11周年特別企画
Webサイトの著作権について

 2009(平成21)年11月25日で「能登畠山氏七尾の歴史」は11周年を迎えました。10周年から11周年の間にかけては更新も低調でしたが、それでも閉鎖すると「能登畠山氏」「加賀冨樫氏」のアピールができなくなってしまうという思いで続けてまいりました。11年間続けられたのも閲覧者の皆様のおかげです。本当にありがとうございました。
 今回の特別企画は、計画段階で頓挫した「歴史ホームページの作り方」(仮称)に掲載予定だった「著作権について」を再編集してお送りしたいと思います。歴史ホームページを作ろうと思っている方に参考にしていただければ幸いです。


著作権について

(1)こんなことで盗作になってしまう!
 歴史Webサイト(以下「歴史HP」略)を運営上で重要なことは、やはり記述の信憑性です。推測だけで歴史を綴ればそれはだたの妄想・贋作になってしまいます。また、いくら綿密な考証を重ねても本文だけ読んでいては、いったいこれは何を根拠にしたのかと疑われかねません。では、どうしたら歴史HPは信憑性が増すのでしょう。それが「参考文献」の明示です。歴史論文などを見てください。必ずと言っていいほど参考文献が明示されています。これは、自分が「どういう書籍読んだ結果こういう結論を導き出したのです」と根拠にするばかりでなく、他者の著作権を尊重・保護する事にもなります。少し考えてみましょう。あなたが苦労して書いたHPのコンテンツを、別の人が丸々取り入れて全く同じ事を「自分の考えだ。自分の論文だ。」と言って発表(HPで公開)したらどんな気持ちでしょうか?誰しも良い気持ちではないはずです。こんなことをする人は盗作をしている人と同じです!
 ただ、文献を参考にして自分の意見を言うことや、歴史をまとめるといったことは、歴史学で絶対必要な研究方法です。ですから、参考文献や引用文献の明示をしっかりすれば大方問題は無くなると思います。それでは、次に参考文献や引用文献の明示の仕方を説明しましょう。

(2)文章を「引用」するのはどこまで許される?
 まず、参考文献と引用文献の違いですが、参考文献は自分が論文(コンテンツ)を書くのに参照にした文献(ホームページ)を指します。それに対して、引用文献とは丸々写した(コピー&ペーストした)文献を指します。文献を参考にするのはいくらでも構いませんが、引用するのは各種の制約があります。「ちょっと待って!さっきあなたは盗作はダメって言ったじゃん」と言われてしまいそうですが、論文(コンテンツ)を書くときには、どうしても丸々写す(コピー&ペーストする)必要がある時があります。それは、○○さんはこんなことを言っているけど、私はこう思うんだよ、と説明する時です。ただ、引用するにも限度があります。著作権法から「引用」の定義を抜粋すると「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない。」 (著作権法第32条)となっています。つまり、他人の文章をほとんど引用して、自分の感想をちょこっと載せるだけの引用はダメだよ、というようなことを言っているのであって、必要分の引用までは禁止していないのです。ですから、引用する場合は、必要最低限度で且つ著作権を保護するために出典を明示する必要があるのです。
 それでは、HPに使う具体的な「参考文献」「引用文献」の明示法をみてみましょう。

(3)参考文献・引用文献の明示の仕方
<参考文献の明示>
 現在、歴史HPで最もスタンダードな参考文献の明示の仕方は「参考文献一覧」として、HPで参考にした資料を全部を1つのコンテンツにまとめて掲載する方法です(私のHPの例で言えばこちらのページです)。これでも良いのですが、できれば自分のHP内にある1つのページ毎、特に参考した「参考文献」を挙げた方がより確実と言えるでしょう(例えばくらのすけさんのHP参照。ページの1番下に参考文献が紹介されていますよね。)。
 また、参考文献(これは後述する引用文献でも共通)を掲載するにあたり、歴史論文では一定の法則があります(必ずしも全ての論文が、この体裁になっているわけではありませんが、歴史論文としては一般的)。以下にその例を示します。この法則にのっとって明示すればおおよそ問題は無いかと思います。

