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東京ヤクルトスワローズ〜思い出に残る選手たち〜


<打者編>


(1)2代目ミスタースワローズ…ぶんぶん丸・池山隆寛
 1965(昭和40)年兵庫県生まれ。市立尼崎高校から1984(昭和59)年のドラフト2位でヤクルト入団。背番号36→1→36。関根潤三監督の下、思い切りのいいスイングから「ぶんぶん丸」の愛称がついた。3番池山、4番広沢のイケトラコンビで人気を博し、ヤクルトの黄金期を支えた名プレーヤー。オールスターに7度出場。ベストナイン5回などヤクルトの中心選手で精神的な主柱にもなっていた。後半ベンチを温めることが多くなっても、野村監督の教え通りベンチのムードを明るくする事を心がけ、ヤクルトのAクラス常駐の地位を支えた。19年間ヤクルト一筋。94年に4番の広沢がFAで巨人に移籍した際、池山も西武(友達である清原から移籍を誘われた)・阪神から話があったらしい。それでも広沢の「池山はヤクルトに残れ」という思いを受け継ぎ、生涯ヤクルト一筋を貫き通した。高校生の時から夢見たプロ野球選手になれたことを、2002年の引退試合後のセレモニーで「夢…ありがとう。」と言葉を残した。この言葉は現在でも池山のブログに使われている。まさに2代目ミスタースワローズにふさわしい選手。

池山隆寛

池山隆寛の年度別成績
年度 所属 試合 打数 安打 本塁 打点 四球 三振 打率
1984 ヤクルト 10 7 0 0 0 0 2 .000
1985 ヤクルト 65 85 12 0 1 8 29 .141
1986 ヤクルト 65 147 36 6 15 9 47 .245
1987 ヤクルト 127 400 100 13 46 40 112 .250
1988 ヤクルト 130 504 128 31 81 38 120 .254
1989 ヤクルト 130 484 128 34 74 48 141 .264
1990 ヤクルト 130 502 152 31 97 50 100 .303
1991 ヤクルト 132 498 134 32 80 54 124 .269
1992 ヤクルト 127 477 133 30 79 54 148 .279
1993 ヤクルト 108 390 100 24 71 54 95 .256
1994 ヤクルト 99 362 94 19 55 36 83 .260
1995 ヤクルト 130 456 120 19 70 62 105 .263
1996 ヤクルト 53 183 49 7 29 21 40 .268
1997 ヤクルト 124 439 121 18 79 55 76 .276
1998 ヤクルト 118 400 110 18 59 52 79 .275
1999 ヤクルト 60 204 45 8 23 14 47 .221
2000 ヤクルト 67 157 36 9 21 16 43 .229
2001 ヤクルト 65 73 14 4 12 9 30 .192
2002 ヤクルト 44 43 9 1 6 5 19 .209
通算   1784 5811 1521 304 898 625 1440 .262

(2)ムードメーカ打撃補佐…金森栄治

 1957(昭和32)年生まれ。PL学園高校を経て早稲田大学、プリンスホテルを経て、1981(昭和56)年に西武ライオンズにドラフト2位で入団。大学野球や都市対抗野球でもかなり活躍していたこともあり、西武に入団して4年後にはベストナインに選ばれた。それを境に徐々に成績が降下し、1988年に阪神に交換トレード。移籍した次の年には.309と活躍するが、さらに成績は下降線。1992年のオフに阪神を自由契約となる。それをヤクルトの野村監督に拾われた。ヤクルトではチーム最年長にもかかわらず1年でも長くユニフォームを着たいという思いから、いつもナインの先頭に立ち、例え負けゲームでもゲキを飛ばしていた。その姿勢が当時まだまだ2流集団だったヤクルトのあきらめムードを変えるムードメーカーとなった。その金森に対する当時の野村監督の評価として、こんな話がある。野村監督の契約更改の時にフロントに対して「私が監督をしている限り、金森を置いてやってくれ。戦力だけで人を見るのではなく、チーム構成、絶対に必要である人物であることを数字以外に認めてくれ。」。野村は監督を1998年まで続けるが金森は1996年で引退する。しかし、引退後は野村監督の推薦もあり、ヤクルトの1軍打撃コーチ補佐に就任。監督は「あいつは選手に何も教えなくていい。ベンチにいてくれるだけでいい」と言われるほど、金森がいることでのチームへの影響を考えていたのである。その後、1999年までヤクルトのコーチを努め、西武コーチ、ダイエーのスコアラー、阪神のコーチ、ソフトバンクのコーチを経てBCリーグの監督を務めた。2010年からはロッテのコーチを務め、2014年からは金沢学院東高校の硬式野球部の監督として活躍している。現役時代とは違って、コーチ時代は理論派で評価が高いのもまた金森の評価すべき事項である。

金森栄治の年度別成績
年度 所属 試合 打数 安打 本塁 打点 四球 三振 打率
1982 西武 4 9 2 0 2 1 2 .222
1983 西武 74 174 51 3 22 22 17 .293
1984 西武 65 148 37 2 19 15 17 .250
1985 西武 129 413 129 12 55 55 50 .312
1986 西武 112 336 100 3 34 37 37 .298
1987 西武 91 268 65 2 22 13 25 .243
1988 西・阪 83 188 38 2 14 20 17 .202
1989 阪神 77 121 37 0 17 13 11 .306
1990 阪神 68 95 25 0 13 20 5 .263
1991 阪神 73 136 32 2 14 9 9 .235
1992 阪神 42 44 10 0 3 0 9 .227
1993 ヤクルト 46 41 7 0 3 13 7 .171
1994 ヤクルト 71 70 19 0 5 2 10 .271
1995 ヤクルト 67 71 23 1 10 5 5 .324
1996 ヤクルト 46 45 8 0 6 1 1 .178
通算   1048 2159 583 27 239 226 222 .270

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