情報は2011年08月現在

長篠城
(愛知県新城市)
長篠城

 家族旅行で来た愛知県新城市鳳来(旧鳳来町)。遊びに来たのは「新城総合公園」だけど、近くに「長篠城跡」の看板が見え結局家族を連れまわして行くことに(苦笑)


 長篠城は1508(永正5)年に、今川家の武将・菅沼元成が築城したと言われます。桶狭間の戦い以後、今川家が力を失ってからは徳川家に属し、さらに武田家が影響力を持つと、他家だと徳川の間でさいなまれることになります。


長篠城
 長篠城跡にあるのが、「長篠城址史跡保存館」。こちらでは、現地の出土品のほか、武具や長篠合戦に関する資料を展示してあります。


長篠城
 これは「床机」(しょうぎ)といい、合戦時の簡易用イスです。座ることができたのは指揮官のみと説明文にありました。今川義元や武田信玄が座ってそうなイメージのイスですね。他にも、「陣中水呑み」「軍配団扇」「携帯用食器」など戦国合戦にちなんだ展示があります。


長篠城
 また長篠の合戦にちなんで火縄銃の展示も多かったです。「早合」(はやごう)などの展示もあります。他にも「長篠の合戦屏風」「長篠の合戦模型」などがあり、長篠の合戦について学習できます。結構意外だったのは、資料館が徳川ヒイキで武田は侵略者という観点でなく、合戦で負けた武田氏側の方がむしろ積極的に取り上げられています。武田氏ファンにとっては意外に穴場かもしれません。(まあ、負けた戦場に来るのは嫌かもしれませんが…)


長篠城
 また、発掘調査の出土品なども紹介しています。瀬戸物の陶器や常滑の陶器など国産の陶器ほか、青磁・白磁などの輸入陶器も出土していて、その品が展示してあります。


長篠城
 保存館では書籍も販売しています。私が買ったのは「ガイド長篠の戦い」「戦国の礎となった仙丸たちの物語」と、長篠の合戦のクリアファイルを購入。


 さて、今度は長篠城本丸に行きましょう。


長篠城
 駐車場や保存館がある場所は「帯廓」といって、本丸に付帯する郭です。本丸との間には結構な空堀があります。


長篠城
 かなりの深さですね。写真左が帯廓で、右が本丸。右の本丸はさらに土塁があり高くなっています。


長篠城
 「長篠城縄張概図」です。これをみると「長篠城」は、宇連川・寒狭川に囲まれた天然の要害であることがわかります。本丸の奥に「野牛郭」というのがありますね。そちらが搦手門(裏門)でしょうか。


長篠城
 本丸の土塁です。空堀で掘った分だけ土塁を積み上げたのでしょう。結果、かなりの高低差になっています。


長篠城
 本丸郭はかなり広いです。
長篠城
 本丸入口には、「史蹟長篠城址」の石碑が、本丸内には「長篠城本丸跡」の木碑があります。


長篠城
 「野牛郭址」は本丸からはうかがい知ることができません。しかしわかることは、本丸跡と野牛郭跡は段差がありますね。きっと川が削ったのかもしれません。


長篠城
 本丸跡にはJR飯田線が走っています。本丸跡だけでなくもっと長篠城を一体的に見れる公園になれるといいのですが。また、長篠城址保存館にも長篠城の模型もなく、どのような形の城であったのか、地図だけでは全体像がつかめませんね。


 長篠城の近く(歩いて10分ほど)に馬、さすが長篠の合戦の場になったところというか、場美濃守信房の墓がありました。
長篠城
 説明版によると、馬場美濃守信房は長篠の合戦で、退却する武田勢の殿(しんがり=後方隊)を務めて戦死したので、その首を埋めた場所と言われているそうです。


 さらに、この近くの戦国見どころとして、「設楽原歴史資料館」と「長篠の合戦馬防柵」があります(こちらからどうぞ!)。


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