情報は2016年8月現在

小田城
(茨城県つくば市)
小田城

 前々から気になっていた茨城県つくば市にある小田城跡(国指定史跡)。2009(平成21)年から復元作業を行っているのを知っており、2015(平成27)年に「小田城歴史広場(仮称)」としてオープン予定と新聞報道で聞いていたので、同年に市役所にメールをして確かめてみると、作業が遅れておりオープンは28(2016)年度初頭になると言われたので見送りにしていた。そして2016(平成28)年4月29日。「小田城歴史広場」が「案内所」(無料の資料館のようなもの)と共にオープンすることが記者発表されたので、同年の夏に訪れた。


 つくば市は広く知られているとおり「学研都市」として栄えている。市内に入ると3車線の大きな道路やつくばエクスプレスの駅近くにはキレイなビルが立ち並んでいる。一方少し車で走ると田んぼも多いという自然と住空間が調和した街である。


小田城
 小田城のある地区は上記写真のように、田んぼの多い地区ではあるが、小田城近くになると急に住宅が増え、道路もせまくなった。お城を中心に昔から集落があったのだろうと想像する。
小田城
途中、「21世紀の小田地域を良くする会」の大きな看板があり、「中世小田地域想像図」などもあり、この地域が歴史を大切にしているのを感じることができる。ただ、道が狭いため案内所にたどり着くことができず、小田城は見えているのに周りを2周くらいした。案内の看板がオープンしたてのためか小さいのでたどり着くのに一苦労だった。


小田城
 ようやく辿り着いた「小田城案内所」。無料なのに小田城主である小田氏の歴史を詳しく知れるし、小田城の出土品や特徴などを詳しく解説するとても良い資料館である。小田城を訪問する前にこちらの案内所で事前知識を入れるともっと楽しく見れる。しかし、湯山城資料館(愛媛県)や八王子城のガイダンス施設(東京都)といい最近は無料でも良い施設が増えているなぁと思うのだが、写真撮影は禁止とのこと。残念。図録などを販売していないから、せっかくの解説も完全に頭に残らないのがさみしい。こういう無料の資料館はぜひ展示図録を刊行してほしいなあと切に願う。


小田城
 この案内所に無料の駐車場が10台強あるので、そこから小田城まで歩いて30秒。途中なぜか五輪塔があったのだが出土品?(上記写真)


さて、いよいよ小田城訪城。
小田城
この図が復元された小田城の全体図だが、案内所から入ると北(図だと左上)のトイレのある部分から入る。
小田城
 復元された小田城は「歴史広場」であり、公園も兼ねているので、周りはサイクリングロードになっている。道路のとなりのこんもりした部分が土塁の復元部分。歴史広場内の入口として一部土塁に穴があけられてトイレがある。宇都宮城の土塁に穴が開いているように、ここも土塁を突き破って入る。
小田城
これは、土塁の北側部分。堀と土塁が確認できる。歴史広場入口の西側にも堀はあったようだが、公園としての役目のためサイクリングロードとなり復元はされていない。
小田城
 くりぬかれた土塁部分には発掘調査で分かった土塁の変遷がわかるように図化されている。この土塁の変遷の図化は湯山城にもあった。こういう復元にあたって全国に視察にいってよいものを取り入れているのがよくわかる。


小田城
 歴史広場入口から、小田城本丸を南方向に臨む。さすが主郭だけあって結構な広さ。しかしこう見ると、平城。戦国期なら後方にある山に作ったはずだが、鎌倉時代頃より小田氏が拠点にしたらしいので戦国の世にあってもこの地に城が残ったのであろうと思う。

北側土塁。
小田城
その土塁を登るとこんな景色です。
小田城
良い眺め。この土塁は3メートルくらいあるようなので、見渡が良いです。主郭の周りも曲輪があったようだが、今は住宅が広がっています。
小田城
この土塁には北虎口跡があり、堀を土橋で渡ったようです。


