2005年3月31日をもってのと鉄道能登線(穴水−蛸島間)の歴史は終わりを告げた。中居駅、比良駅、鹿波駅、甲駅、沖波駅、前波駅、古君駅、鵜川駅、七見駅、矢波駅、波並駅、藤波駅、宇出津駅、羽根駅、小浦駅、縄文真脇駅、九十九湾小木駅、白丸駅、九里川尻駅、松波駅、恋路駅、鵜島駅、南黒丸駅、鵜飼駅、上戸駅、飯田駅、珠洲駅、正院駅、蛸島駅の全29駅と穴水を起点にして61kmの線路が廃線となる。奥能登の公共交通が一挙に消えうせたのである。もう穴水駅から先に列車が向かうことはないのである。のと鉄道は「七尾−穴水間」の僅か33.3km、列車乗車時間にして僅か40分だけの鉄道になってしまったのである。2000年3月の「穴水−輪島間」20.4kmの廃止とこの2005年3月の「穴水−蛸島間」廃止でのと鉄道は大きく縮小することになってしまったのである。2003年に能登空港が開港して能登観光はこれからという時にである。誠に残念でならない。
≪新しい車両が投入される≫ 2005年4月、のと鉄道に新しい車両が投入された。NT200系である。のと鉄道のみならず全国の第3セクター鉄道の経営は芳しくなく経営難のため古い車両のまま運営することがしばしばある。古い車両は、加速やブレーキの効きが悪く速く走れなかったり、冷暖房の設備が古かったり、スプリングが悪く座席の座りここちが悪かったりと快適性に欠け、乗客離れがいっそう進むという悪循環に陥りやすい。しかし、のと鉄道は違った。JRからのと鉄道に移管され開業する1988年3月25日に合わせて、レールバスを発注し全ての車両を新しくした。それだけのと鉄道に市民は期待していたし、のと鉄道も気合をいれていたのである。ただ、この新車購入で資金をだいぶ使ったせいなかの、1988年以降2005年までの17年間新車投入はなかった。その間に車両はどんどん古くなりのと鉄道の経営もさらに悪化していった。せめて塗装の塗り直しくらいできなかったものか…。悔やまれる。
≪鉄道の痕跡を残し…≫ 2000年3月31日に「穴水−輪島間」20.4kmが廃線となり、それに伴ない輪島駅、能登市ノ瀬駅、能登三井駅の3駅が廃止となった。私は2005年の能登旅行の際、旧輪島駅と旧能登三井駅を訪れた。それぞれ鉄道の痕跡は残っていたが、輪島駅と能登三井駅では全然痕跡の在り方が違った…。その違いを見てみよう。 旧輪島駅
旧能登三井駅
↑2002年7月のと鉄道の終点蛸島駅(まだ蛸島駅が現役の時) これは2002年7月に私が訪れた時撮影した蛸島駅である。まだ現役であるが、無人駅であり列車交換設備もなく終点駅なのでその先の線路はなく途中で草に覆われている状態でした。それでもこの駅には当時列車が来ていた。だから人の流れがあった。2005年4月以降、列車ははるか60km先の穴水駅で終点となった。蛸島駅含め29駅は人の流れがなくなった。これからの駅周辺の未来は?そして奥能登の未来は?そして能登全体の未来は?そして新しい能登の顔・能登空港からは今日も飛行機が飛び立ってゆく…。
↑TOMIXで限定発売された「急行能登路色キハ58系2両セット」の箱
|
DATA | 営業 キロ |
輸送 密度 |
平均乗 車キロ |
平均 運賃 |
輸送人員 | 運賃収入 | 現業経費 | 粗利益 | 営業係数 | |
年間(千人) | 年間(千円) | 年間(千円) | (千円) | 粗利益 | 償却後 | |||||
のと鉄道 | 114.5 | 1210 | 16.44 | 15.02 | 3088 | 784335 | 943530 | -159195 | 120.3 | 140.5 |
Copyright:2005 by yoshitsuna hatakeyama -All
Rights Reserved-
contents & HTML:yoshitsuna hatakeyama