16周年を迎えて(ごあいさつ)

 「能登畠山氏七尾の歴史」も2014年で16周年を迎えることができました。今年度も更新が少なかった事が後悔されますが、本業の方が忙しくて今年度はどうにもなりませんでした。往年に賑わった戦国大名サイトの管理人様はこうして運営から遠ざかってしまったのかな…とも思ってしまいました。今年度はOCNがホームページ代行サービスから手を引いたこともあり、SAKURAネットへ移行するなど、今年度も歴史環境に没頭できる環境にはありませんでした。しかしながら、長谷川信春(等伯)が七尾市でクローズアップされていることもあり、私的小説「義綱奮戦記〜混乱の能登〜」に追加で義綱と信春のエピソードを追加(内容は架空です)するなど、少しは厚みを増すことができたかなと思います。

 そんな中、七尾城と能登畠山氏にとって徐々に明るい話題が3つ出てきました。

 まずは、七尾市公式サイト「よみがえる戦国の名城(七尾城)」として七尾城復元CGが一般公開されたことです。七尾城史跡指定80周年に新生七尾市市制施行10周年という記念日が重なってできたこのイベント。往年の七尾城の想像図が見て取れます。この分で行くと、七尾城史跡指定100周年で新生七尾市市制施行30周年に間に合わせるように「七尾城中核部立体復元」が完成しないかな…とちょっと期待しちゃいます。

 そして2つ目は石川県史書刊行会が編集している『加能史料』という石川県に関する古文書を活字化した編年体史料が1544(天文13)年まで刊行されたこと。毎年刊行されている同史料を私は毎年購入していますが、いよいよ畠山義綱が活躍する年代に入ってきました。ワクワクする新展開があるのではないか?と期待しています。

 3つ目は七尾市の「能登畠山文化」に対する新たな姿勢への期待です。七尾市議会で2014(平成26)年、ある市議会議員が教育長に「畠山文化を全面に打ち出したまちづくりを進める必要(性)」を訴えていました。その中では、七尾城や長谷川等伯を取り上げるという七尾市の単発に文化発信を進める姿勢を問題視し、「畠山氏の治世を年表に整理し一体的に(情報を)発信」する必要性を説き、教育長も市議の意見に同意し検討する見解を発表しました。さらに教育長はその応答の中で、「畠山文化は、七尾の重要な地域資産で、現在計画している博物館においても主要な展示物になると考えております。」と発言し、七尾城史資料館に代わる新たな博物館の計画も発覚。そして、その博物館「畠山文化が主要な展示物」になるとは前進です。そしてさらに市議が「中世のその景色を復元するために、その七尾城の復元や畠山氏像の建設、さらに武家屋敷の復元や町並みの復元、和歌や連歌の会の開催、また城跡の景観の疎外となる木もそこそこ生えてきています。その木の伐採といったことについて」についての質問に対し、教育長は復元は資料が僅少なこともあり実現には難しいとしながらも、「畠山氏像の建設」については、肖像画の残っている畠義総像を元に検討を進める考えを表明。これもまた前進です。そして市議は最後に質問として「畠山文化の件ですけれども、意外と私の聞くところでは、研究者の方がそれほど多くないように聞くんですね。それはそう いう受け皿が弱いということではないかなと思うんですが、(中略)長期にわたりその調査研究に取り組むことができる環境整備といいますか、そういうことが必要なのではないでしょうか。」と能登畠山研究の現状を指摘しました。まさにその通りの問題点があり、研究が推進されない現状があると思われます。ぜひ、能登畠山氏研究の一翼を私も担えればと思います。七尾市からお話を公式に頂いて、それができるならば私は七尾に移住してでもその仕事をやり切りたいと思います。と、サイトを借りて主張してみました!

 今後とも可能な限り「能登畠山」「加賀冨樫」の研究を追求していきたいと思います。
 
 それではみなさん2014年お世話になりました。よいお年を。そして2015年もよろしくお願い申し上げます。

平成廿六年十二月一日
畠山義綱(花押)


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