情報は2008年11月現在

東氏館庭園跡
(岐阜県郡上市)

 義綱は、一乗谷朝倉氏史跡の庭園を見て以来中世の武将庭園にはまっている。今回の旅行(2008年10月)でも、江馬氏館庭園(2008/10/20の項)に行った。そして、江馬氏庭園の跡に訪れたのが、「東氏館跡庭園」である。そこにあったのは「古今伝授の里 フィールドミュージアム」(岐阜県郡上市大和町にある)という施設。「古今伝授?なんだそれ?」と思っていた。
 東氏(とうし)は、下総の千葉氏の一族で承久の乱(鎌倉時代)の時に岐阜県に加領されてこの地に移ったと言う。東氏は御家人であり武士の出身であるが、鎌倉時代より歌道を藤原定家から学ぶなど代々歌道を極めた。9代の東常縁(とうつねより)は、「古今集」の研究に加え、連歌師・宗祇に扇を伝授されたと言われる。そのことから、東氏の施設は「古今伝授」という名前がついているのである。



 鎌倉時代から天文年間まで同地に拠点を置いた東氏が拠ったのが、この篠脇城である。この城の麓に「東氏館跡庭園」がある。1979(昭和54)年に篠脇城の麓の圃場整備工事が始まったが、掘ったところから陶器片や礎石などが見つかったことから、本格的な発掘調査が始まった。そして、大規模な石組みの庭園遺構が発見されたのである。そして、1986(昭和62)年に国指定史跡に指定された。



 庭園の全貌が発掘調査によって明らかになった後、1988(平成元)年から1992(平成4)にかけて復元整備が行われた。中島を有する池泉庭園の遺構はほぼ完全な形で出土したので、復元整備工事は最低限の護岸工事や補修などにとどまり、ほとんど発掘時のままの姿で「東館跡庭園」として公開されたのである。



 池泉庭園というで水がしっかりと流れている。水路のは途中で地中に潜っているが、室町時代の水路も地中にあったのだろうか。
 中世の庭園は、発掘調査の後を大別すると4つのパターンに分けられる。1つ目は、京極氏の上平寺庭園跡のように、埋もれていても庭園跡とわかるパターン。2つ目は東氏館跡庭園発掘された石組みをそのまま復元するパターン。3つ目は、現在の発掘調査中の阿波の勝瑞城の庭園跡のように、発掘された庭園跡は埋め戻し、その上に似たような石を配して模擬庭園を造るパターン。4つ目は、能登の松波城の枯山水のように庭園跡を埋め戻してしまうパターンである。中世の城郭ではかなりの箇所で庭園跡が発掘されており、珍しくなくなっているが、少しでも4つ目以外のパターンで一般の目に触れて欲しいと思う。閑話休題。



 庭園の近くに礎石があり、池を中心にした会所があったのだろうと想像できる。できれば江馬氏館のように会所建物も復元してくれればいいのに…。
東氏館跡庭園を訪れた時点ですでに16:30。篠脇城にも登りたがったが、「東氏記念館」に行きたかったので断念。無念。



 さて、「古今伝授の里 フィールドミュージアム」に行く。和歌文学館と東氏記念館とで入場料500円。和歌よりも庭園を築いた東氏に興味があるので、東氏記念館だけを集中的に見ることにした。
 東氏記念館には、東氏の年表の他、東氏館跡から出土した陶磁器、木簡、銭貨などが展示されている。また、歌道に通じる風流の士であった通り、後奈良天皇や正親町天皇の歌も展示されている。



 館内には、篠脇城の模型もある。篠脇城は東氏230年あまりの拠点の城であり、現在は岐阜県指定史跡となっている。上の写真でも見えるが、山城の斜面に切り込みのようなものがある。頂上の平坦面を囲んで、放射線状に約30本の竪堀である。この竪堀は「みすり臼」のようにも見えることから、「臼の目堀」とも呼ばれているらしい。このような堀は初めて見たので興味深い。
 この東氏記念館では、東氏に関する資料(書籍)も結構売っていた。ただ、東氏館跡の発掘調査報告書が無くてちょっとがっかり。どんな庭園だったのかもっと詳しく理解したかった。さらに、記念館の図録もない。日本全国旅行したいところはいっぱいある。次にここを訪れるのはいつか…。であれば、やはり展示してある資料を図録でみたいもの。職員に「図録はないんですか?」と聞くと「よく聞かれるんですが、残念ながらありません。」と言われた。やはり図録の需要は多いはず。がっくりしている義綱に、職員の方は「展示を写真に撮られても構いませんよ」と言ってくれた。せっかくのご好意ゆえ存分に写真に収めさせて貰いました。ただ、ブログに掲載するのはマナー違反だと思うので、写真の掲載は控えます。

 庭園の復元だげならば、4年ほどの整備期間…。能登の松波城の枯山水庭園も整備して公開してくれないかな…。やはり発掘調査も必要だが、それだけでは一部の歴史家だけの知識に終わってしまう。一般の方の目に触れるためには、やはり復元は欠かせない。能登松波城も庭園だけでなく、建物跡も発掘調査で確認された。能登町は復元整備に力を入れてくれないだろうか。


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