情報は2015年10月現在

浜松城 in 2015
(静岡県浜松市中区)
浜松城

 浜松城には前回2012(平成24)年度に訪れています。「浜松市制100周年記念事業 浜松城公園歴史ゾーン整備」で本格的に整備が開始される前にその姿の変遷を見たかったからです。そして2014(平成26)年には、天守門の復元と、石垣近くの大きな木を伐採し、景観を良くしたそうなので、今回2015(平成27年)に再び訪れてみました。


早速、浜松城公園へ。
浜松城
うん!?なにやらプレハブが…。
浜松城
近くにある説明板を見ると、ここは清水曲輪という場所。その上にたつこのプレハブは「家康公の城展示館」という施設のようです。2011(平成23)年には隣の元城小学校のグラウンドの発掘調査など、精力的に調査を行っています。その調査の中間報告のための建物のようです。

主な報告は展示シートによると3つ。
@2011(平成23)年における元城小発掘調査。1560年〜1570年頃の井戸の発見などがあったようです。
A2014(平成26)年における元城町東照宮境内における発掘調査で、浜松城の全身である引間城の調査。大量のかわらけなどが発掘されたそうです。神社も協力的なら発掘調査できることに驚き。
B2014(平成26)年における本丸南側における清水曲輪の発掘調査。ここには江戸時代の絵図にない堀跡が確認された。この堀は戦国期に徳川家の領土拡張において、城内の整備拡張も行われた一環として、戦国時代の最中に埋め戻され曲輪になったとのこと。江戸時代の絵図の正確性が改めて浮き彫りに。プレハブながら出土品なども展示しており、見ごたえのある施設だった。しかし、内容が専門的なため、一般の方はほとんどいなかったのが残念。


浜松城
それでは今回のメインである2014(平成26)年に復元された「天守門」へ。写真がブレていてすみません。ではちょっと場所は違いますが、2012(平成24)年の頃の浜松城の写真と比較してみましょう。

浜松城
上の写真が2012(平成24)年に私が訪れた時の浜松城の石垣の写真です。石垣に雑草や木が生い茂り景観を損ねているのがわかりますね。ただ市民から「木を伐採しないで」という要望もあったようですが、城があった戦国時代は木があると攻城が容易くなるのでほとんど木ない状態だったので、歴史的な景観の復元と自然との共存とは難しいものです。


さて、2015(平成27)年に戻りましょう。
浜松城
 天守門のアップです。この天守門の左右にはずいぶんと巨大な石が使われ、鏡石と言われている。また、門の下には瓦で作られた排水溝などもあり高い文化水準がうかがわれる。この天守門で復元が模倣されたのは、江戸時代末期廃城直前の姿。
浜松城
 写真は天守門を本丸側からみたもの。この門は門の部分が狭く、内側部分が広がっている安土桃山時代の門の特徴を継承しているとみられる。


浜松城
 天守門付近には石垣の説明板もありました。浜松城の石垣は野面積という戦国後期によく見られたものです。浜松城の石垣はいつ頃築かれたかは不明のようですが、安土桃山時代までの築かれたかと推定されています。浜松城の野面積石垣は往年の姿をとどめていますが、2007(平成19)年3月25日に起こった能登半島沖地震で七尾城の野面積石垣が崩れていることからも、大きな地震には耐久性が低い。浜松市を含む中部地方は大きな地震が想定されているので、せっかくの文化遺産が壊れないか心配でもある。


浜松城
 せっかくなので天守閣も入りましたが、2012(平成24)年にも訪れて紹介していますので、こちらの記事では割愛します。 浜松城の天守閣は安土桃山時代に築かれたらしいが、古絵図などによると江戸時代初期にはすでに喪失している。なので、この天守閣の姿もまったくの模擬天守と言えます。よく見ると天守台の石垣よりも若干小さくあり、コンクリート天守を作り直そうという動きもあったようですが、全くの想像である模擬天守を作るのは最近の歴史復元では見られないので、市も断念して、天守門や櫓の復元に力を入れることになったらしいです。
浜松城
 こちらは天守閣からみた天守門です。石垣の下からや曲輪から見るとなかなか全体像を見ずらいですが、天守閣からみるとその全体の大きさがよくわかります。


では、天守門の内部に入りましょう。
浜松城
 この天守門の櫓は、天守閣とは違い廃城となる明治初頭まで維持された。ペリー再来航の年1854(安政元)年に安政地震で関東中部は深刻な被害があったが、天守門は壁が一部壊れた他は甚大な被害は免れた。しかし、時代の流れで廃藩置県が行われた1873(明治6)年に天守門も解体され払い下げられ民間所有となったようです。


浜松城
 天守門の櫓は、木造復元されており、柱にはヒノキ、梁にはマツが使われている。ただこの日は見物客も多く、櫓の内部全体の写真を撮るにはちょっと…という状態でした。その櫓の内部の中心にジオラマが置かれています。これはジオラマ界では有名な浜松在住の情景ジオラマ作家の山田卓司氏(マツコの知らない世界で山田さんのジオラマが紹介されました)が製作した「三方ヶ原の戦い絵巻」です。三方ヶ原の戦いと言えば、徳川家康が浜松城近くで武田信玄と戦い大敗し、命からがら浜松城に帰ってきた戦いです。徳川家康を戴く浜松市としては負け合戦を取り上げるのも苦しいのですが、市域が合戦場となっており、よく浜松では取り上げられます。この合戦の後、武田信玄が病没し、かの有名な長篠の戦いにつながります。
浜松城
上記写真はジオラマを徳川氏の陣側から撮ってみました。結構リアルです。


浜松城
 もちろんジオラマだけでなく、内部を解説した説明板もあるので、しっかりとその復元構造を学ぶことができます。


浜松城
「浜松市制100周年記念事業 浜松城公園歴史ゾーン整備」の全体想像図です。当初は、延期になる前の東京オリンピックが開かれる2020(令和元)年までに、富士見櫓が復元される予定でした。しかし、それが平面展示になってしました。その理由として、浜松市はこう述べていました。
「本市では、平成 23年に策定した『浜松城公園歴史ゾーン整備基本計画』に基づき、廃城期の富士見櫓復元を検討してきましたが、復元根拠となる当時の図面や櫓の大きさがわかる古写真等が不足しているため、土舗装による平面表示を行いました。」それでも、復元して私は復元して欲しかった。櫓と一体感ある景観が本当の城の魅力を語るのだと思うからです。


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