、それゆえ将軍の奉公衆として能登畠山家に属さなかった。しかし、十六世紀中頃になり将軍の権力が崩壊すると、戦国大名化した畠山の家臣団に組み込まれていった、いわば外様の家柄である。しかし当主の長続連は畠山家に忠実で、先の合戦や押水の合戦(1547年)などでは畠山家のために奔走し、戦功をあげたのである。
「どうした?続連。今宵は何用であるか?」
「ははっ。御屋形様の耳に是非入れたい事がございます。…居城移転の事なのですが、発案者の紹春はなにか御屋形様に対して良からぬことを企てている気配にございます。」
「うむ。続連も気付いておったか……左様。おそらく紹春はこの義綱を新しい城に幽閉し、自らが七尾城を乗っ取るつもりであろう。」
「なんたる不届き者!この光誠がすぐに奴めを成敗してくれようぞ!」
「こら!はやまるでない。それでは返り討ちに遭うだけだ……しかし、紹春の行動、これ以上放っては置けぬ。光誠、続連。わしに考えがある。わしは新しい城移転の前に、移転祝いの連歌の会を開こうと思う。」
「御屋形様!それでは相手の思うつぼです!」
「まあ…まて光誠。そう慌てるな。謀略には謀略を。そちが将棋で指南したことではないか。わたしはその連歌の会で…紹春を葬る。お前達…協力してくれるな。」
「無論でございまする!して、段取りは?」と続連が顔を覗かせる。
「うむ。会は飯川邸で開こうと思う。紹春を葬れば、続宗ら温井一族と温井と関係の深い三宅一族が動くであろう。それを続連は抑えるのだ。光誠は笠松新介らに命じて密かに兵を増強し、当日の七尾城の守備を固めよ。」
「ははっ。早速そのように準備致しまする。」と二人は言って義綱の部屋を後にした。
(あとはわしが何とか紹春を誘い出さねば・・・)

 義綱と家臣ニ・三人で七尾城内の温井屋敷に向かって歩いていた。光誠を連れていないのは紹春の警戒を和らげるためである。また、「敵を欺くにはまず味方から」ということで、この計画は徳祐にはしゃべっていない。
(紹春は簡単に誘いに乗るだろうか?それとも警戒して断るであろうか・・・・)
そして、いよいよ温井屋敷に着いた。
「あっ!御屋形様!ようこそおいでなさりました。どうぞお通りください。」と番所の者に通された。
そして紹春の部屋に入った。すると、紹春は義綱を見るなり言った。
「まあ、これはこれは。この紹春、殿がいつ参られるかと待っておりましたぞ。」
「ふっ。心にもないことを。今日はお主を連歌の会に誘おうと思って来たのだ。」
「ほお、連歌とはまた私の得意分野ですなあ。」
「居城移転の前祝というところだ。場所は飯川邸で来月初めに開こうと思う。どうだ紹春。久々にわしと連歌をしようではないか?」
すると、どこからともなく温井続宗があらわれ言った。
「御屋形様、父上はなにかと忙しい身です。私が代わりに連歌の会に参りましょう。」
「続宗。よいのだ。…わかりました殿。参りましょう。連歌。楽しみにしておりますぞ。」
「うむ。ではわしは帰るとしよう。連歌、わしも楽しみにしておるぞ。」
「ははっ。お構いもしないで申し訳ありませぬ。」と続宗が言った。
(ふう。なんとか紹春を誘い出せたな。あとは光誠や続連の報告を待つばかりだ…)
と安堵した顔で紹春の部屋を後にした。
「ふん若造めが。この紹春を恐れて下手に出てきたな。」
すると続宗が紹春に言った。
「義綱はなにか父上によからぬことを企んでるのではないでしょうか?」
「ふん。わしの味方は数多い。何か企みがあれば噂話が聞こえてこよう。飯川若狭守(光誠)はもてなし上手。わたしは今まで同陣主となして何度も歓待を受けたから大事ない。それにわしも久方ぶりに連歌を楽しみたいのだ。謀事があるとすれば、この城内の温井邸だ。わしが留守中におぬしを人質にされては困る。・・・・・・当日にお前たちは田鶴浜に近い旧温井館に居れ。あそこなら万が一にも本領の輪島まで逃れるだろう。」

