情報は2024年8月現在

大友氏館跡~庭園~
(大分県大分市)
大友氏館庭園01

 今回は九州旅行に行って参りました。大友氏館は令和12(2030)年の「大おもて(主殿)」を立体復元する予定であり、その頃に行こうかと思っていました。しかし、家族旅行の予定で令和6(2024)年に九州・鹿児島に行く予定ができたことに加え、大友氏館の第1期整備完了が令和15(2033)年だったのが、現行計画から7年遅らせ、令和22(2040)年度と延期された。発掘調査や土地の取得が当初の想定より遅れていることが理由らしい。そこで、先行して公開された「大友氏館跡庭園」に行くことにした。そこで今回の訪問レポートを「大友氏館~第1弾・庭園編~」としてお届けする。令和22(2040)年以降に再び訪れた時に第2弾をお届けしたい。

大友氏館庭園02

 私は今回はレンタカーで訪れた。上記地図からも比較的大分駅から近いが、それでも徒歩でいくと20分ほどかかる。大友氏館は従来は上記地図の南東にある「上原館跡」という場所に比較的小さな居館があったと考えられていた。

大友氏館庭園03

 しかし古地図にある「大友館」にある比定地を平成28(2016)年に発掘すると、館南東部にある池の規模が東西約67m、南北約30m確認され、平成30(2018)年に、館中央で中心建物と考えられる大型の礎石建物跡の規模が明らかになったことで、ここが大友氏の館の本拠であることが確認されて整備されることになった。

大友氏館庭園04

 上記が「第1期整備計画」の全体図。庭園は令和2(2020)年に整備完了され公開されている。中心建物と呼ばれる「大おもて(主殿)」は令和12(2030)年公開予定。すでに発掘調査も終わっており、大友宗麟公生誕500年に合わせて整備されるもので恐らく遅延することはないであろう。

大友氏館庭園05

 大友氏館は九州豊後の戦国大名である大友氏の拠点に築かれた館である。14世紀後半に10代当主・大友親世の頃に整備された。21代当主・大友宗麟や22代当主・大友義統の頃に大友氏は最大の版図となる九州6ヶ国を領し、その城下町は南蛮貿易の拠点として栄え、居館も200m四方に及ぶ巨大な屋敷として整備された。

大友氏館庭園06

 第1期整備に合わせて発掘調査をしていた。岐阜県神岡市に作られた江馬氏の会所整備も7年間かかった。

大友氏館庭園07

大友氏館はかなりの規模であり居館の整備にはかなり時間を要すると思われる。戦国時代の史跡整備で先行していると言えば「一乗谷朝倉氏遺跡」(福井県福井市)である。しかし、こちらは大名居館の復元は行っていない(「福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館」で一部復元・公開)。こちらの建物を復元整備することで、室町・戦国時代的な景色を直に体験できることは貴重である。そして、その居館に似つかわしい姿として整備されたのが今回の「庭園」であり、復元された庭園はその頃を姿を想定整備されたものである。

大友氏館庭園08

 まずは庭園に行くより、併設されている「南蛮BVNGO交流館」を訪れることをお勧めする。この「南蛮BVNGO交流館」は第1期整備完了時には「歴史文化観光拠点施設」に発展的に解消すると思われる。なので現在は無料の資料館であるが、ボランティアガイドもおり、積極的に解説してくれたり、工夫されたVTRなどでより大友氏館が詳しく知ることができる。

大友氏館庭園09

 また、資料館でよくある解説VTRの裏には上記写真のような会所風景のようなものがあった。この半透明のスクリーンに「大友宗麟」を映し出し、自分の館の説明をするというよく考えられたVTRだった。このVTRは大友氏と南蛮のつながりを紹介したものだった。

大友氏館庭園10

続いて2本目のVTRを視聴する。このVTRは大友氏館全般の発掘調査を示すものだった。この2本のVTRはきっと第1期整備が終わった後には新しいものが作られると思うと、なんだかもったいない気もする。そしてこの部屋は茶室が再現されていた。この茶室が、庭園を見るのに影響してくるから、やはり資料館とはよく考えて作られているものだと実感する。

大友氏館庭園11

 さて、いよいよ庭園向けて出発する。私も室町関連の庭園はだいぶ目が肥えてきた。松波城庭園、岐阜城庭園、江馬氏庭園、朝倉氏庭園、鉢形城庭園、八王子城庭園とそこそこ経験値を積んできた。しかし、大友氏館跡庭園はちょっと違った作りになっていた。

