情報は2018年11月現在

増山城
(富山県砺波市)
増山城1

 今回ご紹介する城跡は富山県砺波市にある増山城。知っていますか?神保長職が富山城から逃れて籠もった城で、1562(永禄5)年から神保長職が、畠山義綱を仲介にして講和し、本拠地としてしていた地でもあります。地味ではありますが、実は2009(平成21)年に国指定史跡となって整備が進みました。そこで今回の訪問となりました。今回も歴友の武藤氏と共に出陣です。


増山城2
 写真に写る増山大橋を渡り登山口に行きます。この大きな橋は戦国時代の当時からあったわけでなく、和田川ダムができたことによってできた池です。


増山城3
 地図を見ると、「七曲り」という場所を通って城に入る・・・ハズなのですが、あるはずの駐車場が見当たりません。よく調べてみると、増山城の駐車場は和田川ダムの管理棟がある付近にあるようです。徒歩でなければここには来ないかもしれません。さらに後で知った事なのですが、この橋を渡る前の土地が増山城の城下町だったようです。土塁跡もあったようで、写真を撮っておけばよかった・・・。


増山城4
国指定史跡となったことで、城跡を訪れるためにわかりやすい駐車場と案内施設ができました。
増山城37
「増山城陣屋」は8:30〜17:00まで開館しており、中には誰もいませんがパンフレットやパネルで増山城のことを学習できます。
増山城5
 増山城陣屋にあったパネルの1つです。この写真を見ると増山城の全体図がよくわかります。その規模は1000m×900mとかなりの大きさを誇ります。松倉城(魚津市)と守山城(高岡市)と合わせて「越中三大山城」と呼ばれているそうです。
増山城6
 発掘出土品が砺波市埋蔵文化財センターに展示されているようですが、訪れたこの日は11月5日(月)で月曜日休館でした。残念。


増山城7
 和田川ダム管理棟を超えて、右手は池、左手はダムのための相当の高低差がある川となっています。そこを過ぎればすぐに増山城の入口です。
増山城8
現在の位置はここ。
増山城9
遊歩道を通って城へ向かいますが、さすが国指定史跡(七尾城も国指定史跡なのですが・・・)、こんな粋な計らいの案内があります。
増山城10
 大喜利の司会でお馴染みの春風亭昇太。実は大の城好きとしても有名で、全国の城イベントなどでも引っ張りだことなっているらしい。その影響は増山城にも届いており、スマホがあれば、Youtubeを使って春風亭昇太の説明を聞きながら訪問することができます。私もその説明を聞きながら登城しましたが、時に片手にスマホを持ちながらだと、危ない箇所もありますので気をつけてください。また、場所によって説明が分かれているのですが、次にどこの説明をされているのかわかり辛いのが難点。城のパンフレットは必須(陣屋にあります)です。ちなみにこんな粋なアナウンスは七尾城にはありません。同じ国指定史跡同士なのに・・・。


登山口の冠木門をくぐり、いよいよ城跡に入ります。
増山城11
 ここは遊歩道らしいです。この道の良さはよく整備されていますが、近年の整備なんでしょうね。
増山城12
 この遊歩道から高い所から囲まれており、守備面でも守りやすそうです。この通路か最初に間違えて行った七曲りというルートが「大手道」(一般的な登城ルート)と考えられているようです。この遊歩道では中世の土師器や下駄、漆椀が出土しているらしいです。


増山城13
 遊歩道の終点に土塁の先に竹柵で区切られた郭がある。F郭と名付けられている。その名称は古地図に地名の記載が無いから、城郭研究家が呼んでいるものに合わせたという。大手道と思われる北側ルート(和田川ダム)からの最初の防御拠点となる。


増山城14
 このF郭を進もうとすとさらに大きな土塁が立ちはだかる。これは「馬之背ゴ(E郭)」と呼ばれており、北側ルートから来るF郭を見下ろすL字型の郭であることから、それを守護する袴腰や櫓台のようなものかもしれない。発掘調査により、16世紀に郭が拡張されたことがわかっている。


増山城15
 F郭や馬之背ゴから少し東に戻ると「又兵衛清水」がある。又兵衛が発見した湧き水と言われており、この日も綺麗な湧水が見られた。本丸に近いところでの湧水は、籠城を想定した場合とても大切な場所だと考えられる。


増山城16
 「又兵衛清水」と一ノ丸の間には2段に渡る石垣のような石が土塁に見える。この写真から壁が人工的に作られたことがわかるが、国指定史跡なのだからもうちょっとキレイに手入れしてくれても・・・とも思う。


増山城17
石垣の東に登った所にある「一ノ丸」に来ました。一ノ丸から見える景色がこちらです。
増山城18
 ここから増山城の城下町と言われていた場所が見渡せます。一ノ丸という割には大手道からすぐ辿り着けるところにあり、また郭の平地面積も多くない。つまり、一ノ丸とは後世に名付けられたもので、その場所からして本丸ではなかったと考えられる。むしろ、この先に本丸と思われる二ノ丸を守る副郭であったと思われる。


