平成十三年如月三日土曜日−チャット独楽亭にて(一部抜粋・修正)
(参加者:味舌左京太夫政宗殿、畠山修理大夫義綱)
味舌左京太夫政宗(以下政宗略):味舌政宗、参上致しました。どなたかおみえになりますか
畠山修理大夫義綱(以下義綱略):が参上いたした。
政宗:ご無沙汰してます。
政宗:なかなかお会いできませんでしたね。こっちの掲示板の書きこみありがとうございました。
政宗:ゲームのことで宮野洲さんやみなさんからいろいろなお話がありましたよね
義綱:遅参、申し訳ありませぬ・・・・。
義綱:ゲームでは中小大名を「馬鹿殿」呼ばわりするなど、ちょっと影響が悪い方へ進んでいますよね。
政宗:特にKOEIの場合はむごい仕打ちを受けておりますからな<中小大名
政宗:私も一言かいてみました。たぶん野洲さんや義綱殿とは同じ気持ちだと思いますから
義綱:私も「能登畠山氏」の能力値を掲載しているけど、味舌殿のカキコを受けてちょっとやめようかと思っています・・・。
政宗:本当にひどいと思いますよ。ゲームってのはあくまでもゲームであって実際とは全く違うから
政宗:そうですか。以前は烈風伝をやってましたけどどうしても自分で武将の能力をつけてみてわかったのはマイナー勢力にはなぜか辛くなっていたでも色々史料を読むうちにやる気が失せてしまいましたね
政宗:能力値なんて相対値で決められないはずなんです。だいたい、地域や勢力といったもので違いがあるのをゲームは無理にいっしょにしてしまっているでもそうしないとゲームにはならない
義綱:私も同感です。地域によって色々事情があるなか、それを1つの数値にするのは無理ですよね・・・。
義綱:ゲームの功罪は、歴史を身近にしたことがありますが、デメリットとしては、ゲームの能力値=史実と思い込んでしまった点ですね。
義綱:武将ファイルはそれをさらに助長させています。マイナー武将まで知ったつもりになってしまうし。
政宗:あの武将ファイルをみれば成功した大勢力については丁寧だけど弱小についてはかなり厳しいですね。最近は買ってないです
義綱:私は武将dataの為だけに買っていますが(笑)
義綱:信長の野望は、信長礼讃ですからね(爆)
義綱:さすが、信長が主人公だけある(苦笑)
政宗:そうでしょう。わたしもかつてはその口でしたから<武将data
政宗:信長礼賛が甚だしすぎる。まあ売る為には戦国時代で成功した人を中心に据えるのが手っ取り早いですから
義綱:でも、ここだけの話(笑)、武将ファイルが参考文献なんてHPもざらにありますよね(苦笑)
義綱:光栄のゲームってそもそも勝者びいきではないですかね?維新の嵐でも佐幕派は結構厳しく、西郷とか坂本とかは非常に能力値が高い。
政宗:歴史SLGもある意味曲がり角に来ているような気がしてます。特に今回の嵐世記ではかなりディテールだけは替えてきましたから
政宗:そうだった。とにかく初期のゲーム事典(単価5000円)では悪口ばっかりでしたね。やたら尊王や土佐には甘い<勝者びいき
義綱:そうですね。マイナーチェンジがある程度限界に来たところで、将星禄やネット信長を出しましたが、どちらも本物の史実とはかけ離れてしまっていますからね。
政宗:そんなHPがあるんですか(苦笑)<参考文献が武将ファイル
政宗:史実に合わせようとすると恐らくゲームが進まない、ゲーマーのイライラが募るので安易にっていうのが見えてくるんですが
義綱:将星禄と烈風伝、ネット信長はまさに大大名の為のゲームだった気がします。
政宗:将星録や烈風伝以上に天翔記もその傾向は大でしたけど<大大名のためのゲーム
義綱:私も、将星禄までの武将ファイルを参考文献に、能登畠山についてまとめた事がありますが、全部でA4が1頁にもならなかった・・・。
義綱:天翔記は超マイナー武将が出てるのだけが救い。
政宗:武将ファイルなんて本当に内容が薄いんでしょうね。大方は新人物往来社の事典なんかがソースだと思いますしね。わたしのHPも結構かつてはその傾向がありましたけど(笑)
政宗:たしかに超マイナー武将がでていたのはよかったです<天翔記
義綱:武将ファイルに参考文献が書いてありますが、およそあれでは能登畠山のことなんてわかっていない!と思いますね。しかも、参考文献が武将風雲禄以降進化無し(苦笑)
義綱:宇都宮豊綱もおりました(笑)<天翔記
政宗:義綱殿のHPをみていかに武将ファイルが表面をなでているかがわかるような気がします。参考文献に変化が無いのも手抜きとしか言えない
義綱:ちなみに、数値決定は基本的に一人で決めているらしいです。理由は複数だとなかなか決まらないから(爆)手抜きの合法化か?
