晴貞奮戦記〜冨樫再興を駆けて〜
−後編「駆け抜けし馬」−

第五章 信長

 永禄11年(1568年)3月の事であった。野々市の冨樫館に近江坂本で能登奪回を狙っている畠山義綱が加賀の伝燈寺にやってきた。父・晴貞に会うためである。
「加賀介殿。お初に申す。本日は能登入国にしてご挨拶に来た故。」
「修理殿。本来ならば野々市の館でもてなすところをご容赦願いたい。」
「加賀介殿の立場もわかっておる。今一揆と事を構えるは得策ではない。なれど、どうしても会うておきたかったのだ。」
「我が方も、能登の奪還を願うております。その暁にはいよいよ一揆に事を起こすときぞ。」
「有り難いことよ!」
しかし、義綱の入国戦は半年経った9月に撤退を余儀なくされた。その一月後、義綱の使者が野々市に来た。
「先月、我が方の能登入国之儀は不慮にて候。今月公方様が織田上総介(織田信長)と共に入洛し、将軍就任の由、我が方へ支援を願い候にて、冨樫加賀介(冨樫晴貞)殿も馳走願いたい。
委細は飯川若狭守が申上げる。」

「よう参られた若狭守殿。修理殿の書状拝見した。我ら冨樫も至急織田上総介殿に通じたい。申次ぎを願えぬだろうか。」
「我が主より、もとよりそのつもりで参った所存。我らが現在の拠点の近江坂本は京にもほど近く。公方様への連絡も承りますゆえ。」
「あいわかった。今右筆に書状を書かせるがゆえ、しばしお待ちいただきたい。また、少しばかりの旅費を用意する。合わせて修理殿へわしの馬絵を2枚持っていってもらえぬか?1枚は売って用脚にするがよろしいかと。」
「承知。我が御屋形様も喜びまする。では急ぎ近江へ戻るゆえ、御免。」

冨樫館の池には藻を取り払って広い池に鯉が大小2匹。
「父上。織田上総介は敵も多いと聞きます。それに味方するということは、冨樫の敵も増えまする。」
「晴友よ。公方様が京に戻られたおかげで我が冨樫の力も取り戻せる。鯉も餌をもらえねばやせ細ってしまう。これはやはり好機だとわしは思う。」
「では、一揆方と相対するのはいつの時期でしょうか。」
「それが難しい。一揆の隙と織田家の好機が結び付かねばならぬ。その機は針を通すようなもの。」
「我々にその好機をつかむことはできるでしょうか。」
「・・・やらねばならぬ。このまま座して死を待つのみではいかんのだ。」
晴貞にはいつかの館の池で見た光景を思い出した。鯉が池の水面に跳ねた時、「我らがまだ出会っていない勢力が頼みになるか」と思った事。それが織田であること。幕府の力を頼りに加賀国主としての立場を保持して権威を保ってきた冨樫家。それならば幕府を再興した織田家に味方しない理由はない。ここに賭けるしかないのだ。
こうして、冨樫家は畠山義綱を仲介として織田信長に接近した。織田家には冨樫家を支援する代わりに加賀近隣における信長の戦争には夫役を負うことを約束した。

 織田信長は、将軍・足利義昭をよく助けたちまち京は平穏を取り戻した。室町幕府は昔日の勢いを取り戻しているかのように見えた。しかし、織田信長はさらなる版図拡大を企図したため、京を退いた三好氏に狙われ、信長は常に防戦を迫られた。また、永禄12年(1569年)には伊勢の北畠氏領に侵攻するなど、冨樫や畠山への支援をできる余裕はとても無いと思えた。晴貞は来る一揆方への戦いに備えるために、日々少しずつ武器や防具を買い足していた。その動きが徐々に一揆方に知られることとなる。
永禄12年(1569年)10月、一揆方の鳥越城主・鈴木出羽守が冨樫館にやってくる。
「加賀介殿。最近殊に槍や弓を用立てされていると聞くが、何用でしょうか。」
「今まで銭を質素倹約する為、武器も古いまま使こうてきた。しかし、昨今は大規模な戦もなく、武器もサビたるが多く、少しずつ足して候。」
「・・・・・・わかり申した。その言葉、しかと法主様に伝えまする。さすれば加賀介殿。先ほど見た大きな池に鯉が僅かばかり。法主様にお話しして新たな鯉を頂こうと思うておりますが、如何かな。」
「有り難い言葉なれど、遠慮いたす。・・・・・・鯉が多くては餌代も馬鹿にならぬのでな。はっはっはっ!」
「いらぬ申し出、あいすみません。これにて御免。」

「父上。鯉くらいもらえばよろしかろう。我が冨樫への仕打ちを考えれば一揆方に鯉位もらっても罰は当たりますまい。」
「晴友。鯉をもらえば一揆方のものが館へ入る口実を与える。・・・一揆方は我らが館の様子を探るのが主目的なのだ。」
「・・・・・・そうでありましたか。この晴友、まだまだ学びが足りませぬ・・・。」

第五章 晴貞立つ

 永禄13年(1570年)4月23日。将軍・足利義昭の要請を受けて元号が「元亀」と改められた。まさにその改元が行われた日に織田信長に敵対する行動を見せ、上洛要請に従わない越前朝倉に攻め入った。その翌月1日に、晴貞のもとに幕府より書簡が届く。
「冨樫加賀介どのへ。加賀における賊を討伐し、上洛せよ。」
これは暗に織田信長への加勢を促すものだったことは明白だった。

