バス

のと鉄道の話

第三セクターの「のと鉄道」
NT200型
NT200系。2005年4月1日から投入された新型車両である。

「のと鉄道はいま?」2005/08/17(Wed)
  この夏、能登に我が愛車のスターレット「能登号」で能登旅行に行った。そこで「のと鉄道」の今をみてきたので、そのレポをご覧頂いて今後ののと鉄道の未来を考えて頂きたい。
≪穴水駅にて≫
 2005年3月31日をもってのと鉄道能登線(穴水−蛸島間)の歴史は終わりを告げた。中居駅、比良駅、鹿波駅、甲駅、沖波駅、前波駅、古君駅、鵜川駅、七見駅、矢波駅、波並駅、藤波駅、宇出津駅、羽根駅、小浦駅、縄文真脇駅、九十九湾小木駅、白丸駅、九里川尻駅、松波駅、恋路駅、鵜島駅、南黒丸駅、鵜飼駅、上戸駅、飯田駅、珠洲駅、正院駅、蛸島駅の全29駅と穴水を起点にして61kmの線路が廃線となる。奥能登の公共交通が一挙に消えうせたのである。もう穴水駅から先に列車が向かうことはないのである。のと鉄道は「七尾−穴水間」の僅か33.3km、列車乗車時間にして僅か40分だけの鉄道になってしまったのである。2000年3月の「穴水−輪島間」20.4kmの廃止とこの2005年3月の「穴水−蛸島間」廃止でのと鉄道は大きく縮小することになってしまったのである。2003年に能登空港が開港して能登観光はこれからという時にである。誠に残念でならない。
穴水駅01
↑穴水駅
今はここが終着駅となってしまった。
穴水駅02
↑穴水駅ホーム
古い車両が大量に留置されていた。
穴水駅03
↑穴水駅から蛸島方面
もうここから列車が来ることは無い…
穴水駅04
↑穴水駅看板
中居へ行く列車はもう無い…

≪新しい車両が投入される≫
 2005年4月、のと鉄道に新しい車両が投入された。NT200系である。のと鉄道のみならず全国の第3セクター鉄道の経営は芳しくなく経営難のため古い車両のまま運営することがしばしばある。古い車両は、加速やブレーキの効きが悪く速く走れなかったり、冷暖房の設備が古かったり、スプリングが悪く座席の座りここちが悪かったりと快適性に欠け、乗客離れがいっそう進むという悪循環に陥りやすい。しかし、のと鉄道は違った。JRからのと鉄道に移管され開業する1988年3月25日に合わせて、レールバスを発注し全ての車両を新しくした。それだけのと鉄道に市民は期待していたし、のと鉄道も気合をいれていたのである。ただ、この新車購入で資金をだいぶ使ったせいなかの、1988年以降2005年までの17年間新車投入はなかった。その間に車両はどんどん古くなりのと鉄道の経営もさらに悪化していった。せめて塗装の塗り直しくらいできなかったものか…。悔やまれる。
NT200型
穴水駅にて
NT100型
「能登鉄道友の会」様御提供 JR七尾駅にて 無断転載禁止
NT200型(初期型2005年製)
<ディーゼルエンジン気動車、車体長18m、定員112名>
 NT100型と変らずワンマン運転仕様のレールバス。車椅子対応便所を新設したバリアフリーの車両である。車内には折りたたみレンタサイクルを列車内持込可にするなど、観光に役立ててもらおうと必死である。塗装も斬新で乗り心地も良いと評判である。惜しむのはこの車両が蛸島まで走っていれば…ということである。
NT100型(初期型1987年製、後期型1991年製)
<ディーゼルエンジン気動車、車体長16.5m、定員104名>
 ワンマン運転仕様のレールバス。のと鉄道誕生とともに富士重工に発注し、製造・投入された車両である。今からみるとくらびれた車両であるが、当時は斬新な車両であったことであろう。現在はNT200型に置き換えられており、穴水駅に大量にNT100型が留置されている。永遠に来ない出番を待つように…。