政宗:昔は乱世到来なんかでも批判は頻繁にやってましたけどね。それがどう影響するかはわかりませんが
政宗:能力値決定はそうでしょう。たくさんいればいるほど武将についての考えがまとまらない。思い入れも有るし(ほんとはあってはならんのですが)
義綱:私は基本的に能力値など、大差なくてもいいと思っています。結局プレーヤーの腕次第でなんとかすれば良い問題で、その地域を良く知った人で能力値を決めるってのはどうでしょ?
義綱:そういえば、味舌殿は越後上杉家の上杉房定という人物を御存知で?
政宗:能力値というよりは選ぶ大名の周囲状況でできるコマンドを制限しなんらかのことを達成すると別のコマンドが使えるようになるとかいうのはどうでしょう。そして能力も課題を解決する後とに上がって行くみたいな。でもRPGになっちゃうけど
義綱:15世紀半ばの人物ですが、越後守護で安定をもたらした人物です。個人的には15世紀などでは結構注目の人だと思いますが。
義綱:それは良いですね!だいたい大内義長が陶晴賢に命令出来るなんてちょっとおかしいのも解決できますね。
義綱:そうなると、基本的に能力値はS・A・B・Cとかが良いのでは?
政宗:上杉房定といえば、関東管領上杉顕定、越後守護上杉房能の父のことですか。たしか関東管領だったと記憶してますが
政宗:そう、別に数値にする必要はない。ただただ基本値だけは決めておいて上がるようにすればよいと思いますが。<能力値
義綱:『中世の越後と佐渡』の本には越後守護と出ていますが??関東管領にもなったのかな??
義綱:彼は守護大名的手法で越後に安定をもたらした人物らしいです。
政宗:そうだった。上杉房定は古河公方と幕府の和睦の斡旋をした人物だった(都鄙合体の立役者)
義綱:中小大名救済の為にも、史実とのバランスの為にも良いですね。コーエーさん取り得入れてくれませんか?
政宗:いちど見てみましょう。守護大名的手法で安定をもたらしたとすればかなりの手腕をもっていたと思いますね<上杉房定
義綱:そうそう!15世紀半ばにもこういった手法での領国安定が成し得たんですよね。結構私も興味を持ちました。
義綱:信長とか16世紀半ばでの領国安定策と上杉房定の領国安定策を比較すると時代の移り変わりなどが結構わかるのではないでしょうか?
義綱:上杉房定については『新潟県史 通史編2中世』が良いです。上杉房定の項があります。
政宗:そうですね。守護大名的な領国施策については研究が進んでますが戦国大名のものよりもわかりにくいですね。でも比較すればなにが違うかははっきりするでしょう
義綱:室町後期〜戦国前期〜戦国後期としての政治体制を考える比較対象にはうってつけだと思います。
政宗:結構守護領国制については大御所の方が著作されていますので割と学ぶには入りやすいと思います。でも私もまだまだ勉強不足ですが
義綱:越後上杉といえばそれまでの混乱ぶりと房定の後の混乱を考えれば、房定のこういった政策が安定化に役だったと推測できますし。
義綱:いえいえ、分国法などに注目される味舌殿のその知識、感心します!
