↑(写真10)松根城本丸跡の石碑(クリックすると拡大します)
読み仮名 | まつねじょう |
別名 | − |
所在地 | 金沢市松根町 |
形式 | 山城 |
築城者 | 不明 |
築城年 | 不明 |
遺構 | − |
歴代城主 | 越智伯耆、州崎兵庫 |
加賀と越中の国境を通る小原越道まさに道の上にあるのが、この松根城。加賀と越中の間の山はとても深い。 二次資料によると、その奥深い山城の歴史は古く、1183年倶利伽羅合戦の時に木曽義仲が布陣したとも言われている。また、1369(応安2)年に南北朝の内乱で南朝方の桃井直和が布陣した時に北朝方の吉見左馬介が追撃してここを奪ったともある。1488(長享2)年の長享の一揆では、越智伯耆以下4000人の兵が籠もる一向一揆の拠点であった言う。さらに1550(天文19)年には能登の遊佐続光が挙兵する時に、松根城の州崎兵庫に請い、その将である青天五郎と能登に侵攻したとも言われる。 実際発掘調査では9世紀の陶器や13〜14世紀頃の土師器が出土しており、この地が交通の要所として使用されていた形跡がうかがえる。また現在の遺構の大部分は16世紀後半の土師器や越前焼・珠洲焼などが見られ、加賀方面への堀切があることから、前田氏を警戒した佐々成政の改修ではないかと思われている。 |
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