≪鉄道の痕跡を残し…≫

 2000年3月31日に「穴水−輪島間」20.4kmが廃線となり、それに伴ない輪島駅、能登市ノ瀬駅、能登三井駅の3駅が廃止となった。私は2005年の能登旅行の際、旧輪島駅と旧能登三井駅を訪れた。それぞれ鉄道の痕跡は残っていたが、輪島駅と能登三井駅では全然痕跡の在り方が違った…。その違いを見てみよう。
旧輪島駅
ふらっと訪夢輪島駅01
↑ふらっと訪夢輪島駅正面
ふらっと訪夢輪島駅02
↑鉄道の痕跡をメモリアルパークとして残した(ふらっと訪夢内)
 のと鉄道輪島駅は2000年3月31日をもって鉄道の駅としては役割を終えた。人口減少と少子高齢化で観光産業で生きるしかない輪島市にとって、鉄道廃線は本当に痛手であった。しかし、廃止が決まった以上黙って見ているわけにはいかなかった。旧輪島駅を全面改装しプラットホームにもじって「ふらっと訪夢」と名付け、バスターミナルとしてバス拠点のみならず観光案内所を設けた観光の拠点としても整備した。廃線となったことをきっかけに皮肉にも輪島駅周辺は整備されたのである。輪島駅のホームを一部残して鉄道の写真を掲示しておくなど(右の写真)なかなかシャレたものである。また、輪島駅周辺も江戸時代の街並みに戻そうと建物の建て替えも進んでいて、街全体が観光を盛り上げている。鉄道廃線でも元気に生きている輪島駅であった。

旧能登三井駅
能登三井駅01
↑能登三井駅跡。プラットホームに淋しく飾られるSLの絵
能登三井駅02
↑僅かに残された線路の上に放置される地元有志のイベント車両
 能登三井駅も輪島駅と同じく2000年3月31日「穴水−輪島間」の廃線と共に鉄道駅としての歴史を終えた。駅舎はJR西日本時代、無人駅を輪島市が借り受け三井経済活性化事業協同組合が改装。「サロン杜の駅」と称して喫茶店と開業した。2005年8月現在喫茶店は残っていたようであるが、この日は閉店していた。能登三井駅は廃線後半年は線路も残っており、鉄道を懐かしむ地元の有志がドラム缶とトラクター用のエンジンを改良してミニSL(写真右の奥にあるもの、手前の黄色の車両はミニSLの客車として使用した)を作り「鉄道復活イベント」を開催した。マスコミが特集で取り上げていた(私も興味深く見てました)が、乗客はそれなりにしか集まらなかった(2002年12月にも鉄道復活イベントは行われたらしい)。現在では写真の通り線路もほとんど撤去され、鉄道復活イベントももう出来ない。訪れた2005年8月能登三井駅周辺は人も数人見かけるほどで非常に淋しかった。鉄道が廃止となっても元気な輪島駅とは対照的である。ぜひ三井経済活性化事業協同組合の奮起を期待したい。ああ、能登三井駅が現役の時に訪れたかった…。