政宗:そうでしょうね。多くの地域でその手法は応用できると思います<比較
政宗:分国法でも今川仮名目録などは氏親時代と義元が追加を出した時代で大名のスタンスが大きく違っています。まだ戦国大名といっても守護のような氏親に対して義元は幕府あっての今川領ではなく、自分合ってのという意気込みが伝わってきます。
義綱:やはり守護と戦国大名はかなり違うことがわかりますよね。それも氏親と義元は年代的にそれほど離れていないし。
義綱:その反対に、崩れ行くだいたいの大名が幕府に接近しているのが興味深い。
政宗:特に守護使不入の土地については氏親の時代は駿府だけは守護不入の特権はなくすと宣言しましたが、義元の出した追加では守護不入地は足利将軍が実権の遭った頃の遺物で今はないからもはや通用しないとまで言いきっているんです。この違いでも戦国時代前期と後期ではまったく大名のスタンスが違うことが窺い知れると思います
政宗:守護は幕府あってのもので、戦国大名は幕府が無くても自らの力で領国を従わせられるものという見解もあります。幕府にべったりだったのはまさに守護が幕府から与えられる職権であり彼らとて幕府がないと領国に影響力すら行使できないんです。
義綱:となると、幕府を背景にしてしか影響力を持ち得なかった守護が、どうして戦国大名化できるようになったのか、守護→戦国大名のパターンを知りたいですね。
義綱:天皇の式微論が覆された(そうな)今、幕府復権論が叫ばれてもいいのかなと思います<大名の幕府接近
義綱:そうですね。やはり幕府あっての守護ならば、幕府が崩れそうになればやはり自立の道を探らねばということでしょうか?
政宗:室町期の天皇は式微していたものの、幕府があまりにも弱すぎて天皇の治罰綸旨だよりっていうのが天皇の権威を高めたんだと思います<天皇の式微論の覆り
義綱:でも、先ほども書きましたが、没落する大名の多くは幕府を頼みとしたという点では、幕府=守護の力が復権したといえないでしょうか?
政宗:守護→戦国大名になったパターンの多くは辺境(九州)や鎌倉府に備えた関東との国境に限られるでしょう。大内氏などはかなり独自のことを15c半ばから進めてましたけどあまり京都に近いのはだめみたいですし、在京が長すぎる大名もだめですね。逆に在地が許された大名のほうが幕府の影響力が少なくて澄んでのではないかと
義綱:幕府が弱くなったので、天皇の地位が復権という図式が成り立つなら、守護の力が減退したので、幕府の地位が復権したと仮定できないでしょうか?
