情報は2012年8月現在
今回は1994(平成6)年に天守閣が木像再建された掛川城を訪問です。
掛川城を車で訪問すると、駐車場がその名も「大手門駐車場」。なかなか雰囲気のある名前で、雰囲気だけでなく外観もそれらしく仕上げられていました。
その周辺も街並みもきれいに揃えられており、掛川市が街ごと歴史に取り組んでいる姿がよくわかります。
これが大手門です。こちらは復元です。1854(安政元)年の嘉永の地震(1854)で倒壊し、1858(安政5)年に再建されましたが、明治維新と共に払い下げられ火災に遭い焼失したとここと。1993(平成5)年の区画整理事業に伴う発掘調査で遺構が発見されたが、そのままの位置では道路や家屋に影響ありということで、やむ追えなく50m北側に移して復元したとのことです。
これは掛川城大手門の番所(門を警備する役人の詰所)です。これは復元かと思いきや現存のようです。というのも明治維新によって払い下げられ移築して残されていたようです。1978(昭和53)年に民間から市に譲り受け市の文化財に指定。さらに、大手門の復元により、1995(平成7)年にこの地に再び移築されたとのことです。なので、これは現存する大手門番所ということになり、数奇な運命で再び役目を与えられたということなんですね。
大手門駐車場から大手門まで徒歩1分。そこから天守閣まで徒歩5分ほど。川沿いの整備された道を歩けるので雰囲気あります。そんな中にこんなものが。
一瞬物見やぐら?って思いましたが、消防団の見張り物台のようです。こんなところにもこだわっているところがちょっと素敵です。この素敵さ…伝わりますかね…(笑)
川の向こうに天守閣が見えます!ステキ!でもその手前に変な天守閣が見える…あれなんだろう…雰囲気壊されるなあ…。
橋を渡って掛川城公園へ。橋すら趣のあるものになっています。
現在位置はこんな感じです。この辺りは先ほどの川である逆川がこの掛川城の城山に当たり深い溝となることから「懸河」と呼んだことが「掛川」の名前の由来になっているといいます。
本丸広場に行く間にある「四足門」です。残念ながら門の遺構はみつかならかったようですが、正保城絵図を基に復元したものだそうです。
門を上がると掛川城主要部になります。城の全体模型がありました。
これを見ると全体図がよくわかりますね。
掛川城の歴史を表す総合案内板もあります。これによると、掛川城は文明年間(1469〜1486)に今の位置から東に500m行ったところに掛川古城と呼ばれる城を作ったのが今川家家臣の朝比奈泰煕(あさひなやすひろ)と言われています(パンフレットによると、掛川古城の築城年は1497年〜1501年の間となっている)。その後、今川氏の勢力拡大に伴い掛川古城では手狭になったことから、1512(永正9)年〜1513(永正10)年の間に現在の地に朝比奈泰能(あさひなやすひろ)が掛川城を築いたといわれています。
掛川城が堅固な城であったことを証明する出来事があります。周知のごとく桶狭間の戦い(1560年)で今川義元が打ち取られ、今川氏真が家督を継いで武田信玄に駿河を追われ、朝比奈泰朝(あさひなやすとも)を頼って掛川城に逃げ込んだ時です。徳川家康が1569(永禄12)年に掛川城に長期にわたり攻め込んでもなかなか陥落させることができなかったといわれており、最後は和睦による開城となりました。
その後、徳川が掛川城を領有するようになり、石川家成、松平定勝などが城主となります。有名な土佐藩主・山内一豊は関ヶ原の戦いの前は掛川城の城主で、関ヶ原の功により土佐を与えられて転封されました。この復元された天守閣も山内一豊が建立したものだといわれています。
これは本丸を囲む十露盤堀(そろばんぼり)です。
こちらが本丸門です。ここから本丸域ですが、これもスゴイ石垣なのでできれば復元してもらいたかったなあ…。
