畠山義綱 私的論文コーナー
Since 2008〜現在

第二次世界大戦でなぜ日本は負けたのか。
どうしてあの戦争に挑んでいったのか。
その一端を明らかにするために戦前の政治に注目して論文を考えてみました。

論文テーマ「責任の所在と傀儡」 著:畠山義綱

はじめに

「傀儡政権の存在意義」を生涯の学習テーマにおいている私。2008(平成20)年12月24日に放映された「あの戦争はなんだったのか」(TBS)において、開戦前夜である1941(昭和16)年における東条英機を主人公にしたドラマをみて、色々な考えが深まった。
 ここ最近戦争系のドラマやドキュメンタリーを見るのがとっても嫌だった。昔のことを知ることはとても大切だと思うのだけど、とても暗い気持ちにさせられる内容が嫌だったから。
 しかし、「ドラマ あの戦争はなんだったのか」は久々にみたいと思った内容だった。というのも、私が中学生の時に感じた疑問があったから。それは、ドイツにヒトラー、イタリアにムッソリーニという独裁者がいるのに、同じ枢軸国の日本には独裁者がいないのはなぜか?中学生の私は「開戦時の首相が悪い」と東条英機が独裁者だと思っていた。しかし、高校になると、東条英機がそれほどカリスマ性がないこと、さらに首相辞任後も戦争が続いていたことを考えると、「軍部全体」が悪なのだと思った。
 大学生になると、「誰が悪と決め付けるのではなく、色々な複合要素を考える必要がある」と考えた。しかし、私の頭の中では「東条英機=悪」のイメージだった。今までも東条英機のテレビ番組や本などがでているが、左系の人の話も右系の情報も私はどこか納得できなかった。
 そして「ドラマ あの戦争はなんだったのか」。東条英機は戦争回避を模索していた。徳冨蘇峰が綴る東條の人物像「学なし胆なし…ただ忠君の士」というイメージはすごく納得ができる。そして私の学習テーマ「傀儡政権の存在意義」に通じるところがある。

1.主権者の天皇と行政権を担う内閣

 明治以来、戦争終結まで言うまでもなく、大日本帝国の主権者は天皇である。しかし、よくその歴史を紐解いてみると天皇が主体的に主権を行使しているとはとても思えない。むしろ「伊藤博文」「山県有朋」「大隈重信」「原敬」「加藤高明」「犬養毅」「近衛文麿」「東条英機」など日本の政治史は首相を中心に語られている。ただ、明治憲法における内閣の地位は「内閣は、天皇の行為を輔弼(ほひつ=補助)する」と定められ、主権者たる天皇を補佐する地位しかない。さらに首相の地位は「同輩中の首席」でしかなく、軍の命令・指揮権がない(軍は統帥権=天皇の命しか受けない)ばかりか、国務大臣に対して罷免権・指揮命令権を持ないと、おおよそ大日本帝国の政治の中心といえる権力を持っていなかった。にも関わらず日本の政治を中心に行うということは、その地位は常に不安定で、権力に明記されていない基盤を有しないと存在すら危ういという立場にあった。それゆえ、明治期には元老の力を借り、大正期になると貴族院の力を借り、昭和期になると軍の力を借りざるを得なかったのであろうか。

 とすると、組閣の拝命を受けた東條の苦悩もうなづけるものがある。昭和天皇は東条に首相を任命する時に「日米外交で戦争を回避」という命を受けた。そしてそれを実行しようと考えるが、軍部の力を抑えることができなかったという見方がある。

2.戦前日本の実質的責任者は誰か

 戦争の責任は誰にあるのか。大日本帝国憲法を条文を見れば「国の主権者たる天皇」に責任があるのはもちろんである。しかし前述したように天皇は実際には主権者たる権力を積極的に行使していない。その点では責任者は別にあると言える。であるとすれば誰が責任者か。「同輩中の主席」に過ぎない首相であるのか?軍部の横槍ですぐに倒閣されてしまう地位なのに?では軍部の責任者なのか?とすると陸軍大臣?海軍大臣?ただ、どちらの大臣も実際に軍を動かす地位ではない。では実際に軍を指揮する陸軍参謀総長?海軍軍令部総長?しかし、どちらもその責任は「陸軍単体」と「海軍単体」であり、日本全体に責任が及ぶわけではない。つまり、本来の主権者である天皇が主体的に統治しないために、国の政治の責任があいまいになっていたと言える。
 これに対し現代日本の形式上の最高権力者である天皇は、象徴の地位にあり、憲法上も全く国権を有しなくなった。そして首相は行政権の長となり、国務大臣の任命・罷免権を得、自衛隊の最高指令官の地位もある。まさに日本の政治の最高責任者である。政治の責任はすべて首相の責任につきる点で、責任の所在が憲法からも明確になっている。

 では、本題の「傀儡政権の存在意義」に上記がどう関わっているか?つまり「傀儡政権」を生み出せば責任の所在をあいまいにできる利点があるのではなかろうか。本来の責任者はNo.1の者であるが、実質の責任者は傀儡を影で操るNo.2にある。しかし、公的な責任はないので仮に失敗しても責任を逃れることができるのではないか。つまり「傀儡政権の存在意義」は政治が失敗した際に責任逃れを画策するリスク回避の面があったのではなかろうか。

 能登畠山家でも同じことが言える。1570年代、当主は畠山義慶であったが、実質は親織田派の長続連、親上杉派の遊佐続光、親一向一揆派の温井景隆が握っていた。複数の有力者がいると微妙なバランスがないと政権の維持ができない。路線対立などがあるとすぐに政権は瓦解する。それを回避するために、1572年畠山義慶は何者かに暗殺される。つまり政権崩壊の危機の責任を負わされたのである。そして実行犯はうやむやにされ、責任の追及は行われなかった。これも「傀儡政権の存在意義」なのだろう。

むすびに

 ただ注意するとすれば、戦前日本の天皇は傀儡ではなかった点に注意しなければなるまい。傀儡とは操られている人のことであり、主体的に行動したくても行動できない者のことである。天皇には憲法上に認められる大きな権力があり、権利の行使が可能であった。事実、1929(昭和4)年の田中義一内閣辞職の時にも首相は天皇からの叱咤で辞職を決意している、また、1936(昭和11)年の2・26事件における青年将校の処罰も天皇の影響によるところが大きい。さらに言えば、1945(昭和20)年に戦争を終結するために行った玉音放送も天皇のお言葉で戦争を終結させるなど、原則天皇は統治せずの状況だったにも関わらず、重要な局面では権利を行使しているのである。
 どんな場面で天皇が権利を行使しえたのか。そして権利を行使しえなかったのか。この論考では十分に考察できなかった。その課題はまたの機会に論じたいと思う。

初稿:2008年12月27日
第一改訂:2016年8月8日


BACK


Copyright:2016 by yoshitsuna hatakeyama -All Rights Reserved-
contents & HTML:yoshitsuna hatakeyama