人物列伝
「小栗忠順」
↑小栗忠順イメージ像(畠山義綱画)
人物名 |
小栗 忠順(おぐり ただまさ) |
生没年 |
1827〜1868 |
出身地 |
江戸 |
主な役職 |
歩兵奉行・勘定奉行など |
本人思想 |
幕権強化による徳川幕府の絶対化 |
参考文献 |
萩原裕雄『江戸幕閣100話』立風書房,1992年 |
- 人物の歴史
- 従来から改革派であった小栗の幕政改革は15代将軍慶喜の時代となりようやく始まった。というのも、幕府の改革の遅れは260年もの平和な年月が育んだ保守性のせいからだった。慶喜のバックアップを受けた小栗は慶喜の目指すフランス式の軍隊を確立するため、軍制・経済の改革に取り組んだ。そのため小栗はフランスに軍艦や武器の購入と借金の交渉をし、蝦夷地の産業開発権を担保に実に$600万の追加借款が合意された。しかし、フランスの「輸出入会社」などの設立が難航し、なかなか借款が実現しなかった。
小栗はフランスとの関係強化のほかに、国内経済にも新政策を施そうとした。三井に関税収入を貸し与え、三井の資金を加え江戸の問屋商人に資本を貸し付けて、流通の統制を図ろうとした。それは「幕権強化」=「軍備増強」=「財政強化」=「金融・流通の統制」という意図であった。さらに小栗は幕府による中央銀行の設立や住宅税、営業税、消費税など現代から考えても驚くほど進歩的な税制を考案しその調査に乗り出した。しかし、これらの経済政策は統一国家の下での資本主義経済で実現可能なのであり。幕藩体制の下では困難であった。そのため小栗は薩長を叩き潰した上で郡県制度を実行し、その上に幕府が君臨する統一国家を構想した。
しかし、1867年に慶喜の提案する大政奉還に強く反発し薩長との徹底抗戦を主張したため勘定奉行を罷免されてしまった。小栗はこの後再起を謀ったが官軍に捕らえられて処刑された。処刑地には「偉人小栗上野介、罪なくてここに斬られる。」という石碑が建っている。享年42歳であった。
- 義綱解説
- う〜ん。悲劇な人物ですね。生まれてくる時代を間違ったとでも言えましょうか?政治の腕前はかなりのものですねえ。かなりの先進性の持ち主でした。ちなみに「維新の嵐」というゲームに出ています。彼は幕臣(奉行)だから出世できないから説得工作がきびしい。それだけにやりがいがありそうですが。でも、関所で捕まる確率が高いのは何故?幕府のために尽くしてるのに〜!これも保守的幕府の嫌みであろうか?
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