5、粛清

弘治元年七月初め−飯川邸−

義綱、光誠、続連ら計画首謀者の顔は既に揃っている。その後、紹春が一番最後に遅れてやって来た。
「紹春様。恐れ入りますが、お連れ様は外でお待ちくださるようにとの殿の仰せです。」
「あいわかった。」
飯川邸には紹春のみが通された。従ってこの場にいる紹春以外のすべての者が義綱の計画を知っていて協力している者達だ。
(わしの席次は、殿の左か。まあ当然の上席だ。右は長対馬?普段なら神保であるのに。今日は来ぬのか?)
室町・戦国時代は会食や催し物の時の席次がとても大事にされていた。紹春はいつもの席次と違うことに少々違和感を覚えた。
「申し訳ありませぬ、殿。私も忙しい身で、いささか遅れてしまった。まあ、今日は久しぶりに殿のお手並み拝見と参りましょうか。」
とまず第一声を紹春が発し、連歌の会が始まった。紹春以外の一同は緊張の面持ちだったが、しばらくは順調に時が流れた。紹春は久々の連歌の披露の場にすっかりくだけており、酒も進んでいた。

…………(どれくらいの時間がたったろうか)…………

「いやいや、愉快。皆の連歌の実力も上々。この紹春には及ばぬが…たいした腕前。…どうしましたかな。次は殿の番ですぞ。」
義綱の左から紹春が顔をのぞき込む。
(紹春は酒にすでに酔ったか。口も饒舌だ。)
「機会は今ぞ!皆の者!」
その掛け声を機に光誠、続連他何人もの者が紹春に刀を向ける。すると小姓の一人が義綱にも刀を渡した。義綱の思わぬ行動に紹春は後ずさりした。しかし、誰一人として紹春に切りかかるものは無く、家臣達は様子を伺っていた。
すると紹春が不敵な笑みを浮かべて行った。
「はっはっは!所詮ただの若造だったと言うことか。家中の皆は誰が実力者か良くわかっております。殿が何人かの家臣を抱きこうもうが、畠山家の凋落は変わらないということです。さて、こんな事をする凡愚な当主は引退してもらわねばなりますまい。跡目は一族の四郎晴俊にでも継がせてはいかがでしょうか。殿。」
紹春の顔は一層不気味な笑みを浮かべた。しかし、義綱は怯まなかった。
(皆は紹春を前に怖気づいている。わしが切りかかるほかあるまい。自分を信じて先陣を切るのだ。)
義綱は剣術にじゃ自信が無かった。しかし、今まで自分を支えてくれた祖父・義総、父・徳祐。そして家臣の光誠・続連らを信じて先陣を切って紹春に切りかかった!
(この粛清を成し遂げなければ能登の未来はない!)
「紹春んんんんん〜!覚悟ぉぉぉぉぉ〜!」
義綱の意外な行動に皆一瞬あっけに取られた。それと同時に襖の影から武装した者が続いて現れ紹春の息のかかった部下達に斬りかかる。そして光誠や続連たちも紹春の脇腹に切りかかった。
「くぅ……。殿。あなたを少し…見くびり過ぎていたようですな…。しかし、このままでは、温井や…三宅の一族がだまってはいないでしょう。どの道・・・畠山家は家臣に滅ぼされる…運命です。殿もあまり無理をなさらぬよう……。それが…下剋上の……世の定め…です…。」
そう紹春が言い終わらないうちに、光誠以下の家臣たちは外で待機している温井の被官達に切りかかっていった。
(畠山家の政治体制は脆弱だ。これを改めなければ、紹春の言う通り畠山家は滅亡の運命をたどるだろう。それをなんとしても食い止めるために改革を実行せねばならぬ…。それが祖先が築いてきたこの能登を守る唯一の道だ!そしてそれがわしに課せられた使命なのだ!)
そうするうちに、続連が義綱の下にやってきた。
「屋敷の外にいた温井の被官は、すべて討ち取りました。これから、いかが致しましょう?」
「うむ。おそらく温井の一族と、それと関係の深い三宅家はこの義綱に反旗を翻すであろう。手はず通り続連は温井の本領が輪島の天堂城を攻め落とせ。敵は浮き足立っている。攻略は容易であろう。光誠は兵を早急に七尾に集め防備を固めつつ、笠松新介に命じ田鶴浜の温井館をいち早く攻略しろ。・・・すべての温井勢を能登から追放するのだ!」
「御意。早速我が隊に使番を送りまする」
「それと・・・光誠。今回館の部屋を荒らしてしまった。平和になったらせめて襖絵でも贈ってやりたい。」
「御屋形様、恐れ入ります。平和になった際はぜひ頂戴致す。」
こうして、ここに大槻・一宮の合戦以来続いた「紹春の時代」が約一年三ヶ月で幕を閉じたのだった。

