情報は2020年02月現在

大桑城
(岐阜県山県市)
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 2020(令和2)年に始まったNHK大河ドラマ「麒麟がくる」。主人公は明智光秀(長谷川博己主演)で、岐阜県の戦国系観光地がにわかに盛り上がっています。私も今回の大河ドラマは関心があるので、個人旅行で「NHK大河ドラマ館」と岐阜城に2020(令和2)年の2月に訪問した。そのついでにどこか岐阜県で訪問できる城がないかな…と思っていたところ、大河ドラマ館の観光案内所で、「美濃国守護土岐氏 最後の居館 大桑城(おおがじょう)」というパンフレットが目に付いた。岐阜市から車で45分くらいの岐阜県山県市なので、突然訪問したくなり突如予定に組み込んだ。
 その理由は、義綱はマイナーな歴史人物が好き!特に「傀儡」が生涯の研究テーマ。そのため、斎藤道三に担がれた美濃守護「土岐頼芸」は昔から気になっている人物の一人でした。


 まず最初に訪れたのがここ。
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岐阜県山県市にある「古田紹欽記念館」。古田紹欽は1911(明治44)年に岐阜県山県市で生まれた哲学者。その方に興味があるのではなく、私が興味を持ったのはこれ。
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「明智光秀ゆかりの地山県市 古田紹欽記念館特別企画展 今、ときが動き出す〜土岐鷹から麒麟へ〜」。2019(令和元)年11月1日〜2020(令和2)年4月5日まで行われていた企画展です。

 では土岐氏の説明を簡単に。土岐氏は清和源氏の流れをくむ美濃の地元武士。室町時代には足利尊氏の信を受け、美濃・尾張・伊勢の3ヶ国の守護になったことも。その後戦国時代まで美濃国守護であり続けました。
 しかし、1525(大永5)年頃から斎藤道三の父が土岐家内で台頭し始め、土岐氏の家中で成り上がっていきます。そんな中、1532(天文元)年に守護・土岐頼武が枝広館に守護館を置くも、水害のため1535(天文4)年にこの山県市の大桑城を整備し守護所を移した。土岐氏は越前朝倉氏でとても賑わっていた一乗谷を模範にして大桑城の城下町を整備し、大桑城の周辺は町人で賑わっていたと言われている。
 しかし、翌1536(天文5)年に斎藤道三も関わる土岐家内紛により土岐頼芸が守護となり、大桑城を舞台に斎藤道三の国盗り物語が進行していきます。歴代の土岐氏は鷹をこよなく愛していた。武士にとって鷹は勇猛の象徴とされており、土岐氏も鷹狩りなどの目的で所有していたとみられ、そのうち当主達が水墨画で鷹を描いていた。特に最後の当主・土岐頼芸は見事な鷹の描き手として有名で、「土岐の鷹」の名で後世まで珍重されたと言います。

 その土岐の鷹をこの目で見るために「古田紹欽記念館特別企画展」に行きました。残念ながら記念館は撮影不可だったので、鷹の絵を掲載することはできませんでした。鷹の絵は勇敢と聞いていたのですが、土岐頼芸の生涯を知っているので、記念館で見えた鷹は少し寂しそうに私には見えました。
 そして、その最後の当主がどんな場所でどんな生活をしていたかを知りたくて大桑城に行きたいと思ったのです。


 記念館から車でさらに25分。大桑城がカーナビに出ない場合は「県立幸報苑」(デイサービス施設)を目印に行けば間違いありません。そこを目印に行くと、
大桑城4
大桑城跡2.5kmの看板が見えました。また、大河ドラマの関係で「明智光秀」や「土岐氏最後館 大桑城」などの幟がたくさん目に入りますので、2020(令和2)年では迷わずに行けると思います(大河ドラマが終わると保証はないです)。

そして「県立幸報苑」近くまで来ると最初の大桑城スポットが見えます。
大桑城5
写真に見えるのが「四国堀」です。
大桑城6
 この堀は大桑城下を守るため作られた深さ5m。長さ約100mに渡る空堀で、山県市の指定史跡となっている。この堀の名称である「四国」とは、地名ではなく、尾張・伊勢・越前・近江の4ヶ国の加勢を借りて土岐頼芸が掘らせたことから由来しています。他国の加勢を受けたということは、その時点で土岐頼芸が斎藤道三と対立しているということを表しています。周辺は畑地が多いので、ぜひすべての堀を発掘調査で解明してくれれば良いのですが…。

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四国堀からまっすぐにいくと、大桑城のパンフレットにも掲載されている
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大型観光バスも駐車できる無料駐車場があります。NHK大河ドラマの為に整備されたようです。この少し先に左右の分かれ道があり、
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 大桑城の「古城山登城口(けんきゃくコース)」の入口にたどり着きます。このコースは山頂まで2.1kmで徒歩で最大90分。「ルートの一部に傾斜の急なところがある、距離もあることから体力の自信のある方におすすめです。」というコースです。私はこの後も城を巡りたいので、楽なコースを選びます。