次は一ノ丸から二ノ丸に至る通路を見てもらいたい。
増山城19
かなりの高低差がある。
増山城20
その高低差を登っていくと周囲は門跡のような土塁がある。隅櫓のセットになった虎口になっている。
増山城21
 二ノ丸と言われる郭は、城内の一番高い場所にあり、かなりの平地がある。そしてこの郭を囲むように一ノ丸や三ノ丸があることから、ここが主郭=本丸だと現在は想定されている。

増山城22
 郭内は広く、ベンチもある。上の写真の左上の部分が盛り上がっているが、これは鐘楼堂跡と言われている。
増山城23
 時を知らたり、非常時の合図とする鐘を鳴らしたのであろう。もしくはかなりの高い位置にあることから隅櫓のような役割があったのかもしれない。写真では、鐘楼のミニチュアがあり、鳴らすと、とてもカワイイ鐘の音が鳴り響く。
増山城24
 この鐘楼堂跡から城内最大の高低差の堀切を挟んで安室屋敷(あじちやしき)がある。写真で見ると高低差は伝わり辛いものがあるが、階段がかかっていることにより、その高低差を感じてもらえると思う。私も落ちるのではないかと怖くなった。

増山城25
 本丸である「二ノ丸」にある神水鉢。その近くにある看板には「自然石に穴をうがった石鉢。旱天期でも水は決してかれることがないといわれている。神保城主はこの水におとす月影で時刻を知ったとされている。」とあるが、Youtubeで春風亭昇太が、どこからの礎石を持ってきたものである。と解説していた。用途はイマイチわからないらしい。

増山城26
 二ノ丸から南に伸びる尾根を改造したのがこの「無常」と呼ばれる場所。地名の由来は「実城(みじょう)」からとの説がある。名前が物騒なのだが、その割にそれほど広くなく縦に長い出城のような場所。この下の斜面には岩盤を掘込んで作った畝状竪堀群があるというが、それらしきものは木で見えなかった。


増山城27
 本丸である二ノ丸横通って馬洗池へ行く途中の写真。かなりの高低差でここがかなりの規模の山城であることがわかる。
増山城28
 ここは二ノ丸鐘楼堂から東に行った場所。馬洗池と呼ばれる場所。看板の後ろが馬洗池である。草が生えていて池になっている様子がわからないが、地面はかなり湿っている。池・・・というほどではないが、豊富な湧水があり、確かに城内の飲料水の確保には適していると思われた。


増山城29
この両面を斜面で囲まれている場所・・・
増山城30
 このハシゴのような階段には見覚えが・・・。そう本丸である二ノ丸鐘楼堂から見えた、安室屋敷(あじちやしき)に通じる階段です。戦国時代は二ノ丸から安室屋敷まで木橋でも架けられていたと思いますが、この高低差はなかなか怖いですね。では階段を登ります。

増山城31
 以外と広い平坦面。ちなみに「安室屋敷」の「安室(あじち)」とは、「家督を嫡子に譲って隠居した人の住居」を意味するらしいです。1570(元亀元)年あたりには神保長職は嫡子の神保長城に家督を譲ったと言われているので、こちらの郭に移ったのでしょうか?増山城は山城と言っても、城下町まで距離が近く、ひょっとしたら本当に隠居した神保長職がいた可能性もあるかもしれません。


増山城32
 「安室屋敷」を降りて、馬洗池の看板近くまで戻ります。写真右下が馬洗池の看板。左の道に行くと「神保夫人入水井戸」。手前に戻ると「安室屋敷」。そして先に進む土塁の上にあるのが「三ノ丸」。


増山城33
 三ノ丸は64m×70mとかなりの広さがある。別名「オオヤシキ」とも呼ばれている。きっと「大屋敷」という語源からかなりの兵力で守られた郭なのであろう。二ノ丸と安室屋敷の東側を守る重要な位置にあり、亀山城の方から攻め上がろうとすると、この三ノ丸と安室屋敷の空堀切でかなりの攻撃を食らうことになりそうだ。


増山城34
 さて次は「神保夫人入水井戸」・・・だが、距離は535m。御所山屋敷→足軽屋敷→長尾山の山頂→池ノ平等屋敷を経て神保夫人入水井戸へと至るが、武藤さんの提案で「かなり遠い距離になるので止めておきましょう」ということに。この写真からだと手前に戻り、本丸(二ノ丸)と安室屋敷を挟む堀切を通り、又兵衛清水付近の石垣を通り、一ノ丸下の場所へ。


増山城35
 この道は「七曲り」へと続く。最初に私と武藤さんが迷ってたどり着いた入口である。城下町跡からはこの七曲りを通ると増山城へ近道できる。


増山城36
 この道からは一ノ丸にすぐに行ける階段があるのだが、道が危険であるためという理由で閉鎖されている。高低差はあるがすごい危険だとは思えない。きっと国指定史跡になるにあたり、一般の観光客の道通りを考えてのことだろうか。


 かなりの巨大な山城であり、亀山城までを含んだら見学するのに3時間はかかりそうだ。しかし、私が辿った今回のルートならば1時間半くらいで回れる。
 理想のルートは、「増山城陣屋」でパネルを見学しパンフレットをもらい事前学習し、増山城に登る。そしてその後、砺波市埋蔵文化財センターで深く学習するのがお勧めである。


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