情報は2009年8月現在

飛山城
(栃木県宇都宮市)

 2007年に福井県の朝倉氏一乗谷史跡に行って以来、発掘調査などにはまっている。それが講じていろいろな復元中世史跡に行っている。今回は飛山城へ行ってきました。その他に栃木県の史跡を少し回ったのでご紹介します。

 飛山城はJR宇都宮駅からおよそ10kmくらい離れた宇都宮市竹下町にある。もちろん私の移動手段は車。愛車のスターレット「能登号」である。電車でも旅は楽しいのだが、地方に行くと移動手段が限られるので(バスの本数・路線が少ない)、車のほうが断然史跡めぐりはしやすい。



 国指定史跡の飛山城は、13世紀末に芳賀氏によって築城されたと伝えられる中世史跡である。下野を代表する大名である宇都宮氏の重臣である芳賀氏の居城ということで、かなりの重要拠点だったことは想像に難くない。
 1992年から史跡整備のための発掘調査が行われ、2005(平成17)年に史跡公園として公開された。史跡公園への道も整備されたようで、すごく走りやすい。飛山城に向かうとまず出迎えてくれるのが「とびやま歴史体験館」(休館日は月曜日(但と祝日の翌日。開館時間は午前9時から午後5時まで)である。無料で広い駐車場に車を置いて、いざ館内へ。しかし、現地についた時間が8時半過ぎだったので、館内には入れず、先に史跡公園の探訪へ。



 飛山城に入城するためには、まずは空掘・土塁と復元木橋が出迎えてくれる。空堀にかかる木橋は発掘調査でこの場所にあったために復元されたもの。正攻法で入城するにはこのルートだが、飛山城に入城する裏ルートもある。



 むう。正攻法で入るより楽しそう。興味が引かれる。ただ、台風9号の接近で雨が降っており、コケたら大変だ…。どれくらいの角度だろうか。



 うわ、結構高い。でもせっかく貴重な体験。いっちょ行ってみるか。


うむむむ・・・。


はぁはぁ。ふぅ。



 おお土塁の頂上だ。土塁登り体験は晴れた日にぜひ家族連れで。一人で行っても写真を撮っても絵になりませんね。ともあれ、飛山城に入城しましょう。



 木橋を渡って進むんでもすぐには郭には入れない。飛山城は城なわけで防衛拠点として、敵の侵入をすぐには許さないために枡形があった。

 復元された箇所や城内の防衛拠点には、このように説明板があり発掘調査の説明とともに、城の構造の説明なども学習できるようになっている。



 枡形を通ると、次は復元された門がある。ん?私がイメージする中世の門とイメージが違う。冠木門が普通なのでは?

 と思っていたら、門の説明板に中世の門は3種類あり、発掘調査からこの中の塀重門と推定したとあった。この図をみると、塀重門は他の2種類の門に比べて門柱が細いのが特徴かな?だから塀重門にしたのかな?と納得。ちなみに塀重門にすると日常で入城するときに槍を倒さなくてもよいという利点があると説明している。が、戦時の時にはその利点が弱点になるとも言える。七尾城の門はどんな門だったのか想像すると楽しい。



 さて、城内に進むと私の今回の旅の目的。復元ゾーンに来た。………。う〜ん…感動するかと思いきや、心にズーンとくるものがない(驚)どうした!私!確かに朝倉氏一乗谷史跡など良質なものを見過ぎて目が肥えてしまったか。確かに逆井城の感動もズーンではなかった。
 まず残念だったのが、せっかくの復元建物が無造作に置かれているという点である。

愛媛県松山市の湯築城にある武家屋敷復元ゾーンの写真をみてもらいたい(下の写真)

(湯築城 武家屋敷復元ゾーン)

城壁、生垣、芝生とそれらしい背景が加わることで、一層復元建物が引き立つというものだと思う。建物の中も発掘調査品の展示などもないので(湯築城はある)残念だが…と考えながら、今回の旅のメインだっただけにガックリしていた。そんな時、この看板に出会う。

 あっ、そうだ。5個の復元建物のうち1つだけ窓もドアも少なく、形も長方形で無機質だった!なるほど倉庫として使われたのか!…ということは、この復元建物。すべてちゃんと発掘調査に基づいて間取りも復元しているのか!


