〜遊佐きむち氏・畠山義綱対談〜
畠山義慶・義隆は暗殺されたのか?

ここでは1998年に旧「能登のぉと」管理人の遊佐きむち氏と私が上記の話題をメールで対談した内容を参考に掲載したいと思います。

(1)通説(義慶−長続連が暗殺、義隆−遊佐続光が暗殺)

畠山義綱(畠山義綱)
畠山義慶長続連に暗殺され、畠山義隆遊佐続光に暗殺されたというのが、一般の歴史書に書いてある説です。義慶の暗殺理由は述べられていませんが、義隆の暗殺理由は遊佐続光が義隆に取り入れられなかったため、とされています。
遊佐続光(遊佐きむち殿)
うむむ、それなら温井氏(義続・義綱)の時も毒で行きそうとおもうです。毒殺(謀殺)の方が 兵を上げるよりぐっとリスクが低いですしね。実行は自分の手で行わなくて良いから逃亡しやすいし。
畠山義綱(畠山義綱)
義綱が永禄九年の政変で毒殺されなかったのはガードが固かったため思われます。重臣達はあんな若当主(=義綱)やれるなら「すぐぽっくり!」ってな具合で思っていたでしょうからガードが固かったのでは。義綱には従う家臣も多いし、温井は要注意人物ってな具合ですから注意していたんではないでしょうか?
遊佐続光(遊佐きむち殿)
ふむ。毒殺を成功させるには料理担当者はもちろんお相伴の人間も巻き込まないといけませんからね。人を多く巻き込む(味方につける)と言うことはそれだけ事前に露見しやすい...と言うことは、 あっさり殺せた義隆(義慶)はやはり重臣合意の上で?続連の実子も一緒に死んでますから、事実上最高権力を握っていた長氏に揺さ振りをかけるのも目的?
 僕の考えとしては親上杉派の遊佐が謙信の能登侵攻の口実の一つとして殺ったと。遊佐・温井・三宅 は後に上杉に対して謀反を起こしてますから、あわよくば義隆(もしくは上杉家から送られた義春なる 人物)を担いで、も一回畠山家でも興そうかと思っていたのではないのでしょうか?もちろん、義ではなく権力のためです。
畠山義綱(畠山義綱)
他にも犯人の説があるようですね。
遊佐続光(遊佐きむち殿)
家臣の合議による暗殺説は山川出版社の「石川県の歴史」(下出積與 著)のものです。他の記述にあいまいな点がいくつか有るのでいまいちなんですが、この節については著者がかなりプッシュしていたので印象に残っていました。根拠は、義隆暗殺後だれも守護職に就かず、春王丸を擁立した。つまり、これは重臣の合議によって決められたことであるから特定の人物の暴走で暗殺されたとは考えられにくいと言うものです。義続・義綱親子追放同様、権力回復を謀った義隆を非常手段で重臣衆が排除したと言っております。まぁ、確かに遊佐氏は強力な地盤が有りませんからね。個人で行ったとしたら他の重臣に力でどうにかされそうです。
 一つの意見(前出の「石川県の歴史」)では長氏による史実捻じ曲げとあります。能登の重臣衆でま ともに家が残ったのは長氏だけ(とも思えませんが)なので、しかも連竜以来義家として通しているだけに君主謀殺と書きにくかったと。
畠山義綱(畠山義綱)
そんなに重臣たちの意見に統一が取れていたかが問題です。もし一人でも義慶暗殺に反対であるならば、義慶暗殺は実行できません。誰かが義慶に告げ口をすれば計画バレバレだし。あんな自分勝手な家臣団を一つの意見にまとめるなんてのは難しいのでは?しかし、義慶・義隆の大名権力復権を快く思わない人間がいることは確かですし、結局暗殺は防げなかったのかも…。

(−以上で対談終了−)

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