人物列伝
「足利義輝」

足利義輝イメージ
↑足利義輝イメージ像(畠山義綱画)

人物名 足利 義輝(あしかが よしてる)
生没年 1536〜1565
所属 室町幕府第13代将軍
主な役職 征夷大将軍
本人性格 剣豪将軍
参考文献 山田康弘『戦国期室町幕府と将軍』吉川弘文館
片岡樹裏人『七尾城の歴史』1968年
平野明夫「今川氏真と室町将軍」『戦国史研究』40号
人物の歴史
 珍しくメジャーな人物を取り上げるなとお思いのあなた。ここでは、足利義輝の生涯などメジャーな事は述べません。では、一体何を語るのか?室町幕府の将軍は9代義尚以降傀儡化されたという見方が一般的であるが、山田康弘『戦国期室町幕府と将軍』(吉川弘文館.2000年)において、傀儡政権の始まりと言われる11代将軍義澄の政権でも、政治を行う過程で将軍の意向が反映されている事も多く細川京兆家の傀儡では無い事が明かにされた。それゆえここでは、足利義輝政権期の対外政策を中心に幕府復権論を展開したいと思う。
 義輝が積極的に御内書を出して大名の同士の調停をし、幕府の権力を高めようとしたことは有名である。また、上杉謙信を関東管領に任命した事や、剣豪将軍と呼ばれる程の剣の腕前からただならぬ将軍では無いというイメージは定着している。しかし、それでも、義輝期の幕府のイメージは、義輝の積極政策によって辛うじて維持される畿内政権のように考えられがちである。しかし、次の諸大名の行動を鑑みるとそれは適当ではない。それは、能登畠山家(畠山義綱)、駿河今川家(今川氏真)、伊予河野家、伊予宇都宮家(宇都宮豊綱)等が貢物の献上等して、幕府に積極的に接近しているという事実である。これはどういうことであろうか。幕府の権威は6代将軍義教期以前のように回復したのか?
 貢物を幕府に進上しているこれらの諸大名は、いずれも名門の守護(あるいはそれに準ずる)家で一時期は甚だ勢力があった。しかし、戦国期に至って、他勢力の強大化や国内の内乱にあってその勢力は減退していた。これらの家の領国支配の根拠は、戦国大名と違って形式上、幕府から任命された守護(あるいはそれに準ずる)という職に基づいて行われている。そこで、大名家の上位権力である幕府の権威を借りて、大名基盤の強化を図っているのである。御内書の発給は将軍義輝自身による幕府復権策であるが、これらの諸家の行動は自ら幕府の権威を欲しているので、将軍義輝とこれら諸大名の思惑が一致しているとも言える状況が室町幕府末期に生まれたのである。
 また、戦国大名においても義輝に接近している者も少なくない。上杉謙信は上杉憲政から関東管領職を譲られたが、その就任にあたって将軍の意向を取りつけるために上洛する等積極的に義輝に接近した。織田信長も尾張守護代織田家の勢力を駆逐する目的で、義輝に尾張守護を認めてもらう為に上洛している。また、大友宗麟は豊前・筑後守護の守護に任じてもらう為、鉄砲(火縄銃)を献上した話はあまりにも有名である。さらに、上洛意図は不明だが、斎藤義龍も上洛をしている。もしかすると幕府に接近行動を起こしたのかもしれない。
 これらの事実は、室町幕府末期の義輝政権期になっても幕府は、畿内勢力と成り下がっていたのではなく、全国に及ぶ権威(強制力を伴なう「権力」とは異なる)を持ちつづけた徴証となろう。その結果、幕府権力の一層の拡大を恐れた松永久秀や三好三人衆が、足利義輝を暗殺したと言えるのである。つまり、義輝期の一時的幕府復権は義輝個人による力だけでなく、諸大名が欲していたからという理由もあると言え、義輝はその将軍を欲する力をうまく利用する事ができた将軍であると言える。
 しかし皮肉にも、これが積極的に幕府の権力強大化を示す資料とはなり得ない。貢物を進上し積極的に幕府に接近するいずれの大名もが、すでに昔日の勢いを失っており、将軍権力にすがって領国再編を果たそうという目的があっての推戴なのである。また、強固な支配体制を作り上げた戦国大名らは領国支配の正当性を得る為等と言った側面で接近する事はあっても、室町幕府の権威を積極的に欲しようとしない。即ちgive&takeの関係で、守護に任じられれば後はあまり接近をしないのである(例外として上杉謙信がいる。また、戦国大名が将軍に積極的に接近しなかった理由は、貢物等による金銭が多く掛かると言う理由もあろう)。つまり、幕府の積極的復権が必要であったのはすでに勢いを失っている大名であって、義輝は彼らには幕府復権の助成は期待できなかった。一方、力のある戦国大名は、真に幕府の権威を欲しているわけではないので、力はあっても幕府の復権への助成は期待できない。こうした、ディレンマは、将軍義輝をもっとも悩ませた課題であったと思う。
 最後に、もう1度義輝期の室町幕府について定義して足利義輝の人物列伝を終えたい。義輝期の幕府は、権力の弱体化した守護大名的戦国大名に推戴され、畿内に基盤をもった幕府であった。すなわち、義輝期の室町幕府について、権威は全国に及び、権力は畿内(山城)に及ぶという見方ができるのである。
義綱解説
 足利義輝を取り上げる時に、一般的な人物の歴史を紹介するだけでは面白くない!と思って、義輝期の幕府権力について語ってみました。義綱は、室町幕府と北陸地方との接点を探して、いつか論文を書こうと思っていますが、その折に義輝期にたくさんの守護大名が接近している事を知り、コラム的に書いてみました。もちろん、異論・反論あるかと思います。ぜひ掲示板・またはメールにてご意見を寄せていただければと思います。また、間違った記述がありましたら、ご指摘頂ければ幸いです。