逆に北虎口から主郭に入ると、大きな通路が真ん中までつながっている。北虎口の土橋もそうだが、これらは小石などで舗装されていたようだ。
小田城
そしてその大きな通路の脇には大きな水路。この水路には石畳みで暗渠になっている部分もあり、主郭の通路になっていたことがわかるなど、結構な技術力で城が作られたよう。


小田城
大きな通路を通って主郭の東虎口へ。こちらの虎口には水が溜まっています。この堀は空堀なんでしょうか?それとも水堀?
小田城
 この東虎口には丈夫な橋が架かっていますが、往時も木橋がかかっていたようで、それを元に橋が架けられたそうです。この木橋を渡るとあるのが東曲輪で、東曲輪から見ると、途中まで土橋で途中から木橋になっているのが写真からわかります。
小田城
 この東曲輪にはほとんど建物跡がほとんど確認されなかったことから、出撃の拠点となった馬出だと考えられていると言う。この曲輪も土塁で囲まれているが、現在は民家があるので土塁復元も途中で終わっている。
小田城
 このルートが主郭への正式ルートだったためか、木橋の前に「史蹟 小田城阯」という石碑がありシャッターチャンスです。このルートから主郭の大きな通路まではハレ(表舞台)の空間で、通路奥からは柵列も見つかっているようなので、日常空間であるケの空間になっていたのでしょう。


東曲輪から東虎口に入って大きな通路を見渡しています。
小田城
 ここが一番のハレの空間だったようで、大きな説明板がある。こういうハレの空間に城内で一番大きな説明板を作るとは、歴史のわかっている人の復元設計で安心。
小田城
 大きな説明板に主郭と周りの曲輪の位置関係が載っています。あくまで復元された地域は城の中心部分なんですね。またこの説明板で、鎌倉時代から戦国末期の小田城の変遷についても確認できる。いかに小田氏が小田城を拡張してきたかの歴史がわかる。


小田城
 東虎口から大きな通路を奥(北)に進むと、北虎口から来た通路とのT字路になる。T字路の奥は大きな水路で区切られた生活空間(ケの空間)だと想定されている。この空間を小田城では「建物域」と呼び、礎石を伴った多数の建物があったようだ。想像するに、小田氏が生活した常御殿や、料理などを用意する台所、馬屋や倉庫など城を構成する様々な役割の建物があったと想定される。
小田城
 建物域から大きな水路を挟んだ南西に「西池跡」と呼ばれる様々な庭石(景石)があった池があった。おそらく水路のすぐ近くにあるので、水路から水を引いていたのだろうか。また、水路を挟んだ生活空間に常御殿があって、そこから眺めた庭だからこそ庭石(景石)が多かったのではないかと想像する。


小田城
 西池跡からハレの空間を南に行くと、あるのが南西虎口。この虎口には今までの虎口と違い石垣が組まれている。また、石垣が通路を横断するように組まれているところもあり、四カ所からなる門があったと想定されている。ここから出ると「南西馬出跡」という曲輪に出る。
小田城
 上の写真は「南西馬出跡」からみた写真であるが、土塁+堀がある。しかし、馬出曲輪のほうが土塁の一番下より若干高くなっているから、橋が主郭に向かって低くなっている。
小田城
 この曲輪の土塁には木柵と旗が立っており、私が2周回った小田城の外から見えた景色はこれだったことがわかる。
小田城
 この馬出曲輪から復元まではされていないが、曲輪Xにつながっていた。この木橋を渡った先には1987(昭和62)年に建てられた小田城の説明板があった。復元後にこちらに移設されたのか、元からここにあったのかはわからない。


