情報は2005年11月現在

富山城
(富山県富山市)
富山城

2005(平成17)年11月に能登に旅行に行き、その一環で富山城にも行きました。


富山城
 2005(平成17)年11月3日に富山城内にあった富山市郷土博物館が、中世以来の富山城の歴史を常設展示する館としてリニューアルオープンしたばかりで、展示もすべて新しいものでした。運がよかったです。
 現在の富山城天守閣は、1954(昭和29)年に富山産業大博覧会が開催されました際に復興されたものです。博覧会閉会後、富山市の郷土博物館としてオープンしたので、「富山城資料館」ではなく「富山市郷土博物館」の名前になったのです。博物館としての最初の展示は美術展だったらしく、せっかく観光名所としての富山城があるのだから、富山城にちなんだ展示物にしようと2005(平成17)年にリニューアルしたという経緯があります。


 富山城と言えば真っ先に私が思い浮かべるのが、「神保長職」でした。越中は、神保氏、遊佐氏(後に加賀一向一揆の支配下へ入る)、椎名氏の3勢力が拮抗しており、越中守護の河内畠山氏が不在守護且つ遠国にいるということでアンコントローラブル(制御不能)に陥っていました。そこで、一族である能登畠山氏の介入や、越後長尾勢力の助けを得て越中の制御に乗り出します。
 そんな中で神保長職は従来の勢力を飛び越え、椎名氏の勢力範囲を侵食しようと建てたのがこの富山城です。そのあたりの説明は「富山市郷土博物館」の入口のビジュアル映像で詳しく知ることができます。が

 しかし、やはり展示内容も富山城の城址公園も江戸時代の前田氏の遺構が多くあり、中世の面影はありません。ただ、富山城の発掘調査では、16世紀中頃の堀跡が発見され、今まで後世に成立した「富山之記」でしかうかがえなかった(しかも信ぴょう性が疑われる記述がある)中世富山城の存在が確認されたのです。さらに室町前期のかわらけも出土したことから、富山城築城以前にもここに館があったことを示しています。

 そう考えると、中世の富山城の遺構は確認できないとはいえ、中世の富山城を知るためには訪れておきたい博物館という事が言えます。神保ファンならぜひにでも行きたい場所です。


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