情報は2007年8月現在
四国の歴史探訪の旅。湯築城跡へ。ここは道後公園となっていて、昔はここに動物園があったそうだ。1987年に動物園移転すると、日本庭園になる計画があったが、発掘調査により中世の遺構がたくさん残存していることがわかる。そこで、歴史遺跡としての保存の要望が市民運動として起こる。そして2002年に発掘、保存、整備が完了し、湯築城跡は資料館・復元施設を加えて再オープンしたのだ。なので、このような復元施設ができたのは最近のことと言える。
市民運動が起こる前は行政側が、指定史跡に申請しなかったようで、湯築城跡が国指定史跡になったのは、なんと2002年のこと。その理由は
聞くところによると、「市内に(松山城以外に)2つも史跡は必要ない」と言ったとか、言わないとか。これが本当なら全くの阿呆な話だ。しかし、天守閣などがある派手な江戸期城郭に比べて、湯築城など土塁・空掘などが中心の中世史跡は注目度が低いことも確か。最近でこそやっと中世史跡も本格的な発掘調査や保存・復元などがなされてきたが、もっと埋もれている中世城郭が脚光を浴びるといいなと思う。一乗谷史跡や湯築城跡は中世の史跡保存・復元において先駆的な例であり、今後もこのような例が増えることを期待しています。
湯築城跡には松山市の路面電車「道後公園」駅下車すぐです。車で行っても公営の駐車場が低料金で使えます。とにかくアクセスも抜群!
湯築城は中世にはめずらしい平山城である。防衛部分が丘陵部である。現在では山頂に展望台があり、登ると松山市内がよく見渡せる地に拠点を構えたのかと、立地に納得。
(↑遠くの山に見えるのは松山城)
一方平地部分には、武家屋敷跡など居住地域があったようだ。有事は丘陵部、平時は平野部に住んだと思われる。湯築城跡では土塁の中にも入ることができ、どのように土塁が形成されたかを見学することができる。土塁部分を削ってその中の構造を考古学的にみることができるというもので、詳しい解説もついている。なかなか貴重な展示である。
かつて動物園があったスペースである平野部はだいぶ発掘調査が進んでいるようで、建物跡だけでなく、土坑跡(ゴミ捨て場になっていたらしい)や、庭園があったと思われる池の跡の遺構などがみつかっている。
なかなか文化水準が高い城だったようである。武家屋敷跡には2つの屋敷が再現されていた。
ひとつは中で連歌の会を推定復元していた。能登畠山氏でも連歌が盛んだったので、このような形で催されていたのかと物思いにふける。もうひとつの復元屋敷は、その屋敷あとから発掘されたものが展示されているなど、資料が展示してあった。
さて次は、道後公園内にある湯築城資料館に入館する。
(↑湯築城資料館)
湯築城資料館では発掘で見つかった備前の焼き物ものなどが展示されている。
湯築城の全体模型などもあり興味深く拝見できた。
展示内容は結構専門的でもあり、見やすくもあり、よく管理されている。資料館の職員の方も丁寧な応対をしてくれていた。これで入館無料はすばらしい。松山城をパスして湯築城跡に来た甲斐があったというものだ。ただ残念なのは、城跡の発掘調査や河野氏関係の資料などの販売はしていなかったことだ。地元でしか売っていないような書籍や雑誌を期待していただけにちょっと残念。ただ、この資料館では河野氏関係の勉強会やイベントなどが盛んに行われているらしい。私も湯築城跡スタンプラリーを行い、写真に見える「見学記念ペーパークラフト」をGetした。このように資料館は、市民にとって学びのスペースとなっているみたい。
湯築城に行く前日の夜に松山市内の大きな書店の郷土コーナーを見に行った。すると、河野氏関係の本があった。『伊予河野氏と中世瀬戸内世界』よくみると前から気になっていた本だった。ネットでは内容が見られないので、購入を見送っていたが、立ち読みすると興味深かったので早速購入。1890円という低価格も嬉しい。
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