小田城
南西虎口から主郭に戻る。写真左は西池跡。今度は主郭のハレの空間の南東部に向かう。
小田城
写真は、南西部の土塁に登って撮影した。写真手前に見える砂利の部分は、この空間が石敷きだったことを示すらしい。それだけ客をもてなす表舞台だったといえる。写真奥に見えるのは歴史広場の四阿(あずまや)。
小田城
掘立柱建物跡の部分を四阿として休憩どころにしたもの(もちろん現代の休憩どころとしての意味)。水飲み場もある。この建物の東部分に井戸跡もあった。きちんと市民の癒しの公園としての果たしつつ歴史に配慮する公園化は素晴らしい復元だと感じた。


四阿から南に行くと、東池跡と建物跡がある。
小田城
 ハレの空間に築山もあった景勝の東池。それに礎石建物と言えばこの建物は会所(人をもてなすところ)であろう。鉢形城でも触れたが、会所では座って客人をもてなすため、座観(ざかん)で一番美しい景色を見えるようになっている。
小田城
池の奥には細かい石があるが、これも実は復元。州浜石と言って砂浜を再現しているという。うーむ実に忠実な復元。残念ながらその奥の築山や庭石は復元されておらず、完全に再現されてとはいかず、その往年の景勝を楽しむことはできなかった。案内所やパンフレットを見ると、この主郭の建物群や園池の配置は、足利将軍邸との共通点が見られるという。同じく足利将軍邸を見本とした立派な庭が見られる江馬氏館のような立派なものが見たいが、復元の費用も多額になるので仕方ないとも言える。


小田城
 最初の土塁を切り開いたトイレは、清潔感あるキレイなもの。この歴史広場には市民の人の犬の散歩する人もいた。一部の歴史好きだけでなく、市民の憩いの場としての役割も十分果すことのできる、史跡の復元というのは理想的ではないかと思った。


 この史跡の復元をみて思ったことは、私が好きな石川県の能登地方の宝達志水町の御舘館跡の復元である。御舘館もこの小田城と同じ平城であり、石川県内では珍しい平地の大きな居館であり、ほとんど整備もされていない現在でも立派な土塁と曲輪が見て取れる。また御舘館も御舘集落の中にあり、小田城の復元のように史跡公園化すれば、史跡としての価値の保存の他にも地域住民のための憩いの場として役立つと言える。御舘館跡の保存整備管理もこの小田城を参考にすると、国指定史跡に指定され整備もはかどるのではないかと思った。

ということで小田城跡のレポートはこれで終了!

オマケ附(つけたり)「平沢官衙遺跡」
小田城
 さて、今回はもう1つ紹介したい史跡があります。国指定史跡「平沢官衙跡遺跡」。小田城跡から車で10分程の距離にある奈良・平安時代の郡役所の遺跡。


小田城
1975(昭和50)年の史跡調査で、重要な史跡であることが確認され、1980(昭和55)年に国指定史跡に指定され、1997(平成9)年に往年の姿に3棟の建物が想定復元された。写真にある左側の建物が、この遺跡の中では最大級の建物である。3棟とも大型の高床式の建物になっており、おそらく奈良・平安の頃の税である稲や麻を収めた郡役所の正倉庫であると考えられている。


小田城
遺跡には3棟の建物の他にも礎石が表されたものがあり、多数の建物が並んでいたところが確認できる。
小田城
建物の内部に入るには、遺跡の案内所を通さないといけないらしい。普段は南京錠で閉められている。


小田城
 入口の説明板を見ると、50以上の建物が確認されたことがわかり、奈良・平安時代で重要な役所だったことがわかる。さらに遺跡の全体を大きな溝で囲っており、郡役所と倉庫という性質上、紛争から守る必要性があったことがわかる。
 案内所に行くのを忘れてしまったが、案内所では出土した土器類や瓦などの展示があるそうです。

 小田城跡観光のついでに寄ってみてはいかがでしょうか?ついでに、国土地理院の「地図と測量の科学館」という施設が車で20分程の距離にあり、そちらも見ごたえがある。だが、つくば市自体が新興住宅地なため、お土産を買う場所が全くなかった。家族へのお土産を探すのに相当苦労すること請け合いなので、高速の道の駅などで茨城県土産を買うのが手っ取り早そう。


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