 では、問題。この飛山城にある2つの復元建物の違いがわかりますか。違いはなんのためだと思いますか?推理してみてください。(ビフォーアフター風に)
<建物A>



<建物B>



・・・考え中・・・考え中・・・(平成教育学院風に)


はい、答えです。まず建物Bは縁側がある。さらに天井も高い。この違いは身分の違いだと思われる。建物Bの方が高級感があるので上級武士の詰所であろう。実際、説明板に「主郭に入る木橋の前面に位置することから、城主を守る将兵の詰所と考えられます。」と書いてある。そういう細かいところを見ていくと、俄然面白くなってきた。



 これは復元建物の拡大写真ですが、何か感じません?
この建物の柱には礎石がない。そのため、この復元建物のことを「掘立柱建物」と呼びぶ(それに対して礎石がある建物は礎石建物…そのまんま…)。礎石がないと大きい柱が立てられないので、大きい建物ではないということがわかる。従ってこれら復元された掘立柱建物は、城主や武将などお偉方の建物ではないのであろう。主郭の発掘調査ってやったのだろうか…。



 この飛山城は6号堀まであり堀が6重になっている。当然1号堀の内側は主郭ということになる。主郭の背後は大きな川があり、天然の堀となっている。眺めもよく立地条件にも優れているなぁと感心する。ただ、主郭にしてはちょっと面積がせまいなあと思った。城主などの館は別の郭に構えられていて、戦時の時だけ主郭に拠ったのだろうか。


 さて、掘立柱建物の復元ゾーンを抜けると木が多くなってきた。そして、その奥に出てきたものは…これだ!1・2・3(ベストハウス123風に)

これは地震で土砂崩れが起き、土で押し流された建物…ではない。パンフレットによると「中世竪穴建物」とある。この場所からは地面を1.5m掘り下げて屋根を低くしたためにこのような建物になっていたようである。また、常滑の大甕などが出土していることもあり、貯蔵庫だったと推定されている。地面が低いことで中の温度も下がったことだろう。



 さらに進むと、「古代竪穴建物」があった。これは飛山城があった中世ではなく、奈良・平安時代にさかのぼる遺跡で、「烽子(のろしの番人)の詰所であったと考えられれます。」と説明板にあった。



 さらに、土塁→空堀→土塁を渡る土橋渡り体験ができる場所があったが、雨の日などは危険のため閉鎖しているようで、今回はしっかりと門が施錠されていてできなかった。残念。

 さてさて、たっぷり飛山城を体験したことで、もうすでに時刻も9時半になっているので「とびやま歴史体験館」に入館することに。入館は無料とホームページで調査済み。「体験館」ということからあまり展示には期待していなかったが、どうしてどうして、無料にしてはかなりの展示内容(ちなみに一部を除き写真OK)。



 下野の歴史のカンタンな説明だけでなく、先ほど私が説明した復元ゾーンの詳しい説明が写真つきで紹介されている。

 発掘された出土品として、かわらけや天目茶碗などは珍しくないが、茶臼や香炉などが出土しているのに驚き!茶道や香道をたのし高度な文化が飛山城にあったことになる。

 そしてもちろん飛山城の復元模型。一部しか模型になっていないのは発掘調査を全体的に行っていないためだろうか。音声ガイドつきのために室町・戦国時代の城の様子
合戦の様子がよくわかる。



 そしてそして!なんと言っても入館料無料なのに刊行物の充実!飛山城の詳しいパンフレット(100円)の他に今までの企画展示のパンフレット(各100 円)で販売しており、これらを全部購入しても1200円しかかからなかった(驚)願わくば飛山城の発掘調査報告書があればよかったが…。市販で『飛山城跡』という本があり(ここでも販売していた定価1800円)、発掘調査と復元たてものの建築について細かく書かれている本があるので、それを参照してくださいということだろうか。

 というわけで、かなり多くの写真を掲載してのブログ投稿となった。この飛山城史跡公園はただボーっと眺めているだけでは何にも面白くないまま終わってしまう史跡である。ぜひ、往時の城の様子を想像して歩いて楽しんでほしい。


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