人物列伝
「斯波義統」

人物名 斯波 義統(しば よしむね)
生没年 ?〜1554
所属 斯波家(三管領のひとつ)
主な役職 斯波家14代当主
参考文献 (共著)『戦国大名系譜人名事典東国編』新人物往来社
『清洲町史』清洲町史編さん委員会、1969年
『日本の名族6東海編』新人物往来社、1989年
岡田正人(編)『織田信長総合事典』雄山閣出版、1999年
人物の歴史
 義達の子。尾張守護。左兵衛佐・治部大輔。義遠とも義元と名乗ったとも言われる。斯波氏が尾張守護としての初見は1400年の斯波義重の時である。斯波氏は、畠山・細川とならぶ幕府三管領のひとつに並ぶ家柄である。斯波氏の本拠は越前であり、14世紀末に越前守護となった畠山基国が、越中守護であった斯波氏の働きかけで分国の越前と越中を交換させられた事からも、斯波氏が越前に思い入れが強かった事がわかる。斯波氏は5代当主義将が3度も管領になるなど全盛期を築き、分国のうち越前・尾張・遠江が斯波氏の領国として定着する。しかし、7代当主義淳が死去してから、内訌が起こり次第に斯波氏は没落していく。本拠の越前が、甲斐氏や朝倉氏によって奪われ、遠江も13代当主義達の時代に今川氏によって奪われる。
 義達が1521年に没するが、その子の義統が当主を継いだ時期はあまりよく知られていない。義統の尾張守護在職期間も僅か1536〜1537年までである。義統が当主の頃には守護代織田氏に推戴されるに過ぎない状態となっていたらしい。彼の行動はほとんどと言って良い程記録がない。当主時代ではないが、義達が当主の時、山科言継が斯波義達・義統のもとに使いを出して物を送り、義統からも京都の公家宛の手紙を言継に預けた行動が知られる。これを考えると、少なからず義統と公家達との交流があったことになり、それなりの芸術センスがあったと見られる。1554年7月12日に義統の子・義銀<よしかね>(1540-1600)が主な屈強の若武者を連れ川狩りに出掛け、清洲城中が老人が僅かに残っているばかりになった隙に、守護代の織田彦五郎信友とその家臣で小守護代坂井大膳ら守護代の被官が義統の居る守護館を強襲し、自害に追い込んだ。信友が義統を殺害した理由は、義統が織田家庶流の織田信長と内通していた為と言われる。義統の享年は『系図編纂要』によると42歳とある。
 ついでに、義統の子・義銀についても触れておこう。父義統が殺害された後、川狩りに出ていた義銀は清洲城に戻る事が出来ず那古野城にいる織田信長のところに拠り保護を受けた。信長は義銀を擁立し、守護義統を殺害した清洲城に在城する織田信友を反逆者として攻め、信長の叔父・信光を使って信友を殺害した。そして、義銀は斯波家を継承する事となった。しかし、1561年に信長に清洲城を追われ、斯波氏は滅亡した。義銀が追放された理由は、「義銀は、木曽川・長良川河口の尾張土豪で一向宗門徒である服部友定の手引きにより、三河の西尾にあった吉良義昭とともに今川氏に内通したとの名目」(『日本の名族6東海編』より)と言われる。傀儡守護が実力を取り戻そうとして信長に反抗した為であろうか、それとも信長の自作自演であろうか定かでない。なお、義統の三男義冬は津川姓となり信長に仕え信雄の臣となる。しかし、義冬は秀吉の策略によって信雄に殺害された。
義綱解説
 晩年の斯波氏の素性、ほとんど知られません。頼みの『清洲町史』でも義統のものは少なく、しかもそのほとんどのものは義統が殺害されたと時の記述である。新人物往来社の『戦国大名系譜人名事典』でも斯波氏の記述は少なく僅か3ページ。その為、ほとんど斯波氏の説明に終始した感じがします。なにか良い史料がありましたら御教授下さい。にしても、信長も義統が内通して信友に殺されたおかげ(?)で尾張の守護代(実質の権力者)と成れたわけで、その意味では義統が織田の全国への覇権の足掛かりとなった人物になるんでしょうかね(笑)

☆信長の野望で斯波義統&義銀能力値の変遷
政=政治。戦=戦闘。武=武勇。知=知略・智謀。采=采配。統=統率。外=外政。魅=魅力。教=教養。野=野望。健=健康。運=運。足=足軽適性。騎=騎馬適性。鉄=鉄砲適性。水軍=水軍適性。弓=弓適性。計=計略適性。兵=兵器適性。城=築城適性。内=内政適性。
全国版の数値はMAX=106。数値はゲームの過程で上限を超えて変動。
天翔記の数値は政治、戦闘、智謀のみMAX=200、それ以外はMAX=100
♯全国版のみ「知能」を「政治」に、「野心」を「野望」の能力値に置き換えた。
♯蒼天録以前は「知略」は「智謀」であった。

ゲーム 武将名 能力適性 特技・策戦 個性
天翔記 斯波義統 102 74 34 67 58
斯波義銀 82 60 28 59 48
嵐世紀 斯波義統 26 9 21 67 足軽・槍・弓 開墾
斯波義銀 27 19 9 36 足軽・槍 逃亡
蒼天録 斯波義統 28 23 19 58 足軽・鉄砲 茶湯・鼓舞
斯波義銀 27 20 11 50 足軽 茶湯・混乱
天下創世 斯波義統 30 21 18 62 なし
斯波義銀 24 18 10 32 なし
革新 斯波義銀 27 10 21 12 なし
天道 斯波義銀 27 10 21 12
創造 斯波義銀 36 30 30 20 撹乱
大志 斯波義統 40 27 43 28 38 急襲・神出鬼没 間者諜報 領地保全
斯波義銀 37 31 35 26 32 臨戦・囮挑発 士気向上 領地保全

義統・義銀の能力値は傀儡当主を反映してかなり悪い。しかも、義銀の能力値はすべてにおいて義統を下回るときた。なんかいい加減に能力値決めてんじゃないの?って疑いたくなるのぅ(苦笑)嵐世紀では三作ぶりに義統・義銀父子が再登場。しかし、ゲーム全体の能力値デフレの影響を受け能力値が大幅ダウン。武将風雲録で登場しなかった為、天下創世で初めて教養値がついた。義統の教養評価はまあまあだが、義銀の32という数字は何故か?三管領の家柄が泣くぞ。革新ではなぜか弓適性だけがC。どうして?一方、天下創世の能力値インフレでほとんどデータが上がらなあった斯波父子。革新以降は息子の義銀のみしか登場しなくなってしまった。ただ、創造で再びの能力値デフレにも関わらずかなり義銀の能力値は上昇。さらに大志でも微増。さらに大志で久々に義統が登場。天下創世より平均で+10ほどの能力値アップとなった。また特技も戦法も特徴的なものが多い。

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