人物列伝
「上杉定実」

↑上杉定実イメージ像(畠山義綱画)
人物名 |
上杉 定実(うえすぎ さだざね) |
生没年 |
?〜1550 |
所属 |
越後上杉家 |
主な役職 |
越後守護職 |
参考文献 |
(共著)『室町幕府守護職家事典 上』新人物往来社、1988年
(共著)『戦国大名系譜人名事典 西国編』新人物往来社、1986年
『新潟県史 通史編2中世』新潟県
花ケ前盛明他著『日本の名族 七』新人物往来社1989年 |
- 人物の歴史
- 定実は上条家の出自。男子が生まれなかった越後守護上杉房能の養子となる。房能の大名権力強化に危機感を覚えた越後守護代・長尾為景が1507(永正4)年8月に定実を擁立してクーデターを起こした。その結果、房能は追撃されて敗死し、為景に反対する勢力も鎮圧された。幕府も定実を守護として追認さざるをえず、翌年、越後守護職に補任した。しかし、その後も為景は反対勢力との争いに明け暮れ、一時は敗れて越中に定実と共に退いていたが、なんとか敵対する上杉家を倒して1510(永正7)年に定実政権を再スタートさせた。しかしその内容は越後国政の実権は為景が握り、定実は形式上の最高権力者に過ぎなかった。定実はその状況を家臣に不満をこぼすほどだったという。それゆえ、為景との関係は悪化し、それが次第に表面化した。
1513(永正10)年、定実派の宇佐美房忠が為景派の安田長秀討伐の軍を挙げると、これに為景が応戦し、留守となった春日山城を定実が奪取する事に成功した。しかし、為景はすぐに引き返し定実方をあっという間に破った。この時、定実の実家の上条家が助太刀をする暇すら与えないほどの完膚無き敗北であった。こうして越後の実権は完全に定実から守護代・長尾氏に移り、定実は守護職を降ろされ、影響力は影を潜めた。
しかし、その後も定実は健在で、実力はないといえども守護方の臣や、実家である上条家は密かに定実復権を目指していたようである。そして、再び定実方と為景方に分かれて戦ったのが、亨禄天文の乱である。1530(亨禄3)年、為景が上条家討伐の兵を挙げると、中央政権の移り変わりなどもあって為景側は不利に展開した。結局為景は防戦を続ける一方、1538(天文7)・1539(天文8)年頃には嫡男の晴景に家督を譲った。
為景の息子晴景が長尾家当主となってから、再び定実は注目を集めた。国内の内乱で劣勢に立たされた長尾家は上杉定実を再び守護職に復帰させる事で内乱を収束させることにしたのだが、この案は功を奏し越後国内の内乱は終焉していく。しかし、守護職復帰を機に、実子がいなかった定実にひ孫にあたる伊達稙宗の二男・時宗丸の養子迎え入れが具体化していったが、これが混乱の原因になってしまう。この養子迎え入れには越後国内での反発も多数あったようだ。時宗丸を歓迎する派は中条藤資・平子豊後守・直江実綱らで、反対派は守護代長尾晴景・色部勝長・本庄房長・竹俣清綱・黒川実氏・鮎川清長・安田長秀・加地春綱らであった。時宗丸は上杉定実から「実」の一字を与えられ「実元」と名乗ると、実元を送ることを急ぎたい稙宗が越後の反実元勢力を潰しにかかり、1540(天文9)年6月23日の期日で越後行きを決断する。一方、実元が有能な臣を連れて越後に行くと伊達家の国政が成り立たないと、もともと反発していた稙宗の子・晴宗が稙宗に対して兵を起こし伊達家中で内乱が勃発した。いわゆる天文の内乱である。伊達家はこれによって揺れに揺れて、実元の養子は白紙にされてしまったようで、落胆した定実は1542(天文11)年4月5日、引退しようと、時の長尾家当主・晴景に安閑無事に隠遁できるように取り計らってくれとの書状を送っている。その後1548(天文17)年に長尾晴景の健康問題に端を発した長尾家家督問題に定実が調停をして、晴景の隠居と景虎の家督継承させる裁決を行った。定実が隠居後も越後の事を案じていたのが伺える。景虎の家督踏襲後も、その政権は守護としての定実の存在を前提としたもので、景虎も守護代的性格を継承していた。しかし、景虎政権の頃の定実の影響力はかなり限定的だったようで、定実が魚沼に出かける際に大熊朝秀が上野家成に受け入れ準備を要請したところ、家成からの申し合わせに同じ守護方の家臣である本庄実乃は「その必要は無い。」と返事をしている。その時は、再度大熊が受け入れを命じた事で事無きを得たが、すでに守護の臣である者からも軽くに扱われていたのである。
- 義綱解説
- かなり影の薄い越後守護の上杉家。定実は上条家から入った為、『室町幕府守護職家事典』にも定実は載っていない。その後、長尾家によって没落させられた上条家は、畠山家から人質にだされた畠山義春が上条家を継いだとされている。いずれにしろ、越後守護上杉家は実質的にも、名目的にも定実の死去によって滅びてしまったのである。
☆信長の野望での上杉定実能力値の変遷
ゲーム |
政治 |
知謀 |
統率 |
武勇 |
外政 |
野望 |
兵種 |
特技・策戦 |
個性 |
志 |
足軽 |
騎馬 |
弓 |
鉄砲 |
兵器 |
嵐世紀 |
67 |
23 |
32 |
− |
− |
58 |
足軽・槍・荷駄 |
茶湯 |
− |
− |
蒼天録 |
60 |
33 |
25 |
− |
− |
53 |
足軽 |
哀願・収拾 |
− |
− |
天道 |
68 |
62 |
52 |
38 |
− |
− |
C |
C |
D |
D |
D |
罵声 |
− |
− |
大志 |
66 |
61 |
56 |
45 |
65 |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
臨戦・囮挑発 |
士気向上 |
家名存続 |
嵐世紀で初登場にして、大名として登場。しかし、その為長尾為景と対立することになってしまったのが大変。まあ、長尾を倒して再び実力の上でも越後の守護になりましょう。能力値としては政治(内政)や外政はまあまあの部類。おそらく、長尾晴景に擁立されて越後の内乱が収まった事に加え、晴景と景虎(謙信)との仲介をして謙信に家督を譲らせた功績からの判断なんでしょうね。

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