大友氏館庭園01

 まずは中島が結構大きい事に違和感があった。さらに庭園の近くには会所と言う建物があってそこで客人をもてなす為に作られていたはずだが、建物跡も無い。また室町庭園は会所に隣接されているから座って庭園を見るのが基本だが、座る視点にすると池があまり見えない。これはボランティアの人の解説で疑問点を解消できた。

大友氏館庭園12

 まず、近くに建物跡がない理由は、この庭園付近の建物が想定される場所は土壌改良の為に低く土地が掘られており、遺構が失われたのでは無いかと。これは一乗谷朝倉氏遺跡でも同様のことがあったので仕方ないとも言える。

大友氏館庭園13

 ただ、会所が想定される位置の横に庭園跡の遺構として玉砂利が散見される、3方が波打っている曲線なのに一方だけ直線的な位置取りである。ここに庭園跡があったのではないかボランティアの方が言う。ここが会所の縁側であり、低くなった位置よりもっと高い位置に会所があれば庭園が見渡せたと思う。

大友氏館庭園14

 さらに庭園の奥に小さな建物跡がある。この大きさでは会所とは言えない。これは茶室だったのでは無いかと、ボランティアの人が言う。なるほどだから資料館には茶室の風景が再現されていたのだとこれも納得。この庭園跡はボランティアの解説が無いと、初見の人なら見落としてしまう箇所が散見された。ぜひガイドの方と共に見るのが良いと思う。

大友氏館庭園15

 次に庭園の中島が大きかったり、池の底に玉砂利が散見されること、また16世紀中頃に見られた枯山水がこの庭園には見られないこと。この疑問もボランティアさんが解説してくれた。大友宗麟は1580年代と戦国大名としては後期であり、室町庭園と言うより、江戸時代初期型の庭園であったのではないかと、と言う推定である。室町庭園は会所から見るいわゆる接待型の庭園である。それに対して、江戸時代の庭園は、例えば金沢市の兼六園のような人が歩いて回る回遊型の庭園である。庭園の移り変わりが見られる貴重な庭園であり、見応えがあった。

 また植栽も地中から多く見つかった種子を基に配置しており、地中から何も検出できなかった箇所は築山があったと想定して復元しているとおっしゃっていた。復元の様子がわかる展示がここにもいずれできるだろうが、それをボランティアさんから今回聞けて良い勉強になった。

大友氏館庭園16

  さて、庭園から出るとこの大友氏館の復元は今のところ大おもて(主殿)と周囲の一部塀にとどまるらしい。整備イメージでは主殿周辺の建物も整備されるように見受けられるが、どうやら予算が足りないらしい。一乗谷朝倉氏遺跡は福井県や福井市に加え、だいぶ国からの予算も降りている。大友氏館もそのような予算が獲得できれば追加で復元が行われるかもしれないと話を結んでいた。私も寄付したい気持ちはあるが、寄付をするなら私は七尾城再建に向けて資金を投じたいと思ってしまった。次に訪れるのは、第1期整備が完了する令和22(2040)年かな。

大友氏館庭園17

 ちなみにこの日に私が泊まったホテルはこちら「ガレリア御堂原」さんです。デザイナーズホテルのような外観です。場所は大分県別府市。高台にあるホテルで、別府のホテルは杉乃井さんが有名ですが、ここは高台に建っており客室からの景色が絶景でした。

大友氏館庭園18

 また、客室の浴室が別府温泉で24時間入りたい放題!源泉は結構熱いので水を入れて調整しながら入る。そして湯上がりにベランダで涼む。そしてまた何度も個室温泉に入る。なんと夢のような感覚。私は一泊二日で7回も温泉に入りました。畠山七人衆を意識してましたwww。

大友氏館庭園19

 それと素晴らしかったのが、お食事。結構お値段がするので、夕食はお弁当にして朝食だけにしたのですが、すごく凝った料理でお値段にも納得。私が頼んだのは大分野菜のカレー。これにバイキングがついているので、たっぷりゆっくり味わいました。レストランから見える景色も素敵。

大友氏館庭園20

 別府は全日の夕方に着いて、翌日は朝に大友氏館に行くので、観光する余裕があまりありませんでした。そこで候補は2つ。別府タワーと言う街中にあるタワーか、グローバルタワーと言うより地上100mと高いタワー。今回の私はグローバルタワーを選びました。

大友氏館庭園21

 この建物は大分県出身の世界的建築家の磯崎新氏の設計によるビーコンプラザのシンボルタワーで特徴的な外観。地上100m+高台に立つガラス箱のような展望台から別府市街が一望でき、良い思い出になりました。ここはもっと宣伝に力入れても良いなあと思うタワーでした。


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