穴水城(穴水城址)
<穴水町指定史跡>


穴水城本丸跡
↑本丸跡(穴水町が設置した看板が建つ)

読み仮名 あなみずじょう
別名 岩立城、白藤城、岩木城
所在地 鳳珠郡穴水町大町
形式 山城
築城者 不明
築城年 不明
遺構 特になし
歴代城主 能登長氏(→温井氏→前田氏→廃城)
交通 のと鉄道穴水駅から徒歩15分
資料館 町立民俗資料館(城址麓)
備考 本丸跡に町の看板が立つ
 
 穴水城に居城した長氏は将軍直属の奉公衆であったが、畠山家中でも内紛が噴出してきた16世紀中頃に能登畠山家の被官となった。しかし、その穴水城も一貫して長氏の居城だったのではなく、荒屋城、高瀬城を経て長家8代当主・正連の頃に本城を穴水城としたらしい。また、1488年には長英連が温井氏に穴水城を陥落させられて一時城を明渡した事もあった。穴水城の規模としては、能登長氏の祖先・長谷部信連の頃(鎌倉時代)は一般的な武士の館程度であったという。
 当時能登の多くの都市がそうであるように、穴水もまた良港を持っていた。それゆえ、海運を介したかなりの商業流通が穴水の町全体で行われていたであろう。経済活動が活発であった微証に、現在鋳物博物館があった中居地域(穴水町)では、長氏の強力な権力を背景にかなりの工業(鋳物業)が発達していたらしい。穴水城もまた港の近くにあり、穴水の町の発展を支えていたのである。
 現在の穴水城は穴水城址公園として整備されており、4つの城山登山口が整備されている。歴史民俗資料館から町役場側の入口は道もあまりよく整備されていないので、登るなら長谷部神社裏手の新しく整備された登城道から歩くのが良い。本丸跡には「穴水城址」の石碑と町が立てた看板があり、ちょっとした散歩コースにもなる。

<★☆★穴水城址その他の写真★☆★>
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穴水城址08
↑城址への入口
穴水城02
↑99年時本丸跡への途中道
穴水城址06
↑05年時本丸跡への途中道
穴水城址09
↑本丸跡の石碑・看板
穴水城址03
↑岩屋堂観音(注1)
穴水城址05
↑新しく整備された登城道

(注釈)
(注1)看板には「昔々の絵図に城山台地の一角に岩屋堂の石地蔵有と明記されているが長い年月で現存していない。穴水城主長谷部信連公の兜に観音像が守り本尊としていこまれていたとの伝記がある。文武にすぐれ民を愛し穴水平野の開発に力をつくした信連公にあやかり岩屋堂観音と称して平成二年七月長谷部まつりに復元したものである。 平成二年穴水町あすなろ懇話会、能登穴水・長谷部神社」と書かれている。

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