情報は2011年08月現在

川尻城
(愛知県新城市)
川尻城

 愛知県新城市。長篠城のついでに同じ市内にある「川尻城」に行こうと思いました。長篠城は旧鳳来町。川尻城は旧作手町。違う町ですがそんなに距離はないかな?と思いカーナビで調べたら9kmほど。だったら近いかな?って思って出発したら、なぜか急に目的地まで22kmの表示。直線距離で9kmでも道のりでは22kmもある。その理由は山道だからでした。


 途中お腹も空いたので、目的地の近くにある「つくで手作り村」という道の駅で休憩&昼食。
川尻城
かなり人がきてにぎわっています。
川尻城
おからコロッケ定食。800円でした。なかなかのお味。


 さて、お目当ての川尻城へ…その前に「亀山城」発見!
川尻城
 行こうかどうか迷いましたが、今日は家族連れ。あまり史跡で連れまわすと正室の目が冷たい…。


 川城城は応永年間(1394〜1428)に奥平貞俊によって築城されたと伝えられています。当時は周囲に土塁を備える平山城だったと本丸跡の説明版にありました。しかし、貞俊が川城城が手狭だったことから、近くの山である清岳に亀山城を築いて移ったと言われています。

 
 川尻城は公園になっている…というんですが、それらしきものがない。しかも駐車場も大きいと言うのにそれらしきもものがない。やっとみつけたのがこの看板。
川尻城
 この看板をよく見なかったのが、さらに迷ってしまった原因。実はこの看板の後ろが駐車場でした。案内板も出てないのでよくわからなかったですが、よくみると、現在位置の下に駐車場って書いてありますね…。


川尻城
 この道が川尻城?狭いし、駐車場がその西の道路にあるからそっちに止めようと思ったら、そっちの道は途中で未舗装に…。しかも城跡にたどり着かないし…。途中で引き返す。歩いて登ると、そこには釣堀があった。戻ってもう一度最初の看板に戻り駐車場を発見。


川尻城
 最初の看板のちょっと東にこの階段があります。この階段を登ると、上の細い舗装道路に出ます。ちょっと歩くといよいよ目的地へ。


川尻城
 復元冠木門です。ここが大手門(表門)だったのでしょうか。中に木柵も再現されていますが、草が生い茂っていて近づけませんでした。もうちょっと手入れできないもんですかね…。


 さらに5分ほどで「城跡広場」にたどり着くというので、歩いていくことに。そこでこの狭い舗装道の末路を見た。
川尻城
 狭いのに谷側は舗装が崩れている。しかも山側には石段がある。軽くらいしか通れないような道。ここまでに車が転回できるようなスペースもありません。ここまで来たらこの狭いスペースを覚悟して「城跡広場」まで登らざるを得ません。車の破損覚悟で登るなら構いませんが、私が最初に見つけた看板の後ろの駐車場に止めて登る方がおススメです。


川尻城
 「城跡広場」には「川尻城址」の木碑、トイレ、休憩所があります。あまり見所はありません。本丸に冠木門とか作ればよかったのに…なぜあのような中途半端な位置に作るのか…。しかも、説明版がよくわからず案内不足は否めません。


 せっかくだから作手の資料館にも行きましょう。
川尻城
「作手歴史民俗資料館」。見学料無料です。
川尻城
 しかし、残念ながら「川尻城」のことは展示では全く触れていませんでした。むしろ「亀山城」の方が載っていますね。亀山城は発掘調査なども行われているようで、出土品が展示されています。


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