政宗:それが復権しなかった。言いかえると一時的に復権していたのは細川氏だけ。将軍は畿内政争の具にしかなり得なかったと思います。総ては明応の政変が物語っているように思います
義綱:その頃の話ではなくて、戦国後期に三好や信長が将軍の行動を無視できなかったのは、そもそも一応の権力の中心と見る事も出来ますし、今川氏真、畠山義綱等の将軍への働きかけは、将軍権力を通じての権威高揚ですから、将軍の力があったと見て良いのではと思いました。
義綱:畿内政権だけ、畿内政争にだけと将軍権力を考えると、今川氏真の動きなどの理由づけがなくなってしまう気がしますが。
政宗:将軍の力といっても、遠方の大名にとってはその権威を領国支配に役立てた例があるので全く無力とは言いきれないですね。
政宗:あ〜なにか説得力がないですが。将軍についてはどうも畿内を中心に見てしまう癖がついているようです。こと地方においては将軍様から頂いた官位を振りかざしながら戦国大名になっていた連中も多いですから(伊達稙宗や尼子晴久、大友宗麟)
義綱:やはり将軍も式微論みたいなことも言えるのでは?と思っています。
政宗:特に足利義輝については遠方の大名へ御内書や調停などを頻繁にやってますし、義昭も同様ですからね
義綱:山田康弘『戦国期室町幕府と将軍』吉川弘文館という本では将軍家の権力がまだまだあったことを書いていますので参考になるかも。
義綱:地方に対しても影響力を保持したという見方もできますしね<御内書
政宗:実はその本、先週図書館で拾い読みしたんです。じっくり読めば理解が深まりそうですね。吉川の本は難解ですが,役に立ちますから
政宗:納得です。その地方の大名がどう使おうが影響力を与えた点では無視できませんから<御内書
義綱:おお!それはそれは!その本は、明応の政変についても違う見方をしていますし、読めば非常に面白いですよ。
政宗:まだまだ上っ面だけで戦国時代初期を探っている私にとっては公言った議論は本当に勉強になります。論文にあたる数が少なすぎるのかも
義綱:戦国期の将軍家は、大大名にとっては政争の道具でも、地方大名には一国の覇権を得るためや、守護大名の権力維持に使われた。その点で幕府が、中央権力としての地位がなかったという事は間違いであるという結論はいかがでしょうか?
政宗:そう、明応の政変については日野富子の影響力についても言及していたこととさらに近習達が義稙の元から逃げたことから論が展開されていたと記憶してます。いまのHPのコンテンツに取り入れてみようかな
義綱:いえいえ、私もまだまだ分国法に対する理解が足りません。今度は是非分国法の事について教えて下さいませ!!
政宗:結論としてはそうなりますね.特に地方ほど将軍の権威をありがたがる傾向は強いですしね。
義綱:う〜ん自分の考えも整理出来た気がする(笑)
政宗:仕事を持ちながら研究というか趣味でやっていると文献の読みこみは不足しどうしてもコンテンツ作り中心になってあまり通史などと変わり映えしないものができてします。最近その辺で悩みが尽きないです。
義綱:話を聞いてもらう事で頭が整理されて、さらに相手の方の意見を聞けてその説を補強できる。チャットは素晴らしいですなあ。
政宗:ましてやYAHOOで応仁の乱や分国法で検索すると私のところしか引っかからない為もっと踏み込まないとだめなんです。詐欺といわれない為にも...。
義綱:そうですよね。私も来年度社会人になるので、その辺心配です。
政宗:頭が整理され、相手の意見を聞けるのは掲示板だけでは限界がありますがチャットならばリアルタイムでできる本当にすばらしい。
義綱:いえいえ、やはり戦国前期や室町期は研究者が少ないのでしかたがありませんよ。それにしても味舌殿の視点には感服します。分国法によって戦国大名などの基盤がどの程度のものであるかわかりますし。
政宗:義綱殿も4月から社会人ですね。時間は本当に取れなくなりますよ。特に最初なれるまでは。でも集中力はつくかもしれません
義綱:特にお話の相手(味舌殿)が良かったせいもあります!<意見を整理
義綱:はい!時間を工夫する事を覚えて、集中してHP更新作業をしなければと思っております。