↑2002年7月のと鉄道の終点蛸島駅(まだ蛸島駅が現役の時)
 これは2002年7月に私が訪れた時撮影した蛸島駅である。まだ現役であるが、無人駅であり列車交換設備もなく終点駅なのでその先の線路はなく途中で草に覆われている状態でした。それでもこの駅には当時列車が来ていた。だから人の流れがあった。2005年4月以降、列車ははるか60km先の穴水駅で終点となった。蛸島駅含め29駅は人の流れがなくなった。これからの駅周辺の未来は?そして奥能登の未来は?そして能登全体の未来は?そして新しい能登の顔・能登空港からは今日も飛行機が飛び立ってゆく…。
「のと鉄道情報」2005/01/06(Wed)
 下の2000年9月4日に続き残念な報告をしなければならない。2005年3月31日をもってのと鉄道の「穴水−蛸島間」が廃止になることが昨年に決まったのである。予感はしていたが、いざ現実のものとなると本当に淋しいし辛い。これで能登半島の先端まで行く鉄道機関はなくなってしまうことになる。代替手段として路線バスが運営されるが、やはり鉄道の廃線というのはショックの大きいものである。
 昨年(2004年)7月8月には「穴水−蛸島間」の廃線を前に2002年に廃止された「急行能登路」が限定復活した。「急行能登路」はJR西日本の路線である金沢駅から七尾線を経由してのと鉄道珠洲に至るものであった。停車駅は金沢・羽咋・七尾・和倉温泉・穴水・甲・鵜川・宇出津・九十九湾小木・松波・恋路・鵜飼・飯田・珠洲であった。七尾線区間は電化されているが和倉温泉駅以降ののと鉄道区間が非電化区域なので、ディーゼル列車であるキハ58系が投入された。のと鉄道誕生の1988年に「能登路色」として列車は黄色地に白のラインという鮮やかな色のボディーに塗られたのであった。そしてこの度、のと鉄道の「穴水−蛸島間」の廃線を惜しんで2004年Nゲージ製作の大手TOMIX社から、「急行能登路色キハ58系2両セット」が限定発売された。定価は10290円である。能登ファンは積極的に買ってせめてもののと鉄道への手向けにしましょう…。
急行能登路Nゲージ
↑TOMIXで限定発売された「急行能登路色キハ58系2両セット」の箱
「能登畠山の旧跡巡りはのと鉄道で!」2000/09/04(Mon)
 下記のようにのと鉄道では2001年3月一杯で七尾線の一部区間「穴水−輪島間」が廃止される。それならば、のと鉄道に乗って能登畠山の旧跡を旅してはどうか?出発の七尾駅では七尾城址と七尾城史資料館を堪能し、次の駅和倉温泉駅で温泉を味わう。穴水駅では穴水城と穴水町立歴史民族資料館を見学。中居駅では全国で唯一の鋳物博物館である鋳物館を見学。輪島では朝市の他ちょっと遠いが天堂城を見る。松波駅では松波城址がのと鉄道駅のすぐ近くで歩いていける。車で行くのも便利ではあるが、都会の喧騒を離れて緑の中を走るディーゼル鉄道もなかなかおつなものです。みなさんもいかがでしょうか?

「のと鉄道の未来」2000/06/25(Sun)
 能登唯一の鉄道は“のと鉄道”(第3セクター化された際ソフトなイメージをだすために「能登鉄道」ではなく「のと鉄道」とひらがなになった。)である。私は、昨年の夏に能登旅行に行った際、のと鉄道に初めて乗車した。私が乗った区間は、「七尾−松波」間である。七尾駅で切符を買い、オレンジと白の車両NT100型の2両編成(ディーゼル)列車に乗る。車内はボックスシートで内装も古かった。山や海が眼中に広がる緑の中を駆け抜ける列車の旅は本当にのどかで快適なである。しかし、線路に隣接する広い県道などでは車に抜かれるほどのスピードである(NT100型の最高時速は80km/hだから車に抜かれるのも当然か…)。また、七尾−松波間は1700円位とちょっと高めの運賃である。
 のと鉄道はJR能登線が不採算路線に指定され、廃線か第3セクター(地方行政と民間で運営する)で存続かで議論された末に1988年に誕生した第3セクターの鉄道会社である。1991(平成3)年度に経常損益が赤字化して以来、現在まで赤字経営が続いている。2000年には赤字対策の為、同社の路線の七尾線一部区間の「穴水−輪島間」が廃止されることが決定した。第3セクターで部分廃線を含め、路線廃止を決定したのは同路線が初めてだという。これは衝撃的な事である。のと鉄道のみならず、能登全体の経済が沈滞している状況がさらに悪化していることを示していると言えよう。能登は全体でも人口が20万人程度。東京に換算すると、足立区の1/3になる。各自治体過疎化対策に努めてはいるが、いっこうに人口減少に歯止めがかからない。これでは、のと鉄道の未来のみならず、能登の未来も暗い。「赤字=即廃線」という結論ではなく、より活性化させる方法はないものか?能登全体を活性化させる案はないものだろうか。地元の方の努力に期待して止まない。
☆参考資料:『ガンバレのと鉄道未来に向かって』能登鉄道友の会、1998年,2000円

のと鉄道のDATA
DATA 営業
キロ
輸送
密度
平均乗
車キロ
平均
運賃
輸送人員 運賃収入 現業経費 粗利益 営業係数
年間(千人) 年間(千円) 年間(千円) (千円) 粗利益 償却後
のと鉄道 114.5 1210 16.44 15.02 3088 784335 943530 -159195 120.3 140.5
(『鉄道はクルマに勝てるか』川島令三著、中央書院、1998年)より
DATAの年次は平成8年度だと思われる。(DATA用語解説

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