林光明様著作物・継承コンテンツ
リアル!戦国時代 vol.18

第18回 中世のキーワード・座シリーズ 座とは?

このシリーズを始めるにあたり、多く『豊田武著作集』(吉川弘文館)に拠っています。
初めに記して先学の多大な業績を顕彰するとともに、後塵を拝するひとりとして御礼を申し上げるところです。
興味のある方は、図書館等で是非ともご覧になってください。宝の山みたいな著作集です。

さて、前回は市場内における座の役割を、ほんの少し垣間見てみました。
ここで改めて「座」について言葉の意味合いを考えてみようと思います。
座は本来、生産のための同業者集団として歴史に登場してきました。
それが時代とともに、生産だけでなく流通や販売にも、その役割を広げていったのです。
ここで興味深いのは、猿楽能などの芸能にも座が組織されたことです。

現在の能楽は「五流」と総称されていますけれど、これは明治以後の言い方です。
江戸時代では「四座一流」と呼ばれていました。
「一流」というのは喜多流のことで、それ以外の観世、宝生、金春、金剛は、江戸時代でさえ座と呼ばれていたのです。
そう考えてみると、この「座」という言葉には、「同業者集団」という基本的な性格とともに、かなりあいまいな要素が含まれていると考えていいでしょう。

ここで「座とは」なんて、改めて定義づけしようなどとは思っておりません。
中世の用語というのは、例えば百や二百の事例を見て、それで定義づけできるほど甘くはありません。
それ以外に例外的なものがいくつも出てきます。
今回はリアルらしからぬ、かなり慎重に話を進めておりますが、実は、座についてはかなり多くの事例が残っているのです。
それこそ室町時代の国人と同じ数ほどあるんじゃないかと思うくらいで、しかもそれが多岐にわたっております。
ただ、何故「座」が組織されなかったのだろうという同業者集団もあるのです。

例えば、武士です。
彼らは「一揆」は結びますけれど、「座」は組織しません。
支配被支配の関係や、領主と商工業者ということもあるでしょうけれど、どうもそれだけではないような気がするのです。
これはお百姓についてもそうです。何故、農業関係者も座を組織しなかったのか。
「宮座」というものも出てきますけれど、これは農業というものと結びつくものではありません。
となると、座を組織したものとしなかったもの、いったいどちらが特殊な職なのかと考え込んでしまうのです。

ヨーロッパとのギルドとの対比とかはわりあい有名ですけれど、おそらくこういう発想は、諸先生も誰もがしなかったのではないでしょうか。
どうもこのあたりに中世人の考え方と、「座」を解くカギがあるような気がします。
この発想については、皆様のご意見をお待ちしています。

さて、根本的な疑問はこれくらいにしまして、ここからはリアル的にいろいろな座を見ていこうと思います。
座と言って一番初めに思い出すのは、京都大山崎に鎮座する、岩清水八幡宮を本所とする油座です。
彼らは全国に販路を広げ、独占的に油を扱っていたと考えられがちです。
しかし彼らの販路支配が、全くと言っていいほど及ばなかったところもあるのです。
大和国がそうでした。

油座の扱う品物は、その名の如く油に違いないですが、ではその油は何に使われたのでしょう。
現代の発想ならば燈油として、夜間の室内照明ですけれど、これにはあまり使われておらず、むしろ寺院のお燈明用として使われていたのです。
となると、大寺院のあるところには、それこそ大量に油を供給する必要があります。
大和国には東大寺、興福寺と、巨大な寺院がありました。
しかもこの二大寺院の創建は、奈良時代に遡ります。
したがってこれらの寺には、早くから油を供給する人々がいました。
彼らの強固な独占には、さすがの大山崎油座も歯が立たなかったようで、大和国だけはひとつの独立した形となっていました。

ちなみに当時の油の原料は菜種ではなく、荏胡麻(えごま)と呼ばれる植物の種子で、これはシソ科の植物だそうで、葉っぱもかなりシソと似ています。
胡麻は胡麻科の植物で、この2つは全く異なる植物です。
どちらも史料上は胡麻油とあり、ややこしいのですけれど、香り高い胡麻の方は食用ではなかったかと思っています。

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