政宗:学会レベルだと有名な研究者がたくさんいますが、世間一般ではみな華々しい時代が好きなようですね。だから16c始め頃ってあまりふれられないんでしょう。<研究者が少ない
義綱:そうですね。学会レベルでは逆に資料が混乱している戦国期の研究は遅れている面もありますね。<研究者
政宗:そうなんですよ。逆に16c始めの頃の方が体系としては整然としているかも、ましてや戦国時代後期ともなると軍記の影響が大きすぎるのも特徴ですね。負けた大名の文書なんて残らんわけですから
義綱:河内畠山家なんかは特にその例で、ふたつにわかれて戦争にあけくれていたものですから、軍記ものに頼り過ぎ、最近になってようやく文書検討がされるようになりました。その結果、晴熈だとかあらたな当主の名が出てきていますし。
政宗:でも、かつてはゲームから入ったわたしが1年も立つとここまで言えるようになるとは思いも依りませんでした
義綱:わたしもゲームから入ってほぼ2年ちょっと。ちょっと調べれば色々見方も変わりますね。
義綱:ですから、ゲームから歴史を好きになった方は、ちょっとでも史実の歴史の本を見てもらいたいです。
政宗:北条氏研究も30年前と大きく違ってきてますしね。軍記は江戸時代に成立しているものが多いからそこを踏まえて読まないとという典型かも。でもいまだに多くの書で北条早雲素浪人説がまかり通っているものその影響かもしれないですね
政宗:難解ですけど、最初は都道府県編纂史料辺りから入れば徐々にそこから興味は増えて行きますしね<史実の歴史
義綱:そうそう、斉藤道三の1代で国乗っ取り説も<早雲&軍記物
義綱:ゲームからの歴史好きに提唱したいですね!<史実歴史本
義綱:「ゲームで武将判断反対運動」を穏健に鞍替えして「史実歴史本推奨運動」でもしよっかな(笑)
政宗:史実歴史本推奨運動ってのは良いネーミングですね
義綱:穏健に穏健に(笑)<史実歴史本推奨運動義綱:今度北陸歴史ねっとで提唱しようかな?<史実歴史本推奨運動
政宗:一度いろいろな方の意見を聞いてみた方がいいかもしれないですね。ゲームから歴史に入っていない方の意見も聞けると思いますし<史実歴史本推奨運動
義綱:そうですね。不快な気持になる方もおられるかもしれませんし<史実歴史本推奨運動
政宗:ゲームから入ったのにいつのまにか普通の歴史サイトの顔をしている私のようなサイトではかつて来ていただいた方がいつのまに変節しやがってなんて思っているかもしれません。
政宗:ましてや、新しくきたかた(少なくとも平成12年2月以降)にはゲームサイトだったのに偉そうになってのも有るかもしれないですし
義綱:いえいえ、サイトがどんどん進化している証拠です。味舌殿のHPを待っている方は多いですし。
義綱:史実ファンと歴史ゲームファンの共存共栄が一番です。私のサイトでもゲームdata扱っているのはもともとゲームから入った名残ですし。
義綱:ただ、歴史ゲームファンの方でも偏見の多い方もいらっしゃるので、そういうのは徐々に無くしてもらいたいものです。
政宗:そのとおりです。偏見ほど物事を見る目を曇らせるものは有りません<偏見
政宗:ゲームから1歩飛び出ると更に面白い世界があることが知れればよいなと思います
義綱:多くの人に歴史ゲームファンに、史実の面白さを知っていただきたい!ということで、今日はおひらきにしましょうか?
政宗:そうですね。とても今日は有意義なお話が出来ました。次回の定期チャットは絶対に参上致します
義綱:それと、今日の討論したのテーマは何に致しましょうか?
政宗:それではそろそろ落ちると致しましょうか?
義綱:次回は歴史学で今ホットな海が舞台の「水軍について」の話です!是非ご参加下さい!
政宗:テーマですか?結論としてはゲームと史実の垣根とはみたいなのになるのでしょうか?
義綱:了解です「ゲームと史実の垣根」
義綱:本日はどうも有難うございました>味舌殿
政宗:水軍ですか。門外漢ですが勉強させていただきます
義綱:やはりちゃっとは面白い。
政宗:どう致しまして、こちらこそ有難う御座ました>義綱殿
義綱:私もまだまだ水軍には素人です。色々な意見を出し合いましょう!それでは落ちます。
政宗:それでは又参ります。
味舌左京太夫政宗:が帰参いたしました。
畠山修理大夫義綱:が帰参いたしました。
−これにて終了−