本丸跡は花広場となっています。藩主の住んでいる本丸御殿があった場所だと伝えられます。しかし、発掘調査では柱穴や礎石は見つかるも建物後は確認できずこのような整備になったと思われます。
では、いよいよ天守丸に登りましょう。
天守丸へ階段を登るとすばらしい景色が広がります。この辺りは腰櫓台跡と呼ばれ、敵の侵入に備え広く見渡せる櫓があったといわれています。今は掛川城を夜にライトアップするライトの置き場になっています。それともう一つ、写真下に見える側溝。これは発掘調査で確認されたものです。
本物が生かされているというのは、すばらしいですね。
いよいよ天守丸に到着。天守丸の入口に簡素な冠木門がありますが、本来の姿は天守下門と言って二層の櫓門があったようで、基壇も見つかっています。よく見ると写真左側にありますね。
天守丸にある「霧吹き井戸」です。1569(永禄12)年に徳川家康が今川氏真の立て籠もる掛川城を攻めた時、この井戸から立ち込めた霧が城を包み、家康の攻撃から守ったという伝説があります。井戸くらいで城を包むほどの霧が立ち込めるわけなく、伝承の一種なんでしょうね。
天守閣には鉄のでっぱりが張り巡らされており、敵の侵入を防いでいます。こんなところまで再現されているんですね。
昭和時代に全国に作られた復興天守閣とは全然違う。昭和期の復興天守閣はほとんど考証も行わないままコンクリートで作られる例が多いが、この掛川城の例はしっかりと発掘調査を行いその中で写真資料などを考証した結果のもの。しかも作りは木造です。だからこそ、内部にもこだわっているようで、内部の階段は松本城など現存天守閣と同様に急階段となっていました。
天守閣となりの御殿で白ヘビが出たようです。普通なら警戒するのに、ここでは金運・幸運をもたらすって!前向きな姿勢が昔の日本人的な感覚でいいですね。
天守閣頂上からみた本丸部です。腰櫓台跡のところにライトアップとソーラーパネルがあるのがみえますか?一応景観に配慮し板張りにしてライトアップ機器を見せないようにしているんですね。細かい配慮がいいですね。
天守閣頂上には忍者が居ました(笑)ただ観光のための忍者ではなく、最初は窓の外に居て出迎えてくれました。びっくりした。その写真を撮って置けばよかった。子どもたちと記念写真を撮ってくれました。
掛川城ライトアップの写真がこちら。東名高速から見えるほどきれいです。
本丸部のわき道を通って掛川城御殿に向かいます。
御殿側から天守閣を撮ると塀なども収まりカッコイイですね。ここは写真お勧めスポットです。
御殿は横から見るとこんな感じです。この感じ…どこかに似てません?
では掛川城御殿に入ります。
掛川城の御殿は二の丸に江戸後期に建てられたもので、かなりの広さを持ちます。
御殿の入口です。ちょっと見ると京都の等持院のようですが、中はもっと広いです。
この感じ…お気づきの人います?これ、京都の二条城に似ていませんか?それもその筈、日本に現存する4つの本丸御殿に掛川城御殿も二条城御殿も入るのです。
掛川城御殿の庭はこんな感じです。まるで銀閣の庭のようですね。
御殿の内部の展示は2006(平成18)年のNHK大河ドラマ「功名が辻」(主演・仲間由紀恵、上川隆也)の内容でいっぱいでした(笑)このドラマの時は結構撮影舞台となっていたみたいです。2002(平成14年)年の「利家とまつ」以来戦国などの女性ものの大河ドラマが多くなっていますね。来年の2013(平成25)年も「八重の桜」で女性ものですし。
最後は掛川城付近にあるお土産物屋でソフトクリームを食べて帰宅。静岡名産のお茶もいいけど…高いんだよね…。
<掛川城天守閣・御殿>
◇開館時間 午前9時〜午後5時(入城は16時半まで)
◇休館日 年末年始(12月29日〜1月1日)
◇入館料 一般400円、小中学生150円
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