13周年を迎えて(ごあいさつ)

東日本大震災…そして日本の危機、再生

2011年3月11日に起こった東日本大震災におきまして、被災されました皆さまに謹んでお見舞い申し上げます。
被災者の方々が一刻も早く平穏に暮らせるように、そして一日も早い被災地の復興を心よりお祈り申しあげます。

2011年…日本にとっては不景気が続くなかでも、いつものような年になるものだと思っていた3月10日までの日々。

それが3月11日にいっきに吹き飛びました。1995年阪神大震災をも超える「東日本大震災」の津波被害。そして福島第一原発事故。
1923年の関東大震災や1945年の日本各地の空襲と並ぶほどの大災害で、間違いなく2011年は日本の有史上、悲惨な年として記憶に残ると思います。

そんななか、福島の原発事故で、多くの市民が福島産の農産物や福島産の花火にいたるまで、過剰反応とも言える悲しい出来事が起こりました。
私も募金をしましたが、その募金すらなかなか被災地に届かない状況で、私も「どうしたら被災地のためになるか」を考えました。
きっと、ボランティア活動などでがれきの撤去などをすれば一番の貢献になると思います。

しかし、その時間的余裕も、知識もありません。
では、自分は何ができるのか。そこで思い立ったのが、福島産の農産品を食べることと、福島への観光でした。


福島トマト
いわき市のトマト農家から、ネットで購入。サラダにしておいしくいただきました。
地元のスーパーでも、福島県産の農産品を積極的に購入しています。


会津若松城
それから、9月に歴史友達の武藤舜秀様と1泊2日で福島県に観光旅行に行ってきました。
会津若松城の見応えはそれはもう、すばらしいものでした。
福島市飯坂温泉に泊まりました。観光客の減少が問題になっているというわりに、私たちが泊まった旅館は客が多くいました。


ネット…掲示板でSNSなどで悲観的な言葉を発していても日本は何もよくなりません。
ボランティア活動をできない理由を並べて、できないことを悔やんでいても日本は何もよくなりません。

ならば、簡単になにか自分でも行動できることはないか…と思って行動してきました。

私は、生まれて以来、「日本という国は安全で、この平和が永遠に続くものだ」と思って過ごしてきました。
しかし、原発事故が起こってから「日本という国は来年まであるんだろうか…」という思いを初めて持ちました。
きっと、第二次世界大戦中の日本国民も「日本という国は明日まであるのか?」と不安を抱えて過ごしていたんだろうと思いました。

戦中の国民はそんな不安な気持ちを抱えて、どう過ごしていたんだろう?そんなことをふと考えると、
「きっと明日の日本は今よりよくなる」というような前向きな気持ちを持って、今自分ができる範囲で自分の仕事を精一杯やっていたのではないでしょうか。


2011(平成23)年11月25日で「能登畠山氏七尾の歴史」は13周年を迎えました。
能登畠山氏や加賀冨樫氏の新資料はなかなか出てきません。だからと言って、自分が更新をしない理由にはなりません。
更新ができないのは自分の知識が足りないせいだ。だからもっと戦国全般のことを知って、それを能登・加賀に還元したいと思います。

日本各地の城を巡って、あらためて七尾城のすばらしさを実感することができました。
他大名の軍事組織をしって、初めて能登畠山氏の軍事組織が旧態依然としていることを実感できました。

これからも、更新はそんなに大規模にできないかもしれません。
しかし、全国各地の城を巡って、色々な大名の資料をみて、そしてゆっくりと能登・加賀の歴史を紐解いていきたいと思います。
そして、将来、『能登畠山氏の歴史』を自費出版して、自分の人生のまとめとしたいなあなんて夢を持っています。
大人になってからの夢ってなんかいいもんだななんて思います。

「明日の日本はもっとよくなっている」

それを信じて、ひたすら自分のできる範囲の仕事をこなして、

そして、自分の好きな道を追い求めていくこと。

これが、私の震災後の日本から得た経験です。

これからも細く長くサイトを続けて生きたいと思っています。皆様、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

平成廿参年十一月廿六日
畠山義綱(花押)


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