「紹春不慮之次第」の情報は、万一に備えて七尾城を出て七尾城から少し出たところにある田鶴浜の温井館にいた温井続宗の下に伝わった。
「続宗様。ここもやがて御屋形様の追っ手が来るで由。速く脱出なさいませ。本領の輪島・天堂城に向かいませ。」
「否。義綱のこと、天堂城は対馬守(長続連)の手筈にて候。義綱め!父の仇はこの続宗が必ずや・・・。しかし、今は能登にいても駄目だ。一旦退き機を伺う・・・・。急ぎの使番を三宅総広殿に走らせよ。三宅と共に義綱を討つ!それにかねてより連絡を取っていた畠山晴俊様に脱出願おう。義綱を排除し、晴俊様を御屋形様とし・・・・能登は我々のもの!者共加賀へ向けて脱出じゃ!」

義綱は紹春を暗殺した事を父・徳祐に報告に行った。
すでに父は暗殺の事を聞いていたようで、会所で庭園を見ながらゆっくりと酒を飲んでいた。
「大胆な事をするのう義綱。」
「すべては能登国の繁栄がため。必要だった故の事。」
「我が父・義総様はよく考え用意周到に準備を重ねて行動した。一方わしは行動は大胆だが緻密さに欠けていた。義綱のこたびの行動はとても大胆で父譲りである。そして、その未来を見据えた行動はとても用意周到であり祖父譲りである。まったく父や祖父すら超える当主に育ったのだな。」
「いえ。私の行動はかなりの無茶でした。将棋に例えるなら、今回の我が方は飛車角落ちのようなもの。」
「ふふっ将棋か。よく幼い頃に若狭(飯川光誠)とやっていたな。そうか、その状況で勝てるとは。やはり守役を若狭にしたのは正解であったな。」
「光誠にも父の言葉、伝えます。きっと喜ぶでしょう。」
「きっと義綱の頭には今後の能登国の姿が見えているのだろう。わしは祖父が残した安定を受け継ぐことはできなんだ。それはわしの能力が足りなかったと言うことだ。今後の国政はすべてそなたに任せる。わしの時代は終わりじゃ…いや、家督を譲った時からすでにそなたの時代が始まっていたのかもしれないの。わしが気づかなかっただけかもしれぬ。」
そう言いながら、徳祐は自分の杯にあった酒をいっきに飲み干した。
「いえ大御所様のお力添えあっての私です。今後も未熟な私に手助けをお願いします。」
義綱は深々と頭を下げた。父や周囲の支えがあっての自分。だからこそこの成功があった。ゆえに父にも義綱は感謝を伝えたかった。
「うむ。わしが手伝えることがあればの話だがの。」
「父上。誠に有り難うございまする。」


さて、粛清された側である温井と三宅両家は事件後すぐに用意を整え能登を脱出した。弘治元年七月中頃のことである。義綱はあっさり能登を脱出した温井勢に一層の危機感を覚えた。
(温井勢はおおかた、対外勢力を巻きこんでこの義綱に対抗してくるであろう。そうならば、こちらも強力な援護無しでは防ぎきれないかもしれない・・・・越後の長尾景虎、越中の神保長職、椎名らに援軍を打診せねばなるまい。しかし、果たして対外勢力に頼ることを良しとしない続連に、そのことが受け入れられるだろうか。)
夕方の能登の空はこれから闇に入る。いつ闇夜が明けるのか。闇夜の先に晴れて澄み渡った朝は待っているのであろうか。

 第参章へ続く
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