「能登畠山氏七尾の歴史」が誕生したのが1998年11月25日。パソコンの知識も、歴史の知識もろくに無いままWebサイトの管理人を始めた。そうこうしているうちにすでに2018年となり20周年。気がつけば平成も終わりを迎える(今上天皇が平成31年4月30日で退位なされ、上皇になる予定)ことになり、嫌が応にも時代の移り変わりを感じる。そこでサイトの変遷と管理人の歴史のあゆみを振り返りたいと思います。
西暦 | 和暦 | できごと |
1998 | 平成10 | 7月、能登に旅行に行き、七尾城や能登畠山氏関連の史跡や書籍を見て大感動する。 |
ネット上で遊佐きむち氏と出会い、初めて能登畠山氏の歴史に興味ある友と会話する。 | ||
11月、遊佐きむち氏との出会いと旅行がきっかけで、「能登畠山氏七尾の歴史」サイト公開。 | ||
1999 | 平成11 | 長続連氏、神保長職氏など歴史サイトの開設が盛ん。北陸歴史の話題も盛り上がる。 |
歴史のまとめてリンクするサイトが隆盛。私も「北陸歴史ねっと」を開設し、北陸歴史サイトのネットワークを目指す。 | ||
遊佐きむち氏と能登旅行。七尾城訪問。現在は廃線ののと鉄道能登線で松波駅下車、松波城探訪。 | ||
2000 | 平成12 | 私的歴史小説『義綱奮戦記』が一応の完成を見る(その後度々補正)。 |
林光明氏との出会い。本格派の歴史専門家とネットを介して関わり、さらにサイト内容も充実。 | ||
冨樫氏のサイト「加賀冨樫氏分館」と個人サイト「ぱすてるの〜と」を開設。 | ||
サイトのURLお引っ越し | ||
2001 | 平成13 | ペット可物件に引っ越し愛娘猫たっちを家猫にする。泊まりの旅行が原則不可能になる。 |
愛車スターレットの能登号を手に入れる。車で歴史訪問旅が出来るようになる。 | ||
2002 | 平成14 | 石川県に一週間滞在。七尾城訪問。林光明氏の家にもご招待いただき、鳥越城など多くの史跡を訪問。 |
歴史サイト管理者のオフ会に参加。くらのすけさんなどが参加。 | ||
2003 | 平成15 | 新幹線東日本のキャンペーンを使い、新幹線で米沢・仙台・盛岡旅行。 |
2004 | 平成16 | 頻繁な更新を維持できず「北陸歴史ねっと」閉鎖。サイト更新停滞期。 |
加賀冨樫氏分館を「加賀冨樫氏野々市の歴史」サイトを独立公開。 | ||
2005 | 平成17 | 長続連氏と能登旅行。七尾城、穴水城、天堂城などを久々訪問。 |
家族で2泊3日で能登旅行。愛猫たっちも連れて行くペット可ホテルへ泊まる。七尾城、輪島朝市、珠洲市など訪問。 | ||
2006 | 平成18 | 愛娘猫たっちが病気で亡くなる。 |
2007 | 平成19 | 愛息子猫めいが家猫になる。 |
四国に2泊3日で家族旅行。愛息子猫めいは実家にお預け。湯築城や土佐中村御所などを訪問。 | ||
大河ドラマのセットである風林火山館訪問。 | ||
興臨院の特別公開に合わせ武藤氏と京都・滋賀・福井旅行。一乗谷史跡訪問。 | ||
2008 | 平成20 | 能登畠山創設600年記念行事に合わせ武藤氏と能登旅行。七尾城訪問。講演会参加。 翌日、武藤氏と春日山城、江馬氏館訪問。 |
2009 | 平成21 | 長野旅行で荒砥城訪問。その他逆井城、飛山城、宇都宮城、足助城訪問。 |
2010 | 平成22 | 平城京遷都1300年祭へ行く。平城宮跡の見学を通じて古代にも興味が沸く。 |
勝沼氏館、高根城訪問。中央線201系引退(泣)。ブログの更新11月だけで77件! | ||
2011 | 平成23 | 武藤氏と東北大震災復興応援で東北旅行。会津若松城訪問。 |
2012 | 平成24 | 金山城、古河城訪問。 八王子城ガイダンス施設完成。 |
2013 | 平成25 | サイト更新停滞期。歴史旅行も停滞する。 |
2014 | 平成26 | 初めて本格的な能と狂言を堪能する。 |
2015 | 平成27 | 北陸新幹線金沢まで開業。加賀屋に初めて宿泊。その後七尾城訪問。 |
愛車能登号は平成5年登録者で、そろそろ色々な所が限界。乗り換えとなる(泣) | ||
2016 | 平成28 | 小田原城訪問。 家族で長野旅行で大河ドラマ真田丸関連の大河ドラマ館と上田城訪問。 |
2017 | 平成29 | 大河ドラマ「女城主直虎」関連で大河ドラマ館と井伊谷城訪問。 |
2018 | 平成30 | 林光明氏ご逝去。サイトを引き継ぎ、「加賀冨樫氏野々市の歴史with一向一揆」となる。 |
能登立国1300年能登ふるさと博にて、のと里山里海ミュージアムOPEN。武藤氏と能登へ旅行。 | ||
こたつ城主様、こたつ城主旦那様、小野寺維道様とのオフ会。関宿城訪問。 |
(1)サイト創設期(1998年〜2001年)