☆信長の野望での足利義輝能力値の変遷
政=政治。戦=戦闘。武=武勇。知=知略・智謀。采=采配。統=統率。魅=魅力。教=教養。野=野望。健=健康。運=運。足=足軽適性。騎=騎馬適性。鉄=鉄砲適性。水軍=水軍適性。弓=弓適性。計=計略適性。兵=兵器適性。城=築城適性。内=内政適性。
全国版の数値はMAX=106。数値はゲームの過程で上限を超えて変動。
天翔記の数値は政治、戦闘、智謀のみMAX=200、それ以外はMAX=100
♯全国版のみ「知能」を「政治」に、「野心」を「野望」の能力値に置き換えた。
♯蒼天録以前は「知略」は「智謀」であった。

ゲーム 能力適性 特技・策戦
戦国群雄伝 75 51 100 65
武将風雲禄 71 75 100 80 69
覇王伝 72 65 20 88 64
天翔記 148 154 60 100 89
将星録 74 76 50
烈風伝 67 64 39 90
嵐世紀 57 26 73 84 足軽・槍・荷駄 剣豪・訓練・登用
蒼天録 47 23 70 79 足軽 剣豪・威圧・迎撃
天下創世 50 22 72 72 槍衾・弐
革新 56 97 25 74 槍衾など多数
天道 56 95 45 74 槍衾之極
創造 56 83 54 79 一の太刀・奮迅・剣豪

 戦国群雄伝からの登場。全国版では開始年が1560年なのに何故か将軍は足利義昭。よくわかりませんね・・。さて、義輝の能力値は、意外や意外、政治力は戦国群雄が最高値。戦闘は剣豪が認められてか、武将風雲録・将星録で70台。まあ、戦闘能力(統率力)と剣の腕前とは違うと言うのか、最近戦闘能力は落ち気味。しかし、優秀な将軍とされてもこの能力とは納得のいかない能力値だ。烈風伝から能力値が全体的にデフレ気味の為か、義輝の能力値も将星録を境に漸減している。蒼天録では政治値47とかなり平凡になってしまった。同作では足利義昭が政治値80代なので、納得いかない。天下創世さらには革新以降では能力値も若干持ち直しているが、武勇がなぜか創造では90代から陥落してしまった。

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