 このコースを右に行くと「はじかみ林道」という車道があり、車で10分ほどで「古城山登城口(ゆったりコース)」の入口駐車場まで行ける。このコースは山頂まで750mで徒歩最大30分。「ルートの大半は緩やかで、距離も長くないことから、古城山山頂からの雄大な眺めを楽しみたい人におすすめです。」とパンフレットにあります。

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 駐車場に着きました。看板があるので、場所も間違いなく「ゆったりコース」入口のようです。しかし、入口からゆったりとは行かないほどの急斜面が待ち構えています。
「これ本当にゆったりコースなのか?」という疑問はこのあと私を苦しめることになります。

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急な階段を抜けると「パラグライダー離陸場」に着きました。
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急な階段のためまあまあ駐車場から高い位置に来ましたが、元々高い所が好きな私は「ここからパラグライダーとか楽しそうだな!」今度はパラグライダーしに来たい!」と思いました。その一方で、
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先の道は不安がありました。その予感は的中。

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かなり険しい山道が続きます。途中までは階段も整備されていたのですが、角度も急で体力も削られていました。そして途中からはその階段もなくなり、あるのは新品のロープの手すり。きっと大河ドラマに合わせて整備したのでしょうが、険しすぎます。もはやゆったりコースではありません。しかもまだ城跡ではなく単なる山道なのでテンションも上がりません。普段はデジカメを片手に持ちながら歩くのですが、今回は両手がフリーでないと足が滑り谷へ滑落します。危険です。

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「伝猿馬場」という場所に出ました。ちょっと城らしいところでテンションが上がりました。
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 この辺りは所々に石がむき出してかなり危ないです。石垣などを作るにはむいているかもしれません。そういう意味では、安土城も観音寺城も岐阜城も石がかなり出る山だったので石垣を作りやすいのかもしれません。手すり代わりのロープもないので、本当にここが城あとなのか心配になりました。

平坦な曲輪に出ると、「下 切井戸」という看板が見えた。みるからに険しい道のりだったが、ここまでに「もうこんな険し山城は年齢が上がったら見れないかも…」と思って切井戸を見学に挑戦しました…が、かなりの急斜面を下ってもたどり着かない。あとで城のパンフレットを見ると「急斜面にあるため、訪れる際はご注意ください。」と書いてある。途中で諦めて引き返そうとするとこの斜面。
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景色はかなり良いですが、本当に一瞬デジカメを出してまた懐にしまいまた両手フリーにするの繰り返し。
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そしてまた斜面。


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多少広い曲輪にでました。ここは「台所」とありますが、こんなところで料理できたでしょうかね?

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「帯曲輪」とありますが、その上にある曲輪もかなり細いので、守りを固めることはできるんでしょうか?

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ここは大桑城で一番テンションがあがった箇所。帯曲輪の奥におそらく番所から上がってくる敵を防ぐように石垣を配していた箇所です。


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山頂部である「伝天守台」に行く道がまた険しい。岩はゴロゴロ。斜面も厳しい…。
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唯一の救いは、天守台にある模擬天守を見れること。ここが間違いなく大桑城であることがわかる。

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やっとたどり着きました天守台。ここには古めかしい「大桑城址」の石碑があり立派です。また古城山を守る小さいながらも神社があります。ここまで登山口から35分ほど。かなり体力も消耗しています。神社にお願いすることは「怪我無く下山させて欲しい」と願いしまた。

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天守台からもうちょっと登った所にある模擬天守。この天守は1988(昭和63)年に立てられた高さ3mのもの。もちろん戦国時代にはこのような天守がここには無かったが、何もないよりこのような天守があると険しい道を登ったご褒美感がある。
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この模擬天守の写真を間近で撮りたくて最後登りましたが、写真のように、模擬天守を見渡せるように木々が切られ眺めの良い景色が広がっています。その分、ここに手すりなども設置できないので、万が一滑って落ちたら大怪我するなあと思いました。

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模擬天守の背後には、古城山(別名:金鶏山)の407.5mの頂上の看板が立っていました。ご褒美感はありますが、あの急斜面を下ることを考えると…。

 私が訪れたのは平日でしたが、一組の夫婦が通り過ぎました。この城で出会ったのはこの夫婦2組だけ…。この城をゆったりコースでも60歳台以上の方が登るのは現状は厳しいと思います。また、土岐氏も普段からこの山頂に館を築いていたとは到底思えません。

 大桑城下町を一乗谷のように繁栄させたとあるので、一乗谷や八王子城などと同じで、普段は麓の居館で過ごし、この山頂の城は緊急避難用だったと思われます。
 そういえば、古田紹欽記念館の特別展示で大桑城の出土品の展示で天目茶碗とか出土していましたが、これは古城山から出土したのか、麓の城下町から出土したのかそれも知りたいなと思いました。ぜひ今後は、四国堀を中心に町の発掘調査を進めて欲しいです。


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