三善一守特集

戦武堂殿のメールを抜粋して特集を組んでみました。戦武堂殿ありがとうございました。

三善一守(1547-1615)
 石見守。小浦一守とも称す。越中国池田(小浦山)城主。
三善氏は鎌倉幕府の問注所執事を勤めた三善康信の子孫。石見守朝宗が応安年間に備後国より越中国氷見庄池田村に来て、小浦山に池田城を築城し居住したという。一守は朝宗より七代の孫の能登畠山氏に仕えた石見守光康の子。はじめ能登畠山氏に仕え、天正四年(1576)、上杉謙信に属し、謙信死後は佐々成政に仕える。同十五年(1587)、成政が豊臣秀吉より肥後国を与えられると、これに従い肥後熊本に移住。しかし成政が失政のため改易されると能登国羽咋郡飯山に移住し、剃髪して松原斎安と号し閑居した。元和元年(1615)年、死去。享年六十九。子孫は加賀藩前田家に仕え、明治元年には一守の子孫という原二一貫の子善三一儀が百七十石を領している。

○ゲームでの登場
 「戦国群雄伝」のシナリオ2の越中国で織田家配下として一度だけ登場しています。能力値は無惨ですが・・・。
ということらしい。今度の烈風伝での登場と言うことで4作ぶりの復活となる。

☆補足(義綱著)
三善石見守光康(〜1567)
三善一守は代々の居住地に因んで、小浦と名字を改める。

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