この頃は、とにかく能登畠山氏のことを知るのが楽しかったし、旅行に行けさえすれば新しい発見があった。サイトを充実させることに忙しく。コンテンツも「質より量」。誤字脱字もなんのその。人物特集、不定期特集を充実させると、手当たり次第「能登畠山関連人物」を列挙するために。「能登畠山家武将総覧」を作成。これをきっかけにどんな小さな記事でもここに載せ、能登畠山氏の人物の掌握に努めた。調子に乗って隣国の加賀冨樫氏まで領域を広げ、さらには北陸の大名サイトのネットワークを作ろうとし「北陸歴史ねっと」を開設した。歴史サイトも多く生まれたし、オフ会もかなり頻繁に開催できていた。今思えば歴史サイトの頂点だった気もする。
(2)全国への興味沸く期(2002年〜2012年)
能登畠山氏の書籍や情報の収集が資料的制約で厳しくなる。それにつられて本業が忙しくなる。そこでサイトのコンテンツは初めて「量より質」に転換。最初は誤字脱字の訂正程度だったが、コンテンツに一次資料である古文書を根拠として掲載したり、歴史論文のような書き出しやまとめを加えたり。仕事が忙しいからこそ、既存のコンテンツの充実を図ろうとしたある意味とても大切な時期だった。それにつれて、歴史小説「義綱奮戦記」で時代考証に迫られ、能登だけのことではなく「周辺大名の状況はどうだったのか?」「同時代の他の戦国大名はどうだったのか?」そして全国の歴史スポットを訪問するようになった。能登以外で訪問したところは「義綱他国城館訪問記」にアップすることで備忘録した。能登だけで無く興味が全国という地域的広がりを見せたことで、自分の興味が横軸に広がったと言える。2008(平成20)年にはサイト開設10周年を迎え、さらに能登での「能登畠山氏創設600年記念」というイベントもあり、全国の興味からの能登への還元に成功したと思われる。また、2010(平成22)年には平城京遷都1300年祭に家族で行った。広大な平城宮跡での復元された朱雀門や大極殿や東院庭園をみて、古代の魅力にも触れることができた。これは能登から全国へという横軸の広がりに対して、中世から古代へという縦軸への興味への広がりと言える。このような視点の広がりまでも、能登への歴史への探究につながるとは・・・。
(3)サイト停滞期(2013年〜2018年)
さらに本業が忙しくなる。さらに自宅近くで行ける史跡がなくなってきた。そういう事情からさらにサイトの更新が遠のいた。七尾への旅行も2013年〜2018年では2回(2015年と2018年)しかなく、まさに本業に追われてサイトの存在すら危ぶまれた時期である。そこで参考になったのがNHKの大河ドラマ「真田丸」。主人公の視点と対立勢力からの視点とうまく描かれており、その部分を「義綱奮戦記」に生かすことができた。こうしてサイトの更新がなかなか止まっていた頃の2018(平成30)年「能登立国1300年 能登ふるさと博」の一環で、七尾市に「のと里山里海ミュージアム」が開館するということで、久しぶりに能登に旅行に行け充実した日を過ごすことができたサイト創設20周年であった。
このようにサイト創設20周年を見ていくと、少しずつではあるが、まともな論文調のサイトが出来てきたと自負している。しかし、この20周年のうちに「個人サイト隆盛」→「ブログ全盛期」→「SNS隆盛」→「スマホ」「LINEブーム」→「インスタグラム」ブームと、Webサイトの役割もだいぶ変わったと思う。この20年で歴史個人サイトはかなり無くなっていると言える。現代ではテキスト中心の個人サイトより、豊富なグラフィックの綺麗なサイトが好まれる傾向にある。さらにWebの閲覧がパソコン中心からスマホやタブレットを中心に変化しており、そのため個人サイトを作ることすら難しくなっていると思う。スマホやタブレットしか扱わない人が多くいるので、現在は「LINE」や「インスタグラム」「TikTok」などの比較的簡単にコンテンツを作れるものに人気が移っていく傾向にある。
我がサイトももっとグラフィックをこだわらなきゃと思いつつ、その元気も知識もない。そう思うとなぜこのサイトを20年も続けたのであろうか。
その答えは、自分が調べた事を自分が忘れたくない。という事に尽きると思う。昭和晩年にはやった自費出版ブーム。それに近い形のものが個人歴史サイトづくりではなかったか。私が知ってまとめたことを自分自身で忘れたくない。考えたことをまとめておきたい。それがサイトの運営につながり、誰が見ても見なくても20年間サイトを続ける理由なのではないかと思う。
だからこそ、変化し続けるネット環境の中にあって20年前から取り残されたかのような、我がサイトがあってもいいのではないかと思った。本当に20年サイトを続けて来たのは、自分の飽くなき探究心と、上の年表にあるように、たくさんの歴史仲間の存在が支えてくれたことにまず御礼を申し上げたい。今後とも本サイトをよろしくお願いします。
平成参十年十壱月十七日
畠山義綱(花押)
20周年を迎えて〜その2〜能登立国1300年 能登ふるさと博を訪ねてへ
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