幕府よりの書簡が届いた翌日、鈴木出羽守の使者が館にやってきた。
「明日、法主様からの鯉を届けるゆえ、屋敷に入る」という知らせだった。
「山川三河守!急ぎここへ。」
「はっ。して何用でしょう。」
「戦だ。一揆方に我らの動きが漏れておる。おそらく公方様の書簡の内容を見られたのだ。明日には一揆の兵がここに到来する。」
「御意。すぐに諸将に伝令を遣わせまする。」
「うむ。急ぐのだ。そして館にある武器や防具を諸将に配分するのだ。」
こうして、ほとんど準備のできないまま、一揆方との戦いが始まろうとしていた。

三河守との話を終えた後、晴貞は池の鯉2匹を中くらいの珠洲焼の甕に入れて館の外に連れ出した。その姿を見て慌てて私は父上の後をついて行く。
「父上、何故鯉を連れ出すのですか?」
「九艘川へ放つのだ。」
「何故ですか。」
「我ら冨樫がこの館に戻ることはもうあるまい。鯉が不憫じゃ。川に放つのだ。」
「・・・・・・。」
「鯉の親子よ。立派に生き残るのだぞ。」
父晴貞の目には大きな涙が浮かべていた。それが何を意味するか、私もすぐに理解できたので、父にかける言葉は思い浮かばなかった。

その夜。晴貞の陣触で館に集まった兵は七百。父にいつも従う山川三河守も、額丹後守も緊張した面持ちで無言で館の庭にいる。
「では戦評定を行う。」
その中に急ぎ足で駆けつけて来たのが駒井与三郎だった。
「御屋形様。織田上総介殿、越前金ケ崎にて浅井・朝倉勢に敗退。京に逃げたとの事。」
「・・・・・・最後の最後に天は冨樫を見放したか。冨樫の今は袋の鼠。」
「いや、冨樫を例えるなら、『袋の馬』にございましょう。」
と、いつもはきまじめな山川三河守が珍しく冗談を言う。それを周囲の者が大きく笑う。その光景に私は冨樫家の状況が相当に劣勢であることを嫌が応にも感じた。
「父上。戦にて活躍できるのは武将の誉れ。数々の敵将を討ち取ってご覧に入れましょう。」
「・・・・・・うむ。頼もしいことだ。晴友には駒井与三郎と共に敵軍を乱す別働隊を率いてもらいたい。よいな。」
「はっ。無論のこと。父上の戦を見られないのは至極残念ではありますが。」
「御屋形様。」
「何じゃ丹後守。」
「失礼を承知で申上げまする。御屋形様のお姿。まさに『冨樫の馬絵』の如く凜々しくあります。こたびの戦。まさに御屋形様の馬絵の如く駆け抜けて勇敢に皆が戦うことでしょう。」
「そうか。馬絵が今と重なると事じゃな。これは幸先が良いのう。」
「御屋形様。武具の手配で、戦準備がままならぬことをお許し願いたい。」
武器や防具の購入でほとんどの銭を使った冨樫館にはほとんど食べ物はなかった。僅かばかりの酒が諸将に配られ、一部の足軽には質の悪いどぶろくを配るほか無いほどの状況だった。
「では三河守。出陣の前の式三献とするか。」
そして、晴貞が三度目の酒を飲み干すと、勢いよくかわらけを庭に叩きつけた。
「太鼓を鳴らせ!」
「勝てば褒美はおもいのままじゃ!えい。えい。」
「お〜〜!」
「全軍・・・出陣!」
700人の大声が夜の闇に響きわたる。私が生きている中で一番の大人数がここに集結した。しかるに心の中は不安だらけだった。

 父晴貞は鈴木出羽守が待ち伏せしているだろう館の南へと進む。私は駒井与三郎ら20騎の人数で別働隊として東へ向かう。それにしても20騎とは寂しい。これで戦いに勝てるのか。父上はどうお考えなのか。
「御屋形様の策を若と皆の者にお伝えしまする。敵に聞かれるとまずい。馬を下りて静かに話しましょうぞ。」
「うむ、わかった。」
「若・・・・・・・・・。御免。」
その後は私は与三郎に腹を殴られ、気を失った。

第六章 富山にて

 元亀元年(1570年)5月1日。冨樫館南で冨樫晴貞勢680騎と鈴木出羽守勢1000騎が合戦する。激しい戦いだったが、敗れて50騎となった晴貞は野々市郊外の大乗寺に逃げる。劣勢を立て直すために大乗寺の僧兵を当てにしたらしい。しかし、すぐさま本願寺の下間氏の軍勢1500騎が駆けつけ大乗寺を放火。父晴貞は手勢僅か15騎でさらに北の伝燈寺へ逃げる。しかしそこにもすぐに一揆方の追っ手に囲まれた。そこで父は自害することで寺を放火を防いだいう。私は父の最期を知らない。それは、最後まで私に付き従ってくれた駒井与三郎が父の命を受けて私を越中に逃がしたからだ。

 寛永13年(1636年)7月。私は死の床につく。この年の5月、仙台藩主・伊達政宗が死去。片や戦国を生き抜いた最後の戦国大名として死ぬ。自らは前田家家臣として死を迎えることになるとは、60余年前は思いもしなかった。今は冨樫の姓を名乗れず、「小杉晴友」と称している。冨樫を名乗れぬ悲哀を感じながらも、我が一族が滅亡したかも知れぬ壮絶な戦いを生き延び命脈を伝えたことに、我が身の意義を嫌が応にも感じる時がある。その時に思い出されるのは、傀儡と軽んじられながらも、加賀守護としての誇りを忘れず家名挽回に生涯をかけ抜けた父・晴貞の姿。その勇姿をを思い馳せ、目を閉じる晴友。83歳の人生を終えた。

(終わり)

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