情報は2010年7月現在

勝沼氏館
〜其の1本郭編〜

(山梨県甲州市)
勝沼氏館

 今回は、山梨県甲州市にある勝沼氏館跡の訪問記です。中世の復元ではないので、すっかり見落としていましたが、館全体が発掘調査されている貴重な中世史跡です。
 勝沼氏は武田信虎の弟・信友によって興された武田氏の庶流の一族です。武田晴信(信玄)の時代も親族衆として重要な地位にいたが、1560(永禄3)年逆心の企てが露見し、処断されたといいます。つまり、この勝山氏館は織豊期ではなく、戦国時代前期の武士の館を丸々発掘調査した史跡という点で、一乗谷朝倉史跡と並ぶほどの重要な史跡と言えないでしょうか。この勝沼氏館跡は、16世紀初頭の屋敷の様子を復元しているそうです。

勝沼氏館跡

 勝沼氏館跡の駐車場です。結構立派で5台くらい余裕で停めれます。しかも無料。しかし、ここから勝沼氏館への入り口の整備・管理が滞っています。

勝沼氏館跡

 ん?どっから入るの?というほど小さな入り口をとおって草茫々の空地へ。駐車場が立派だけに余計この管理されてなさが気になる。駐車場から空地へ入ると、左側が家臣の屋敷跡、右側が主郭になります。

勝沼氏館跡

 まず右側から主郭から行きましょう。こんな立派な看板がありますが、草茫々です(泣)もっと草刈りしようよ甲州市。

勝沼氏館跡

 看板を進むといきなり崖。っていうか、堀ですね。結構深い。足場が悪いのでご注意を。あと、草が茫々で足が痛くなるので、ジーパンなど長ズボンをおすすめします。さて、空堀を渡るための木橋が復元されています。結構ミシミシ言うんだけど大丈夫??注目は木橋の下が石組されている点です。16世紀初頭とはいえ、部分的に石を組んでいるんですね。

勝沼氏館跡

 草や木が茫々していなければ見栄えもいいのですが、東門の柵や門が復元されています。こちらは裏手門です。

勝沼氏館跡

 東門のすぐ近くに、蔵跡や半地下蔵跡があります。この写真のように、勝山氏館は、基本的に平面展示です。建物の跡を赤いブロックで、柱跡や礎石などがわかるように展示してあります。平面展示が一番、整備費用が安く済み、維持費用も安く済む展示方法です。

勝沼氏館跡

 きれいな石列ですね。側溝の跡なら、2列の石組みですから、違いますね。どうやら、砂利の通路を作った時のわきにおいた石列のようです。それ砂利が通路の外に出ないような役目をしたんですね。結構、建築水準の高い館ですね。



勝沼氏館跡

 さて、いよいよ勝沼氏館の中心部です。写真では、手前と奥の2つの建物が平面展示されているのがわかりますか?手前の建物跡が「常の御座所」で説明版には「主人の日常生活の建物」とあります。奥の建物跡が「主屋」で「館の中心建物、主殿にあたる。」とあります。そして写真では見えないので、位置をずらして撮った写真

勝沼氏館跡

 手前が「くつろぎ所」で「茶室、泉殿にあたる」と説明があります。奥が主屋、写真の右にちょっと見えているのが「常の御座所」です。
 つまり、館の中心地に「常の御座所」「主屋」「くつろぎ所」の3つの建物が隣接しているのです。「常の御座所」が主人のプライベートルーム、「主屋」が主人のオフィスルーム、「くつろぎ所」が主人のリラックスルーム(休憩所)だったのでしょう。
 この平面展示で工夫している点は、部屋内は赤いブロックで展示し、廊下にあたる部分は黄色いブロックで展示でしてある点です。この3つの建物は密集しているし、本当は一つの建物だったのか?いやしかし、独立した廊下があるということは、それぞれ独立した建物か?と、想像力をかきたてられます。


勝沼氏館跡

 「常の御座所」の東側の後ろ(裏門である東門に近い方)には厩があります。主人の馬屋ですが、結構広いですね。

勝沼氏館跡

 「常の御座所」の北側には水路があります。よくみると、水溜の池も。これは庭園か?とも思いましたが、北側に庭園?しかもプライベートルーム近くに?と思っていましたら、説明版をみて納得。台所のための水溜池でした。この勝沼氏館には驚くべき水路システムがあるので、それは後半(其の2)でお伝えします。

勝沼氏館跡

 これが台所です。足助城の「厨」(くりや)と同じ規模位。ということはカマド小屋もあったのかもしれませんね。

勝沼氏館跡

 台所の東には、史跡公園の休憩所として建てられた「水屋」があります。これは「水の保管などに使われた納屋」とあります。「雪隠」(トイレ)も近くにあります。この館の規模にしては小さいものでした。

勝沼氏館跡

 さて、「主屋」の南西にあるのがこの建物跡。なんだと思いますか?ヒントは前の本文中にもありますよ。



答えは「会所」です。「接客用の建物、広縁を持つ」とあります。いわゆる客間で、この客間は相手をもてなすことはもちろんのこと、訪れた人に自分の権力を見せつける意味もあったわけですから、当然敷地内でも太陽がよくあたり庭園を含む見栄えの良いところにあるのが常識です。この館跡も会所跡も庭園を含むとありましたが、草が茫々でよくわかりません。


 会所をさらに西に進むと、通路を挟んで「番所」が2つ。番所とは「警備のための詰所」です。会所は番所から近いところにあるんですね。他人をもてなすためには、なるべく門から近いところ且つ、警備の目の届くところ、という配置です。番所の外には「工房跡」があり、鍛冶場があったようです。

勝沼氏館跡

 さらに北西に進むと、勝沼氏館の看板が!ここで、勝沼氏の歴史や発掘調査の様子などを知ることができます。勝沼氏館がある甲州市には歴史博物館がなく、発掘の状況をうかがい知るにはこの説明文を読むのが一番です。結構詳しく館の変遷なども書かれています。しかし、看板が古くなっており、写真が見えずらい。

勝沼氏館跡

 こちらが北門。番所がある方です。柵や門が復元されていますが、正門だけにこんな粗末な門ではなかったと思います。門の奥には生垣で虎口が再現されています。これも本来は柵とかがあったのかな?この訪問記の一番最初に掲載された勝沼氏館の全体図の写真は、この北門付近にあります。門には櫓台があったようです。あれっ?そういえば、東門(裏門)の防備が手薄?と思ったら、全体図の看板に、東門の近くに小さな櫓台がありました。ここから状況を把握していたのですね。こんなに小さいなら、逆井城の櫓台よりは高さも小さいのか?と考えます。
 いろんな史跡を訪問すると、他の史跡と比較ができて面白いです。早く七尾城の発掘調査をやってもらいたいものです!では、勝沼氏館跡の訪問記は其の2に続きます。本廓以外にも見るべき史跡があったので、その様子をアップします。


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