情報は2011年8月現在

難波田城
(埼玉県富士見町)
難波田城跡

昨日、無性に史跡に行きたくなったので近場の史跡を検索。そうしたら、難波田城跡に復元された水堀や門があると言うので早速行きました。


難波田城跡
 愛車スターレット「能登号」はまだまだ現役。平成5年度登録だからもう18年目。今回も能登号でお出かけです。難波田城公園は無料の駐車場があります。まわりは畑が多い所でした。


 難波田城(なんばだじょう)は、扇谷上杉氏の被官であった難波田氏の居城で戦国期には珍しい平城です。城の規模は5万km2ほどもある巨大なものですが、宅地化されてしまっているところもあるので、公有化された一部の地区が「難波田城公園」として1997(平成9)年から3年かけて整備され一般公開された史跡です。ちなみに難波田氏の名前の由来は「南畑」(なんばた)だと言います。


難波田城跡
 公園の入口は、復元された冠木門がお出迎え。ここは東門にあたるそうです。公園の周りの柵は、一応それらしく木柵になっています。


難波田城跡
 公園の入口には、「難波田城氏の歴史と難波田城」の紹介と難波田城公園の案内図の看板があります。
難波田城跡
ここでまず難波田城のことを頭に入れてから公園を散策しましょう。


おっと…
難波田城跡
先ほどの復元冠木門の横にパンフレットが置いてありました。これを持って歩くと、先ほどの看板を暗記しなくてもOKですね。


難波田城跡
 もうちょっと雰囲気ある木柵にしてくれればよかったのに…と思います。石垣もそれらしいつくりではありますが、一見して後世のものとわかるもの…。そもそも石垣なんてあった?関東では土塁が基本ですよね…。


難波田城跡
 これは難波田城の曲輪3と曲輪2をつなぐ復元木橋です。これは1996(平成8)年に発掘された場所に復元したものです。このような形だったとは思いませんが…。


難波田城跡
 難波田城内の曲輪3と曲輪2には水堀があり、侵入者を防ぐようになっていました。これはキレイに復元されています。それにしてもミズバショウが咲きすぎですが(笑)


難波田城跡
 曲輪3の幅はこんなものです。大きな道を作ると建物を作るスペースはあまりありません。それほど広い曲輪ではありませんね。


難波田城跡
 難波田城は水堀と土塁で曲輪が構成されています。堀を掘ったのを土塁にしたんでしょうね。近くにはなぜか菖蒲田がありました。どうしてこんなところに?


難波田城跡
 これは城の南にあたる場所にある追手門です。こちらは冠木門ではないですね。この写真は一度城外にでてから撮ってみました。どうしてここの復元は冠木門にしなかったのかな?


難波田城跡
 さて難波田城資料館の入口にきました。まだ城内の北半分を周ってませんが、まあいっか。先に展示物を見た方が理解が早いかも。


難波田城跡
 館内は無料で見学できます。無料にしては結構充実した施設です。中世から現代までの展示物があります。写真は城門の模型です。そうですコレコレ。こういう門や塀がが復元されていれば雰囲気でたのに…。木橋は当時手すりなんかないですよね…。


難波田城跡
 難波田城の全体模型です。中央に見える大きな建物が曲輪1の本城と言われるところです。その南(下)にある櫓があるところが曲輪2。それを取り囲むC次が裏返しになっている形の曲輪3です。難波田城は荒川低地に築かれていたので、城の西は川になっていますね。だから水堀にすることが可能だったのですね。荒川の氾濫時などはどうしたのでしょうか?洪水を恐れてあまり規模を大きくしなかったのでしょうか。


難波田城跡
 無料の資料館なのに有料の図録が売っています!図ばらしい。しかも企画展の図録も売っており大満足。「難波田城施設案内」「常設展示図録」と「平成21年春季企画展図録 戦国の集落と領主−水子・鶴馬−」を購入しました。3冊で1000円とは安い。


難波田城跡
 資料館の裏口を出ると、今までの「城跡ゾーン」から「古民家ゾーン」と呼ばれるところへ。富士見市内に残されていた古い民家を移築しし、再現したスポットらしい。写真は地域交流施設「ちょっ蔵」。難波田城のキャラクター「なんばった」もいます(笑)


難波田城跡
 市指定文化財になっているみたいですが、江戸時代はあまり専門的ではないので、そんなに写真に収めていません。


難波田城跡
 難波田城公園内にはなぜか水田が…。写真は水田横の古代蓮の畑。なんと1400年前の地層で見つかった蓮の実から栽培したものだそうです。富士見市で見つかったものかと思いきや「行田市から分けてもらった」らしい。近くに井戸があったから喉を潤そうと思ったら…「この水飲むべからず」って…チェッ…。


難波田城跡
 「古民家ゾーン」から回ってきたらまた「城跡ゾーン」にでました。先ほど行けなかった「曲輪2」につきました。ここから曲輪3を望んだ写真です。水堀の面積が大きいなあと思ったんですが、これは荒川にごく近いからこのような形になったのだと納得。曲輪が小さいのも納得。


難波田城跡
 西側から曲輪2を見ている写真です。資料館でみた模型からわかる通り、本城(曲輪1)から直接通じる「馬出曲輪」になっています。曲輪内が見えないようにそこそこ高い土塁が覆っています。


難波田城跡
 いよいよ本城=曲輪1です。難波田城内の最重要地点ですが、ほとんどの地点が宅地化されており、公園外になっています。なので、狭い面積に「難波田氏館址」の石碑があるのみです。江戸期に成立した古絵図によると、東西45m、南北30mとなかなか大きな曲輪でした。


 全体的にみると、「城跡ゾーン」の復元は中途半端な感じがします。門や木橋、木柵(あるいは板壁)などをもっと室町時代の様式で復元できると良質な史跡公園になると思います。水堀や土塁などもしっかり再現していると思うのですが、現在は近くに荒川がないので、その雰囲気を感じ取ることができないのが残念です。
 とはいえ、無料ながら資料館が充実していてよかったなあと思います。扇谷上杉などはあまり資料館がなく研究も盛んではないと思うので、こういった史跡があると身近に感じられます。私自身も、逆井城、八王子城、鉢形城、難波田城、古河城と北条氏やそれに関連する諸氏の城郭を見ていくうちに、今まで興味がなかった北条氏に、ちょっとずつ関心がでてきました。


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