情報は2023年8月現在

一乗谷朝倉氏遺跡-復元武家屋敷群-
(福井県福井市)
一乗谷武家屋敷01

一乗谷武家屋敷02
 次に「一乗谷朝倉氏遺跡-復元武家屋敷・町並み-」に行く。2008(平成20)年に初めてここに来た時には「中世社会を実際に体験できる」とワクワクが止まらなかったのを15年後の2023(令和5)年に思い出した。復元街並みの入館料は大人1名330円(2023年8月現在)である。

一乗谷武家屋敷03
入口にある展示室には、復元街並みを作るにあたって先に作ったジオラマがある。この風景画が実際に見られるとは、本当に貴重な中世史跡である。ちなみにこの日の福井の気温は35℃にも登り入口で休憩してから回ることにした。

一乗谷武家屋敷04
一乗谷武家屋敷05

御抹茶を頂く。スタッフの方が「茶碗は一乗谷遺跡から出土した天目茶碗をイメージしたものなんですよ。ちなみにお茶菓子も朝倉の家紋入りです。」と。こういうところのこだわりを感じる。おいしいお抹茶で体力を回復させて、いよいよ復元街並みへ。

一乗谷武家屋敷06

復元武家屋敷のメインストリート。石垣を含む土壁が雰囲気を感じさせる。周囲に高い建物もなく、本当に室町時代へタイムスリップしたかのような雰囲気である。
一乗谷武家屋敷07
 最初に中級武家の復元武家屋敷へ。この門は地面に2本の柱を立てた「棟門」である。

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 まず入った武家屋敷。一乗谷の家々をみるとまず感心するのが井戸。どんな小さな家にも井戸がある。人間の生活の基本となる水が意識された計画的な町造りをしているんだなと感心。

一乗谷武家屋敷09
 門を入って右側。便所があった。今の和式便器と同じように「金隠し」が設置されている。これは想像復元ではなく、金隠し自体が発掘されているのである。これも文献だけでなく発掘調査を見ないとわからないことだなあ、と現代と同じような景色のトイレをみてまた感心した。

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一乗谷武家屋敷11

次に中級武家屋敷の主殿を見る。
一乗谷武家屋敷12
 武家屋敷の主殿では武士の像が将棋をしている様子がみられた。将棋の駒も一乗谷から発掘されている。将棋から先の手を思考することを学んだのだろうか。

一乗谷武家屋敷13

今の将棋にはない「酔像(すいぞう)」という駒があった。2008(平成20)年の時には「駒の動かし方は不明である」と展示に書いてあったが、全国の例で駒の動かし方について発見があったらしい。また離れ座敷には茶道具もあった。七尾でも香道が盛んだったようで、中世のある程度発展した町では共通のアイテムなのであろう。

一乗谷武家屋敷14
 屋敷の台所では調理中であった。上記は2023(令和5)年の写真である。下の2008(平成20)年の写真では包丁を使わないで魚を調理している。
一乗谷武家屋敷15
 室町時代は、庶民にも包丁や鍋などが行き渡るようになった時代である。この一乗谷遺跡でも包丁が発掘されているので変更したのであろう。こういうマイナーチェンジもみていて楽しい。

 さて次は平面展示している周りの武家屋敷を覗きます。

一乗谷武家屋敷16
 復元武家屋敷の向かい側の「上級武家屋敷」に入る。この門は地面に4本の柱を立てた「薬医門(やくいもん)」である。門の大きさからも上級武士の格式の違いが見て取れる。あれっ?土壁の塀はあるのに建物がない。どうやら、この一帯は復元ではなく、平面展示されているようだ。

一乗谷武家屋敷17
 だだっぴろい空間に、土盛などがある。ここが屋敷の敷地と敷地の境界線なんだろう。この空間は柱の跡や建物跡などが平面展示されている。発掘された場所に上にコンクリートなどで固めて屋敷の痕跡を示すものだ。2008(平成20)年の訪問時に一緒に訪れた歴史友達の武藤様が「こんなに敷地が広いのに、なぜ建物の面積がせまいんだろう」という鋭い質問。これにはガイドスタッフが答えてくれた。「田畑などの土地改良工事の時に遺構が失われてしまった。だから、これだけ広大な土地なのに、遺構が発見されなかった。ただ、江戸時代の古地図に屋敷跡と書かれていることから、武家屋敷があったのは確かである」といっていた。

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 上記写真は先ほどの「上級武家屋敷」の隣の上級武家屋敷。この武家屋敷は比較的遺構が残っている方ではあった。表面展示もいいが、やっぱり立体感のある復元展示の方が私は好きである。でも、一乗谷のような比較的良好に遺構が残っているとされる地域でも遺構が失われればもはや調査はできない。都市化が進んでいる関東や関西はかなりの遺構が失われているのであろう。

ここで、入口にあった「復元街並みのジオラマ」に戻ろう。

一乗谷武家屋敷19

 写真左側中央に「中級武家屋敷」が2件ある。それに対し、写真右側にある「上級武家屋敷」の2件はとくに右下の武家屋敷はかなり広い。遺構としては出土しなかったが、ジオラマのように主殿を含めていくつもの建物があったのであろう。このようなジオラマが訪れた人の想像をかき立てるので、ぜひジオラマを見てから復元街並みを回ることをお勧めする。

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