人物列伝
「上杉斉憲」

上杉斉憲イメージ
↑上杉斉憲イメージ像(畠山義綱画)

人物名 上杉 斉憲(うえすぎ なりのり)
生没年 1820〜1889
所属 米沢藩
主な役職 米沢藩藩主
特徴 FC版維新の嵐では顔が丸い
参考文献 (共著)『三百藩藩主人名事典 第一巻』新人物往来社,1986年
(共著)『三百藩家臣人名事典 第一巻』新人物往来社,1987年
(共著)『三百藩戊辰戦争事典(上)』新人物往来社,2000年
人物の歴史
 上杉家第12代当主。式部大輔、弾正大弼。喜平次、元服して将軍家斉の偏諱を受けて斉憲と名乗る。1839年2月、父斉定が死去し、同年4月3日に上杉家を継ぐ。1848年5月、異国船警備の為、銃手一隊を越後に派遣する。1850年3月に異国船が来ると、藩に武備の心得を命じて藩内を引き締めた。さらに軍事面では、家臣に西洋砲術を習得させる修行に出したり、翌年には和製西洋大砲の演習を行い上々の成果を挙げるなど積極的に藩内の軍近代化を進めた。しかし、この軍事費が祟った為財政状態が悪化し、斉憲は家臣の半知借上(知行の半分を藩が借りること)を実施。その後も、種痘の奨励や鉄砲上覧など内政と軍事の充実に奔走し、藩の富国強兵に努めた。
 戊辰戦争では、当初旧幕府側と新政府側の両者の動きをみていたが、会津藩の使者が度々米沢に至り、新政府軍との和解斡旋を依頼されて、「会津救解建白書」を提出する。これを新政府に拒否されると、仙台藩とともに「奥羽越列藩同盟」の中核として新政府軍と敵対する。奥羽越列藩同盟は当初は攻守同盟であったが、後に彰義隊の上野戦争後、難を逃れて奥羽に下向した皇族の輪王寺宮公現法親王を「東武皇帝」として擁立し、北部連邦政府構想の下、白石に政務機関である公議府を置く薩長新政府に対抗する本格的な「政権」となっていった。その公議府では、同盟各藩の代表による「軍略ヲ始メ、治民会計及ビ諸事」などを協議した。この中で米沢藩は、仙台藩に次ぐ地位を得た、名実ともに奥羽越列藩同盟の中核となった。
 輪王寺宮の薩長討伐の令旨を受け、同盟軍は越後長岡奪還の動きにでた。米沢藩は謙信以来の旧領奪還に意欲を燃やし、新潟奪還を果たすなど、新政府軍と互角に戦っていた。しかし、徐々に戦況は不利となり同盟軍は守りの姿勢を余儀なくされる。その中、米沢藩兵は会津藩兵が守るべきところにまで藩兵を回されるという分断状態に陥り、一時米沢藩内では会津藩と手を切ると言う論も起きたほどであった。その後、米沢藩は戦局不利と戦後のことを考えて、新政府に謝罪書を提出して降伏。今度は一転新政府軍として活躍する事になる。その変わり身の姿勢に「義を捨て利に走る滑賊」とまで言われた。そして、米沢藩は新政府軍より旧幕府側庄内藩攻撃を命じられ出兵し庄内藩を攻撃することになる。
 戊辰戦争後の東北藩処分で米沢藩は、藩主上杉斉憲の隠居と15万石から4万石への削減を命じられた。藩内の処分としては、旧幕府側として越後に出兵して、新政府軍に倒された当時の藩家老・色部長門守久長をトカゲのシッポ切りで、反逆首謀者として家名断絶の処分を下し責任を一手に押し付けることを幕引きを図った。藩主の家督は斉憲嫡子・茂憲を藩主として再スタートしたが、その茂憲の代で廃藩置県を迎え、米沢藩は幕を降ろした。
義綱解説
 う〜ん、ゲーム「維新の嵐」では非常に弱小だった米沢藩ですが、歴史を紐解いてみると、かなり重要な立場にあり活躍していたことがわかります。特に義綱が言いたいのは、その中でも米沢藩家老・色部長門守久長についてです。下にもあるようにゲームでの色部長門はかなり使えない人材です。しかし、新潟奪還戦の総大将として活躍したり、新潟港の民政管理などもこなし、かなり活躍しているようです。また、新政府軍の圧倒的な攻撃を前に、自ら銃をもって応戦し、銃が壊れては、抜刀し敵に斬り込んで討死したという足利義輝ばりの勇気と忠義を持ったの人なのです。戊辰戦争後、その責任を押し付けられたため評価が低いようですが、全くおかしな話です。色部家はその「責任の押しつけ」によりお家断絶になりましたが、明治16年にその家名再興が許されます。昭和34年には「色部長門追念碑」が色部長門顕彰会によって旧上杉家邸内に建立されるなど、戦後になってようやく汚名返上をすることができました。

☆「維新の嵐」(FC版)で登場する米沢藩の人達のゲーム数値(シナリオ1:1858年)
(先進性・体力・精神力・学力・武力は200がMAX値。佐幕・公議・尊王の各思想値は3つ合わせて100)
俗事は「恋」「酒」「金」の貪欲さを示す。

名前 役職 思想 先進性 体力 精神力 学力 武力 年齢 佐幕 公議 尊王 俗事
上杉斉憲 米沢藩主 雄藩連合 89 125 125 99 64 40 26 46 28 興味無し
色部長門 米沢藩家老 幕権強化 61 145 145 54 72 33 59 23 18 恋好酒好
甘粕継成 米沢藩重臣 大政奉還 118 140 140 162 82 26 34 39 27 恋好金好
若林作兵衛 米沢藩重臣 雄藩連合 49 153 153 73 86 29 21 45 34 酒好
雲井竜雄 米沢藩士 大政奉還 91 160 160 138 112 14 24 43 33 恋好酒好

 甘粕と雲井以外はあまり使えない米沢藩の方達。鍛えがいがあるということか。米沢藩の藩論は「幕権強化」だが、なんと家老の色部長門の思想だけでなんとか藩論を保っているという脆弱さ。佐幕派の私としてはいささか頼りない・・・・。義綱的佐幕プレーとして、藩主斉憲の佐幕化と能力強化、色部の能力強化による米沢藩運営をお薦めします。あと、時代に恵まれなかった雲井君に脚光を浴びせてあげたい。FC版の上杉斉憲の顔グラフィックは単なる汎用グラフィックで顔もイケていません。なのでそれを再現しようと思ってイメージ絵を描いたんですが、思いのほかイケメンになってしまいました(笑)

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