(例1)
参考文献
網野善彦『海民と日本社会』新人物往来社,1998年
藤本正行『鎧をまとう人々』吉川弘文館,2000年
藤本正行「武田信玄の肖像-成慶院本への疑問-」『月刊百科』308号.1988年
宮本義己「畠山義綱と医道伝授(一)」『日本医史学雑誌』18巻.1972年
法則1:掲載順は一定の法則となっている。
 書籍の場合「著者名−書籍名−出版社名−発刊年(初版の年を掲載します)」
 雑誌論文の場合「著者名−論題名−雑誌名−雑誌号数−発行年」
法則2:書籍名は『 』でくくる。雑誌の論題名は「 」でくくる。

 歴史HPを参考資料にした歴史論文はいまのところ見ていないので、歴史HPを参考文献として掲載する際はどう表現したらよいか基準はありませんが、インターネット上で参考資料として明示するなら「HP名(リンクを貼ることは必須)+管理人者の名前」、雑誌など紙ベースの上で参考資料として明示するなら「HP名+アドレスの明記」をしておけばおおよそ間違いはないかと思います。

<引用文献の明示>
 他者の著作の文書を引用する場合に絶対に必要なことがあります。それは、自分の文章と区別するためにカギカッコ(「 」)をつけることです。また、カギカッコのすぐ後に引用文献を書くか、注釈として番号を振って、本文の後に掲載することが必要です(その際の文献の掲載方法は上記(例1)の法則を使うのが一般的です)。次に例で見てみましょう。

(例2)
★引用のすぐ後に引用文献を明示する場合
「義続の猶子契約は、越中の一向一揆にに対し成立した義総と植長(注1)の政略上の約定である。」(田中政行「畠山義続に関するニ、三の問題(下)其のニ」『七尾の地方史』15号.1980年)

(注釈)
(注1)引用文中の「植長」は「稙長」の誤りである。

★注釈として番号を振って本文の後に掲載する場合
「義続の猶子契約は、越中の一向一揆にに対し成立した義総と植長(注1)の政略上の約定である。」(注2)
(注釈)
(注1)引用文中の「植長」は「稙長」の誤りである。
(注2)田中政行「畠山義続に関するニ、三の問題(下)其のニ」『七尾の地方史』15号.1980年

 このように、引用箇所は「 」で表示し、その後に引用文献を表示します。ただ、明かにその前後に引用した文献がわかるように本文を構成した場合は、この限りにありません。また、引用文中は例え明かな間違えであっても間違えを正して引用してはいけない、というルールがあります。例2の(注1)にあるように、引用文中では「稙長」という人物を「植長」と間違えて表記しています。しかし、自己の判断で正して引用してしまうと、他人の著作権を侵したことになり、著作権侵害にあたる可能性があります。これは、他人には明かな間違えでも、それを書いた当人にとっては意味があって表記した可能性も考えられるからです。ですので、引用した文を訂正するときは、例2のように注釈として訂正するか、本文中に引用文中に誤りがあることを示すようにしなければなりません。
 歴史HPを引用資料にした歴史論文はいまのところ見ていないので、歴史HPを引用資料として掲載する際はどう表現したらよいか基準はありませんが、インターネット上で参考資料として明示するなら引用文のすぐ後に「HP名(リンクを貼ることは必須)+管理人者の名前」、雑誌など紙ベースの上で参考資料として明示するなら引用文のすぐ後に「HP名+アドレスの明記」をしておけばおおよそ間違いはないかと思います。

(4)HPからの引用は転載許可を得よう!
 引用は著作権法の範囲内ならOKであると書きましたが、ネット上のHP管理者の中には転載(引用含む)する際に、管理者の許可が必要とHP内に明記しているところもあります(私のHPでも転載・引用は許可制です)。これは、普通の書籍などの論文を引用するのと違い、インターネット上の論文は、コピー&ペーストで簡単に転載・引用できてしまうことが理由のひとつとして挙げられると思います。転載・引用の許可は著作権法にありませんが、同じ歴史HPの管理者としてネチケット(インターネット上でのエチケット)を疑われてしまいますし、ネット上での口論のもととなってしまうので、必ず引用するHPの注意事項にのっとって、引用の許可などを得るようにしましょう。


平成二十壱年十一月廿三日
畠山義綱(花押)


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