人物列伝
「宇都宮豊綱」

人物名 宇都宮豊綱(うつのみやとよつな)
生没年 ?〜1585
所属 伊予宇都宮家
主な役職 伊予宇都宮家当主
特徴 下野宇都宮家に間違われ知名度低。
参考文献 『日本人名大事典第一巻』平凡社、1937年
『愛媛県史古代U・中世』1984年
『戦国大名系譜人名事典西国編』新人物往来社、1986年
人物の歴史
 伊予大洲城(別名:地蔵ヶ岳城)城主。左衛門尉。貞綱の子。伊予宇都宮氏最後の当主。伊予の宇都宮氏の出自は、下野国宇都宮郷を本拠とする宇都宮氏である。戦国期に下野宇都宮に拠った宇都宮氏と遠祖は同じである。宇都宮氏は鎌倉幕府の有力御家人で、1219年〜1237年の間と見られる発給文書から頼綱が伊予の守護となったのが伺える。宇都宮氏は、鎌倉時代には伊予一国守護であったが、南北朝期には伊予国内喜多郡の郡守護となっていて、戦国期を迎えたらしい。
 戦国期の南伊予では喜多郡に宇都宮氏、宇和郡に西園寺氏の二大勢力があった。これを『愛媛県史』では「ほぼ一群を勢力圏とする小規模な戦国大名的性格を有していたとみられる。」とし、その勢力を分析している。伊予及び伊予周辺では勢力争いが多く、宇都宮氏・西園寺氏の他にも、河野氏、土佐一条氏、豊後大友氏、土佐長宗我部氏らがしのぎを削っていて、宇都宮氏は他の伊予の諸勢力とともに将軍とのパイプを保持し続けるなど勢力の維持を図っていた。天文期の宇都宮氏は、豊後大友、河野など土佐一条と結び、西園寺に対抗していた。外交関係では、宇都宮豊綱の女子は一条兼定の妻になったという(だが、その後兼定は離縁し、大友宗麟の女子と再婚している)。また、毛利氏が台頭すると、毛利の支援を得た河野氏が勢力を増し、土佐一条の伊予への進軍に対して宇都宮氏を援助してもらう等、宇都宮氏は多角的外交で優位にたっていた。1555年(弘治元)には豊綱が一族を派遣して、西園寺の支城飛鳥城を攻め西園寺実充の息子公高を討ち取った。公高を殺されて憤った西園寺軍は反撃し、豊綱軍は敗られ居城大洲城(同城は堅固な城であったらしい)に迫られた。しかし、河野通宣の仲介を得て和睦し、豊綱は難を逃れた。
 しかし、永禄期になると状況は一変し、西園寺と河野がよしみを通じ、宇都宮氏は圧迫され、さらに豊後大友、土佐一条との友好関係が崩壊し、孤立し勢力は衰えていった。1567年(永禄11)には河野氏の勢力圏内への侵攻を許し、翌年(永禄12)にはいよいよ河野氏が本格的に宇都宮討伐を始めた。宇都宮豊綱は土佐一条氏に助けを求め、一条氏は伊予に援軍派兵した。一方河野氏は毛利・西園寺の援軍を得て伊予最大の合戦となった。しかし、土佐勢が大敗し、豊綱も毛利方に包囲され降参した。ここに伊予宇都宮氏は滅びた。豊綱は毛利に捕らえられ、1585年に備後国で病没したと言われる。
 家臣としては、豊綱の娘婿である大野直之がいる。大野直之は豊綱のお気に入りで、宇都宮家中で徐々に実権を握ったらしい。豊綱が去った大洲城に居城したものの、後に直之は河野氏に反旗を翻したらしい(よこぴい様の御教授による)
義綱解説
 宇都宮豊綱のコンテンツは「嵐世紀」に大名家として初登場で、記念にアップしました。伊予宇都宮氏のファンの皆様お待たせしました。もともと伊予にいた宇都宮氏はどういった経緯で伊予にいたのか、戦国期にはどんな活躍をしたのかが知りたかったのです。伊予の諸勢力はかなり複雑で、豊綱の人物列伝というよりは伊予宇都宮氏の説明に終始してしまいました。でも、資料の少ない国人などではどうしてもそうなってしまう事を御理解下さい。

☆信長の野望での宇都宮豊綱能力値の変遷
政=政治。戦=戦闘。武=武勇。知=知略・智謀。采=采配。統=統率。外=外政。魅=魅力。教=教養。野=野望・野心。健=健康。運=運。足=足軽適性。騎=騎馬適性。鉄=鉄砲適性。水軍=水軍適性。弓=弓適性。計=計略適性。兵=兵器適性。城=築城適性。内=内政適性。
全国版の数値はMAX=106。数値はゲームの過程で上限を超えて変動。
天翔記の数値は政治、戦闘、智謀のみMAX=200、それ以外はMAX=100
♯全国版のみ「知能」を「政治」の能力値に置き換えた。
♯蒼天録以前は「知略」は「智謀」であった。

ゲーム 能力適正 特技・策戦 個性
天翔記 98 120 48 61 48  
嵐世紀 43 19 47 49 足軽・槍・荷駄 訓練・引抜
蒼天録 39 20 61 89 足軽・騎馬 威圧威圧・迎撃
天道 47 68 36 63 槍衾之二
創造 48 64 40 62 鬨の声
大志 48 63 43 60 突撃・全軍突撃 攻城心得 家名存続
 

 天翔記に初登場。天翔記では河野家家臣として登場した。ただ『天翔記武将ファイル』に「武勇の誉れ高く」とあるが、それほど戦才値は高くないのはなぜだろうか。嵐世紀で、大名として伊予宇都宮氏初登場となった。嵐世紀では伊予宇都宮氏の家臣はゼロで大野直之すら出てこなったが、蒼天録では再び大名として登場し大野直之・大野直昌と家臣が存在、ひと安心。久々に登場した「天道」では、まさかの大名の身分から西園寺の家臣への転落。だが、皮肉にも能力値は激増。「武勇の誉れ高く」というのが実現した。創造では再び「伊予宇都宮家」として大名で登場するも、家臣は弟の房綱と「祖母井之重」という家臣の合計3人。大野直昌も河野家の家臣となってしまい戦力ダウン。

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